- ★昭和40年代を思い出そう★Part12
839 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/02/12(火) 17:49:19.64 ID:OXPDJ3wQ - 昭和45年前後に身の回りで現実化した、
ボウリング場の機械やジュークボックス、バスのワンマン化(いずれ無人化)、踏切の無人化、 どんどん進むテレビ番組のカラー化、報道での大阪万博のパビリオンや動く歩道、人間選択機などを見聞きして (飛行機事故が毎年のように起きていたので自家用機は実現しなくて陸路でいいやと思いつつ) こども雑誌の「21世紀はこうなる!」の図に確実に近づいていってると思った。
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- ★昭和40年代を思い出そう★Part12
842 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/02/12(火) 20:02:51.14 ID:OXPDJ3wQ - 確かにファミレスもケンタもそのとき歴史上、日本上陸、登場は果たした。
ただ、今のファミレス的役割は個人経営の「ドライブイン」が果たしていて 県庁所在地や主要都市クラスまで展開して 人々の目に触れるようになるのは10年くらい先の50年代半ばくらいだと思った。 その中間期に、のちにコンビニにとってかわられるオートスナックというnもあった。
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- ★昭和40年代を思い出そう★Part12
844 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/02/12(火) 20:16:31.15 ID:OXPDJ3wQ - 音声多重放送といえば、昭和53年10月の放送開始の印象が強いが。
大阪万博を機に旅行や職務で日本に滞在する外国人の増加が予想されたため、 昭和45年から東京と大阪のNHK総合テレビで実験放送が行われた。 万博が終わっても白黒番組が残っており、完全カラー化が優先されたこともあって、昭和48年でいったん休止となってしまう。 昭和45年版のテレビのカタログにも、「音声多重テレビ」「音声多重アダプター」が掲載されている。 www.video-koubou-topaz.jp/COLUMBIA-DENON-AUDIO-1970.html ナショナルのカラーテレビにもアダプター用端子があった。 昭和44年規格策定されたUマチックビデオは2トラック音声が標準仕様になっているが、 発売が46年になったため、対応チューナの搭載は見送られた。 ただしどのデッキでも再生は対応。 takizawa.gr.jp/uk9o-tkzw/tv/VO-1720.pdf (特徴にも仕様にも書いてないが、ACの切り替えスイッチが見える) 昭和50/51年発売のベータ、VHSは、多重放送対応は規格策定されなかった
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