- 三島由紀夫VS太宰治
725 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 10:10:08.37 ID:JBYp38dU - この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。 別に化物が出たといふ話ではない。 ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、 九時ごろ床についたのがいけなかつた。 宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は 芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が 家鳴震動する。 それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、 酒宴がはじまつた。 と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。 三島由紀夫「プライヴァシィ」より
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726 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 10:10:43.44 ID:JBYp38dU - 更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。 やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。 しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に 一トさわぎがある。 西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。 一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に 眠りを破られた。 「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」 それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。 三島由紀夫「プライヴァシィ」より
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727 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 10:11:32.05 ID:JBYp38dU - (中略)
――かうして一日たち二日たつた。 最初の一夜は、「これは大変だ」と思つたのに、馴れといふものは怖ろしいものである。 二日目にはもう隣室の話し声は気にならず、トラックやバスの響きに眠りを破られることがなくなつた。 三日目になると完全にコツをおぼえ、宿中全員が寝静まらぬうちは眠らぬことにきめ、女中を呼ぶにも大音声を 張りあげ、食事がおそいときは、 「おそいぞ!」 と怒鳴り、よその子供がバタバタ廊下をかけまはれば、 「うるさいぞ!」 と怒鳴つて、夜寝不足ならば十分昼寝をし、ほぼ快適な生活を送れるやうになつた。 ――それはさておき、かりにも都会で、プライヴァシィを重んずる「近代的」生活を、生活だと思ひ込んで ゐる人間には、人の迷惑などを考へずにのびのびと暮してゐるかういふ旧式の日本人の生活は、おどろくべき ものであつた。 都会なら、となりのうるさいラヂオを容赦しないが、ここではラヂオはすべて音の競争であつて、隣りのラヂオが うるさかつたら、家のラヂオの音をもつと大きくすればそれですむのである。 三島由紀夫「プライヴァシィ」より
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728 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 10:12:18.92 ID:JBYp38dU - みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。 西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。 (中略) そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、 何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが 賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。 しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を 発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。 三島由紀夫「プライヴァシィ」より
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- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
422 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 21:05:21.90 ID:JBYp38dU - (中略)最初の言葉は上気した花嫁の古代の桃のやうな唇からさきに洩れた。「あなにやしえをとこを」と。
――何故こんなことになつたのだらう。何故こんなありうべからざることが起つたのだらう。(とにかく 「ありうべからざること」に人間性の最初のあらはれが見られたといふこの神話は甚だ象徴的で且つ皮肉である) ――天つ神たちは一方ならず動揺したにちがひない。信仰といふものがあつたとすれば、その信仰が深い地鳴りを 伴つてゆれ出すのを感じたにちがひない。しかし彼らがおぼえたのは愕きや憤りばかりではけつしてなかつた。 彼らは畏怖を感じた。人間が人間のままで神に与つたこのへんな瞬間に対する故しれぬ畏怖を。人間がこれからも 永遠にこんな妙な方法で瞬時に神に与つてしまふことをくりかへすであらうといふ畏怖を。――それは天つ神たちに むずかゆいやうな痛みを与へたであらう。彼らはこの得体のしれぬ胸の痛みをもてあましたであらう。人間が 繁殖しつづけるかぎり神の胸からとり去られることのないこの痛みを。 三島由紀夫「相聞歌の源流」より
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- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
423 :大人の名無しさん[]:2011/06/13(月) 21:05:53.70 ID:JBYp38dU - 神はいくたびか、おそらくは数千回・数万回も、このそこはかとない痛みの復活に出会はねばならなかつた。
地上で相聞の交はされるたびごとに出会はねばならなかつた。 その最初の機会であつたところの「人間から来た最初の蹉跌」に、日本の詩歌のひめやかな源流を見ることは 不当だらうか。相聞歌の発祥を見ることはあやまりだらうか。「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」 といふ至上の呼び交はしが、偶々人間から来た最初のあやまちであつたといふこの神話ほど、相聞の世界の妙諦に 触れ、その世界の豊饒と溢美を暗示し、その世界の悲劇を隈なく物語つてゐるものがあるだらうか。数千年に わたつて相聞歌が人々の心にもたらした不安・をののき・よろこび・悲哀・苦悩のことごとくは、この一瞬の 不吉で美しい呼び交はしから流れて来てゐはしないだらうか。 相聞歌は永久に同じモチーフのくりかへしである。鶯が鶯をよぶのである。夜の薔薇のしげみのなかで、一ト声 愛らしく、二羽の小鳥がよびかはすのである。この最初の発声が過ちであつたとは、何といふ例へやうのない 美しさだらう。 三島由紀夫「相聞歌の源流」より
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