- 50代のプロレス2
796 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/04/16(金) 23:00:36.36 ID:WmTr/0CT - 猪木と村松の対談形式(実際は直接の対談ではない)で綴られた、2018年出版の
「猪木流「過激なプロレス」の生命力」を図書館から借りて読む。 猪木の発言として、 力道山×木村戦は、入門する4か月前で、まだブラジルにいた時期だから見てないんです。 その試合の4か月後に入門して、その時は、木村戦で力道山がバッシングされているなんて 全然知らなかった。 とある。 しかし、力道山×木村戦は1954年12月22日、猪木入門は1960年4月11日。 力道山×木村戦のとき猪木は11歳で、横浜市立東台小学校に通っていた。 「アントニオ猪木自伝」によると、中学生のころ、隣の家にテレビがあり、そこで 力道山とシャープ兄弟の試合などを見せてもらっていた、とある。 シャープ兄弟は初来日が1954年2月、2回目が1956年4月なので、 猪木は小学生時代はプロレスを見ておらず、中学生になった1956年あたりから 見始めたのだろう。 問題はこの猪木の勘違い発言が、何のチェックもされないまま出版されていること。
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