- 【昭和の】♪三島の名句・美文♪【遺産】
547 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/06(木) 17:57:41 ID:EDrMuubX - 当の娘の父親にとつては、この世に一般論などといふものはあるべきではなかつた。心の奥底で
娘を手離したくないと思つてゐる父親の気持から、オールド・ミスにならぬうちに誰かに 早く呉れてやりたいと思つてゐる父親の気持まで、無数のニュアンスの連鎖があつて、 どこからが一般論で、どこからがさうでないとは云へなかつた。又、見様によつては、 世の父親のすべての心には、右の両極端の二つの気持が、それぞれの程度の差こそあれ、 混在してゐる筈であつた。 怖ろしい巨犬には、正面から向つて行けばいいのである。 あまり完璧に見える幸福に対して、人は恐怖を抱かずにはいられないものなのであらうか? 僕はね、君を百パーセント幸福にして上げたいと思ふと、いろんなことを考へだして、 気むづかしくなつてしまふんだ。一種の完璧主義者なんだな。……人間の心といふ奴は、 とにかく、善意だけではどうにもならん。善意だけでは、……人生を煩はしくするばかりだと わかつてゐてもね。 三島由紀夫「夜会服」より
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548 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/06(木) 18:01:00 ID:EDrMuubX - 人間は誰でも、(殊に男は)自然にこれこれの人物になるといふものではない。目標があり、
理想像があればこそ、それに近づかうとするのである。 幸福といふものは、そんなに独創的であつてはいけないものだ。幸福といふ感情はそもそも 排他的ではないのだから、みんなと同じ制服を着ていけないといふ道理はないし、同じ種類の 他人の幸福が、こちらの幸福を映す鏡にもなるのだ。 隔意を抱くといふことは淋しいことである。しかも、愛情のために隔意を抱くといふことは、 まるで愛するために他人行儀になるやうなもので、はじめから矛盾してゐる。 結婚とは、人生の虚偽を教へる学校なのであらうか。 現代では万能の人間なんか、金と余裕の演じるフィクションにすぎないんだ。 人間つて誰でも、自分の持つてゐるものは大切にしないのぢやないかしら。 …誰でも、手に入れたものは大したものだと思はなくなる傾きがあるのぢやないかしら。 三島由紀夫「夜会服」より
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549 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/06(木) 18:05:52 ID:EDrMuubX - あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?
今に知るやうになるわ。お茶でもない、紅茶でもない、イギリス人はあまり呑まないけれど、 やはりそれはコーヒーでなくてはいけないの。それはね、自分を助けてくれる人はもう 誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければ、といふ味なのよ。 黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味、しつこい、 諦めの悪い味。……それだわ、私が本当にコーヒーの味を知つたのは、俊男が結婚してから はじめてだつたの。それまではコーヒーの味がわからなかつた。主人が亡くなつたあとでもね。 一人で生きなければ、とたえず背中から圧迫されたり激励されたりしてゐるやうな感じつて わかつて? 誰かの手がいつも自分の背中を、はげますやうに叩いてゐる。あんまり うるさいから、背中へ手をのばしてつかまへてやると、それが何と自分の手なんだわ。 三島由紀夫「夜会服」より
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550 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/06(木) 18:07:59 ID:EDrMuubX - さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。
ずうーつと、前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。 そして一旦それが顔を出したら、もう手術ぐらゐでは片附かないの。 私、何で自分がさびしいのか、その理由を探さなくては気がちがひさうだつた。あなた方の 結婚が、はつきりその理由を与へてくれたやうに思ひ込んでしまつた。でも、私つてバカなのね。 さびしさの本当の深い根は自分の中にしかないことに気がつかなかつたの。 鳥のゐない鳥籠は、さびしいでせう。でも、それを鳥籠のせゐにするのはばかげてゐるわね。 鳥籠をゴミ箱へ捨ててもムダといふものね。鳥がゐないことには変りがないんですから。 三島由紀夫「夜会服」より
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551 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/06(木) 18:10:21 ID:EDrMuubX - でも、何十年も先、あなたもきつと同じさびしさを味はふだらうと思ふと、少しは埋め合せが
つく気がする。それは女といふものの引きずつてゐる影みたいなものなんですよ。女は、 いつかそのさびしさに面と向かはなければならないの。男の人とちがつて、女は人のゐない 野原みたいなものを自分の中に持つてゐる。男は、その野原の上を歩いて、悲壮がつて、 孤独だ孤独だなんて言つてゐるにすぎない、と思ふのよ。 いつか、あなたも、私の言つたことを思ひ出すことがあると思ふわ。たとへば、障害を 跳び越えてほつとしたあと、うれしいと思ふ気持のあひだにも、ずつとさびしさが、 一本の道のやうに、向かうへずつとつづいてゐるのを見ることがあると思ふわ。 はじめ、それは幻みたいに見えるの。でもいづれその幻が現実になるのよ。 三島由紀夫「夜会服」より
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