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名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫のような日本男児はいなくなった

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三島由紀夫のような日本男児はいなくなった
842 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/01(金) 10:58:08.03 ID:oBpL9UeT
美は、尊敬に値ひするものの一つです。美しければ、バカでも一向かまはないのだが、女性が同性に対するふしぎな
矛盾した心理として、美しさに対する憧れももちろんあるが、嫉妬もあり、自分の尊敬心を十分満足させるだけの、
ほとんど不可能なほどのきびしい条件を相手の美人に課する。

三島由紀夫「をはりの美学 尊敬のをはり」より


はつきりいつてしまふと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。(中略)
先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろつてゐて、かういふ先生は学生たちとよくウマが合ふ。


本当の卒業とは、
「学校時代の私は頭がヘンだつたんだ」
と気がつくことです。学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、
「大学をでたから私はインテリだ」
と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがつて彼または彼女にとつて、学校は一向に
終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。

三島由紀夫「をはりの美学 学校のをはり」より
三島由紀夫のような日本男児はいなくなった
843 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/01(金) 10:59:06.32 ID:oBpL9UeT
もちろん年齢にしたがつて、いはゆる精神的な美しさは加はつてゆくけれど、身も蓋もない話だが、五十歳の美女は
二十歳の美女には絶対にかなはない。


美女と醜女とのひどい階級差は、美男と醜男との階級差とは比べものにならない。


美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。一度目の死のはうが恐ろしい本当の死で、
彼女だけがその日付を知つてゐるのです。
「元美貌」といふ女性には、しかし、荒れ果てた名所旧跡のやうな風情がないではありません。

三島由紀夫「をはりの美学 美貌のをはり」より


手紙は遠くからやつてきた一つの小舟です。(中略)私たちは、空間の海をとほつて流れて来た小舟を、読み
をはると間もなく、時間の海の沖のはうへ、すなはち忘却へと、流し去つてやるのです。それは施餓鬼の灯籠の
やうに、ちらちらと水に灯を流しながら、遠ざかつて行きます。
その遠ざかる灯籠の灯影がちらりとまたたいて、岸にゐる私たちに、忘れがたい思ひを残すことがある。それが
手紙の結びの文句です。

三島由紀夫「をはりの美学 手紙のをはり」より
三島由紀夫のような日本男児はいなくなった
844 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/01(金) 11:00:01.42 ID:oBpL9UeT
芝居は必ずをはり、幕は必ずしまり、お客は必ずかへつてしまふ、といふ点で、人生のをはりと芝居のをはりは
そんなにちがはないのかもしれません。

三島由紀夫「をはりの美学 芝居のをはり」より


人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終つてくれないのが人生といふものである。

三島由紀夫「をはりの美学 旅行のをはり」より


喧嘩のをはりを、男性相手に、しつこく、心理的に小むづかしく演出してたのしむのも、女性の大きなたのしみの
一つである。

三島由紀夫「をはりの美学 喧嘩のをはり」より


個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。


私は「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を外れた鼻に絶望して、
人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」といふことだからです。だつて、死ねば
ガイコツに鼻の大小高低など問題ではなく、ガイコツはみんな同じで、それこそ個性のをはりですからね。

三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より
三島由紀夫のような日本男児はいなくなった
845 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/01(金) 11:01:06.57 ID:oBpL9UeT
正気の世界は、プールのとび板の端のやうな危険な場所で、をはるのではありません。
それは静かな道の半ば、静かな町の四つ角のところで、すつと、かげろふのやうに消えてゐるのです。あなたは
大丈夫ですかね。

三島由紀夫「をはりの美学 正気のをはり」より


秘密はたいてい、おしやべりな見栄坊のお客の口からもれるのです。

三島由紀夫「をはりの美学 礼儀のをはり」より


顔から、体から、物の言ひ方から、すべてを含めて、「好き」か「嫌ひ」かといふ判断を下すことは、人間同士の
関係として、もつとも悽愴苛烈なものです。就職試験の比ではありません。

三島由紀夫「をはりの美学 見合ひのをはり」より


人間が宝石のまま、永遠にをはらない純潔を保つことは不可能でせうか。男の例なら、われわれは即座に、あの
特別攻撃隊の勇士を思ひうかべることができます。人間のダイヤを保つには、純潔な死しかないのです。

三島由紀夫「をはりの美学 宝石のをはり」より
三島由紀夫のような日本男児はいなくなった
846 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/01(金) 11:02:03.63 ID:oBpL9UeT
自然は黙つてゐる。自然は事実を示すだけだ。自然は決して「宣言」なんかやらかさない。宣言なんかするのは
人間に決まつてゐます。

三島由紀夫「をはりの美学 梅雨のをはり」より


作品その他の形でちやんと文化的業績ののこつてゐる人に与へる「文化勲章」といふものは、本来の勲章からすると
邪道にちがひない。何も形の残らないもののために、勲章と銅像の存在理由があるのです。なぜなら英雄とは、
本来行動の人物にだけつけられる名称で、文化的英雄などといふものは、言葉の誤用だからです。

三島由紀夫「をはりの美学 英雄のをはり」より


悲しみとは精神的なものであり、笑ひとは知的なものである。


肉体関係があつたあとに、おくればせに、精神的恋愛がやつてくるといふことだつてある。


日本では、恋とは肉の結合のことであり、そのあとに来るものは「もののあはれ」であつた。


日本では「言ひ交はした」といふ言葉は、ただちに肉の結合を意味する。

三島由紀夫「をはりの美学 動物のをはり」より


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