トップページ > 60歳以上 > 2011年03月01日 > GzxKwj3w

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名無しさん@お腹いっぱい。
60歳以上、あそんでくらそ 2
はい次の方。

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60歳以上、あそんでくらそ 2
186 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 09:50:41.92 ID:GzxKwj3w
外国って何処よ?鯛?
はい次の方。
487 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 15:10:15.97 ID:GzxKwj3w
写生=対象をありのままに写す方法。明治以降、スケッチ、デッサンの訳語として一般化していたものを、
正岡子規が短歌・俳句に導入した。子規自ら「写生といひ写実といふは実際有のままに写すに相違なけれども固より多少の取捨選択を要す」
(「叙事文」、1900年)と述べているように、写生はもとより、虚構の要素を抜きにして成り立つものではなく、子規は、写生という用語でもって、
リアリズム文学の方法を指し示していたことになる。その後、写生説については、子規から雑誌「ホトトギス」(1897〜)編集を受け継いだ高浜虚子、
河東碧梧桐など子規の後継者の間で、客観か主観か、現実か理想か、自然中心か人間中心なのか、という論争が繰り広げられていく。
他方、伊藤左千夫、島木赤彦、斎藤茂吉など、短歌雑誌「アララギ」(1908〜97)に結集したアララギ派は、写生を単なる方法としてのリアリズムに解消せずに、
象徴的な力学に注目する方向でそれを再解釈、深化させようとした。
短歌と俳句の現代は、「アララギ」や「ホトトギス」的伝統から離れて自由律、口語短歌へ向かう、
あるいは定型や季語の枠から脱せんとする動きとして展開されていく。
( 井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 )


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