- ●『朝日新聞』の没落 [転載禁止]©2ch.net
8 :名無しさん@お腹いっぱい。[看板娘]:2015/01/27(火) 21:41:41.34 ID:poXR/Aob - ●ネツゾウ報道「従軍慰安婦」の発端は?
1982年、朝日新聞、吉田清治氏の『強制連行』証言を報道、 1983年、吉田清治が『私の戦争犯罪』を出版、 1991年、朝日新聞が「元・慰安婦」の証言を報道、 元・慰安婦とされる金学順さんらが日本政府に謝罪を求めて東京地裁に 提訴、 1992年、吉見義明(中大教授)が日本軍の関与を示す資料の存在を指摘。 このことを朝日新聞が報道(1月11日) 宮沢首相が訪韓し初めて謝罪をする。(1月16日)
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9 :名無しさん@お腹いっぱい。[看板娘]:2015/01/27(火) 21:48:14.56 ID:poXR/Aob - ●平成27年1月3日、朝日新聞の社説
【日本人と戦後70年、忘れてはならないこと】) 「日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。 戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国ととしてのけじめをつけた。 この事実は否定しようがない。」 ↑朝日の社説は、日本が連合国48ケ国と結んだサンフランシスコ平和条約の 基本的な性格を忘れている。 吉田茂首相は条約を受諾する演説のなかで、それを「和解」と「信頼」の文書 と呼んだが、その最も重要な特徴の一つは、戦争責任にまったく言及していない ことだった。 そもそも戦後の日本が、戦争責任をA級戦犯に負わせて「けじめ」をつけたとは、 平和条約の解釈を別にしても、いい難いことである。 たとえば日本は、国際社会への復帰を象徴する国連加盟(56年)の晴れの舞台 に、A級戦犯として刑に服した重光葵外相を代表として送っている。
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10 :名無しさん@お腹いっぱい。[看板娘]:2015/01/27(火) 21:56:07.03 ID:poXR/Aob - >>9
朝日新聞の社説は、A級戦犯が合祀された靖国神社への安倍晋三首相の参拝は、 「けじめ」を受入れてきた人々をないがしろにすると批判する。 だが、これは、誤った前提に基づく、筋の悪い批判というべきだろう。 戦後の日本は、A級戦犯など一部の人々に戦争責任を負わせるのではなく、 国全体でそれを負う形をとった。 たとえば日中共同声明の前文には、 「日本国」が戦争によって中国国民に「重大な損害を与えたことについての 責任を痛感し、深く反省する」との文言がある。 中国側は当初、「日本国」の代わりに「日本軍国主義」という文言を提案 していた。 一部の軍国主義者と一般の日本国民を分けて、前者に戦争責任を 負わせる立場からの提案だった。 だが、日本側は、「日本が全体として 戦争を反省している」(大平正芳外相)ことを表わしたいとして、その提案を 断わっている。 この例を含めて我々は、戦後の日本が、国家全体で戦争責任を負ってきたこと を忘れるべきではない。 それは、いわゆる歴史認識問題に向き合う際の大事な前提である。 (坂本一哉、阪大教授、産経新聞 コラム)
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