- 【昭和の】♪三島の名句・美文♪【遺産】
573 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 13:45:34.04 ID:sDnF8Zmj - 人間の恋愛は動物の恋愛と違つて、みな歴史、社会、環境、いろいろなものに制約されてゐるわけです。
われわれが一つ恋愛をすると、その恋愛の中に全人類の歴史、全人類の文化が反映してゐるのです。これは、 われわれといふ存在が、ちやうど歴史の一端に大ぜいの先祖と、大ぜいの文化の趨勢の上に生まれてきたのと同じに、 今あなたないし私のする恋愛も、決してひとりでまるで天から落ちかかつてくる隕石のやうに、恋愛が始まるといふ ものではなく、みな何ものかに規約されてゐるといふことができます。 キリスト教の恋愛には、やはりマリアへの愛が、いつも基本になつてゐる。これは、宗教にエロチシズムが、 幾ら除いてもこびりついてくるといふ、一つの証拠です。 キリスト教のやうな欲望否定の宗教が、あれだけ勢力を占めたといふことの裏には、ヨーロッパ人が、それだけ 動物的な本能の強い人種だといふこともいへないことはありません。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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574 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 13:50:39.44 ID:sDnF8Zmj - 日本人の一番健康な恋愛らしきものが描かれてゐるのは「万葉集」ですが、「万葉集」の恋といふのは、この
ヨーロッパ、ギリシャのやうな、哲学的背景を持つた恋愛ではありません。ただ古い民族のすなほな肉体的欲望が、 日本人のやさしい心持ちとか、繊細な生活感情の中に溶け込んで、そこに、美しい別離の情とか、恋人に久しぶりに 会つた喜びとか、さういふものが素朴に、しかし正直に述べられてゐます。 「源氏物語」の「もののあはれ」といふ大きな主題、この「もののあはれ」の中には、いろいろ仏教的な考へも ないわけではないのですが、根本的には、日本人が恋愛をただ感情の形でだけ浄化してきた、その一つの完成した 形が見られます。 概して少年期には、年上の異性を愛するやうになります。 われわれは皆、好ききらひがあつて、どんな美人でも、ある人にとつては、ちつとも魅力のない場合があり、 どんな醜女でも、ある人の目から見ると、非常に魅力的な場合があるのです。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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575 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 13:54:26.56 ID:sDnF8Zmj - 恋愛の嗜好といふのは、実は、だれでも先天的に持つてゐるものではないので、ある人にとつては母親の
イメージがあり、ある人にとつては、早く死んだお姉さんのイメージがある。しかし異性のイメージはその人個人 のみでなく、祖先から民族全体から、どこかに深く積み重ねられたものがあつて、それがその人の心の中に 出てくるといふことが言へるのです。つまり、何かその原形がある。 自分の官能的なものと自分の人生とがぶつかり合ふ、結びつき合ふ、自分の肉体と精神とが初めてぶつかり合ふ、 自分のおぼろげに感じてゐた性欲的なものと、自分がだんだんに修練して得た理知的なものが、重大な関連を 持つてゐることを、一挙に発見するのが初恋です。 戦争は、原始的な形では、恋愛の一つの形式のやうなものである。民族的恋愛のやうなものであつたのです。 これはあくまで、他民族がその民族にとつては他者であるからであります。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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576 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 13:57:56.30 ID:sDnF8Zmj - 人生が、自分のよい意図、正しい意図、美しい意図だけでは、どうにもならないといふことを学んで、それに
絶望して、だめになつてしまふ人は、人間としても伸びて行けない人だといはなければならない。それからまた、 それですべてをあきらめてしまつて、自堕落に一生を送らうといふ人、これはまた、人間としてゼロだと いはなければならない。 ですから、けつきよく、人間が成長する途上で初恋の幻滅に会つても、それに打ちひしがれないで、なほ積極的な 態度で人生に向つていくといふ力強さ、さういふものが、試金石としての初恋の値打だらうと思ひます。 恋愛は、相手の当人を特別な存在に見せ、たとひ、人から見て値打のないものでも、自分にとつて世界中で かへがたいものに見せる心の働きですから、悲観的な考へ方をする人は、恋愛のことを全部錯覚にすぎないと 言つてゐます。恋愛は病気と同じやうに、診断をすることもできるし、また分析することもできると考へたのが、 プルーストといふ二十世紀の小説家であります。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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577 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 14:01:17.17 ID:sDnF8Zmj - 情熱は、人間の心の中で一番崇高な、一番価値のある感情で、情熱があればこそ人間は生きていくかひがある。
私は恋愛といふものを、プルーストのやうに悲観的には考へてをりません。なぜなら、恋愛が錯覚であるならば、 人生も錯覚であるし、一人の女をあるひは一人の男を美しいと思つて恋することは、人間が自分の仕事を美しいと 思つて、それを熱愛して、一つの仕事を完成するのと同じことです。 恋愛中には、恋人はお互ひに愛し合つた上でも、やはり千変万化の働きをしなければならない。なぞのない恋人は 魅力を失つてしまふのです。それはわれわれの幻想を描く力を失はせてしまふからです。 人間同士の信頼感といふものは、恋愛のほんたうの要素ではありません。信頼感ならば、友だち同士の友情の方が 強いでせうし、また、長いこと連れ合つた夫婦の間の愛情も、信頼感といふ点では恋愛よりずつと強いのです。 恋愛は結局、わからないことがどこかにひそんでゐなければならない。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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578 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/05/05(木) 14:10:41.42 ID:sDnF8Zmj - 人間には心があるから、心で証拠を求めようとしても、からだで求められない。からだで求めようとしても、
心で求められない。かういふ、人間独特の分裂状態から、恋愛が生まれてくる。それが、人間的なものの一つの 特徴になるのであります。 そして情熱の法則は、自分で自分を裏切るといふふうに傾くもので、理性の法則とはまるで違つてゐます。 ですから、うそもうそでなくなる。真実も真実ではなくなつてしまふわけです。 よく、結婚したときに夫に向つて、自分の過去の恋人のことを全部告白してしまふ奥さんがありますが、これが 誠実といふものかどうかは疑はしい。それによつて夫は、いつまでも悩むことになるでせうし、彼女は、自分に 誠実であつたことによつて、実は自分にだけ誠実であつたことになるのです。すべて人間の愛の感情では、 自分にだけ誠実であるといふことが、必ずしもその恋愛に誠実であるといふことにはならないといふ皮肉な 法則があります。 誠実さとは結局、自分の真心を押しつけることではなくて、むしろ自分を捨てて相手のためを思ふことであり、 そのためには、うそも誠実になつてくるのです。 三島由紀夫「新恋愛講座」より
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