- 東洋大学ってお前ら的にどんなイメージ?
824 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2017/05/24(水) 15:21:42.55 ID:ZQX3D/O3 - >>817
昭和9年の『東洋大学一覧』には「護国愛理」という言葉が東洋大学の教育精神として 掲げられている。それまでの同種の資料には建学以来の歩みが沿革として まとめられていただけで、特に教育精神というものは掲げられていなかった。 「護国愛理」は井上円了が『仏教活論序論』(明治20年)ではじめて用いた言葉である。 その中では「護国愛理」は「国家を思うこと」と「真理を愛すること」が「一にして二ならず」であることを 表現するために使われている。しかし、明治27年以後の著作にはほとんど現れてこないし、 哲学館時代の教育方針等に関する文書にもこの言葉が使われたことはなかった。 それが、国家至上主義思想が強調された時代になって、その傾向に追従するように 東洋大学の建学精神として取り上げられたのである。 その後、国家体制への追従はさらに強められていくが、 そこには大学経営上の問題も絡んでいた。昭和12年度の予算では その年の学生数を600人と予想していたが、実際の学生数は377人と 4割も下回り、結局大幅な収入減という深刻な状況に陥ったのである。 このため、東洋大学は学外の財界人である大倉邦彦を第10代学長として招聘することになった。 大倉学長の体制下では国家政策に沿って大学の発展を図るという施策が実施され、 「護国愛理」が建学精神としてよりいっそう強調されることになったのである。
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