- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
363 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 10:57:31.64 ID:RDYqQoUi - われわれが住んでゐる時代は政治が歴史を風化してゆくまれな時代である。歴史が政治を風化してゆく時代が
どこかにあつたやうに考へるのは、錯覚であり幻想であるかもしれない。しかし今世紀のそれほど、政治および 政治機構が自然力に近似してゆく姿は、ほかのどの世紀にも見出すことができない。古代には運命が、中世には 信仰が、近代には懐疑が、歴史の創造力として政治以前に存在した。ところが今では、政治以前には何ものも 存在せず、政治は自然力の代弁者であり、したがつて人間は、食あたりで床について下痢ばかりしてゐる無力な 患者のやうに、しばらく(であることを祈るが)彼自身の責任を喪失してゐる。 三島由紀夫「天の接近――八月十五日に寄す」より これつぽつちの空想も叶へられない日本にゐて、「先生」なんかになりたくなし。 三島由紀夫「作家の日記」より 私の詩に伏字が入る! 何といふ光栄だらう。何といふ素晴らしい幸運だらう。 三島由紀夫「伏字」より
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- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
364 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 10:57:52.81 ID:RDYqQoUi - 作家はどんな環境とも偶然にぶつかるものではない。
三島由紀夫「面識のない大岡昇平氏」より 理想主義者はきまつてはにかみやだ。 三島由紀夫「武田泰淳の近作」より 簡潔とは十語を削つて五語にすることではない。いざといふ場合の収斂作用をつねに忘れない平静な日常が、 散文の簡潔さであらう。 三島由紀夫「『元帥』について」より 伝説や神話では、説話が個人によつて導かれるよりも、むしろ説話が個人を導くのであつて、もともとその個人は 説話の主題の体現にふさはしい資格において選ばれてゐるのである。 己れを滅ぼすものを信じること、これは宿命に手だすけすることによつて宿命を暗殺する方法である。宿命に 手だすけする代償として、宿命を信じる義務を免かれる行き方である。浪漫主義者の生活の理念は、ともすると この種の免罪符をもつてゐる。 三島由紀夫「檀一雄の悲哀」より
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- 三島由紀夫VS太宰治
636 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:12:00.02 ID:RDYqQoUi - 現代の若い人たちの特徴として、欲望の充足そのものをあまり重要なものとしてゐないのではないかと僕は思ふ。
それは欲望を充足してから後に、いつも「たしかこれだけではないはずだ」といふやうな飢餓の気持に襲はれて、 その感じの方が欲望の充足といふことよりも強く来てしまふんです。女の人に関しては、まだまだ欲望の充足といふ ことは大問題かもしれないけれども、若い男にとつては欲望の充足だけが人生の大問題であるなんてことは、 ほとんどないんぢやないかと思ふ。 (中略)性欲の満足といふことは、その満足するまでの過程においては、いろいろな障害もあつて、それが非常な 重大問題のやうにも考へられるし、一生の悲劇の原因にもなるわけです。しかし今はさういふものに対して、 あまりにも近道が発達してゐるものだから、人間のかなり大事な一つの仕事である生殖作用が、だんだん軽く なつてゐる。その一つの現はれがペッティングなどといふことになるんだけれども、これからますますかういふ 傾向がひどくなるんぢやないかと思ふ。 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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637 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:15:00.94 ID:RDYqQoUi - その結果、若い人たちの性欲以外のいろいろな欲望に対する追求も、だんだんとねばりがなくなり、非常に
ニヒリスティックになるといふことは言へると思ふ。 たとへば明治時代の立身出世主義のやうに一つの公認されてゐる社会的欲望が、大多数の人たちを動かしてゐた 時代もあるわけです。さうすると、社会的欲望の充足が、だれが見ても間違ひのない社会における完全な勝利になる。 さういふ時代には、あらゆる条件がそれに伴つて動いてゐたと思ふんです。たとへば上昇期の資本主義の時代、 さうして日本が近代国家として統一されて、まだ間もない時代、しかも恋愛の自由がまだ完全にない時代―― もちろんプロスティチュートはたくさんゐたし、さういふことの満足は幾らでも得られたけれども、普通の恋愛が まだ非常に困難であつた時代、従つてたとひ男がプロスティチュートを買つても、精神的に非常にストイックだつた 時代、さういふ頃には、欲望の充足といふことは、みんな一つの大きな方向に向つた大事業だつたといつていいと思ふ。 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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638 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:18:45.05 ID:RDYqQoUi - だからさういふ立身出世主義みたいな世俗的なものの裏返しとしては、あの時代は理想主義の時代だつたとも
言へるかもしれない。 けれども今の時代は、普通の若い人たちの間で、必ずしもプロスティチュートでなくても、欲望の充足が非常に 簡単になつて来てゐる。その簡単になつて来たといふ背後には、逆にどうやつてもいろいろな社会的な欲望の 充足が困難になつて来たといふ事情も入つてゐると思ふ。たとへば今学校で子供たちに、将来何になりたいかと 聞いたならば、大臣になりたいなどといふ子供はあまりゐないだらうし、大将などはなくなつてしまつたやうな ものだし、みんなのなりたいものは、プロ野球の選手だとか映画俳優くらゐしかなくなつてしまつた。さうして 社会が一種の袋小路に入つてゐて、未来の日本の希望といふものもあまり見られないし、社会そのものが今 発展期にないといふことが、非常に概念的な言ひ方だけれども、簡単に欲望が満足させられてしまふ悲しさ、 空虚感に、ますます拍車をかけてゐるといふ感じがする。 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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- 三島由紀夫VS太宰治
639 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:21:51.69 ID:RDYqQoUi - そこで欲望の充足といふことは、ほかの項目にある刺激飢餓といふことに、すぐ引つかかつて来る。ヒロポンとか
パチンコとか麻雀とかに対する狂熱的な欲望も、みんなさういふところに入つて来ると思ふのです。 だから性欲なら性欲といふことを一つ考へても、それにいろいろな条件がからんで来るので、もし性欲が非常に 簡単に満足されるとすれば、何も性欲である必要はないんです。それはある場合においては賭事であつてもいいし、 目先の小さな刺激であつてもいいし、何でもいいわけです。つまり一つの欲望が非常に大事であるといふことに なれば、ほかの欲望もみんな大事であると言へると思ふ。もし性欲の満足が非常に大事な問題であれば、ほかの 欲望もそれぞれ人生の中での大問題になる。一つの欲望の充足がくだらぬことになつてしまへば、ほかもみんな くだらなくなつてしまふ。それが両方から鏡のやうに相投射してゐるから、何も女の子を追つかけなくても、 ヒロポンを打つてゐればいいといふことになる。さうしてヒロポンがこはいといふ人は麻雀をやつてゐればいいと いふことになる。 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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640 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:25:22.15 ID:RDYqQoUi - さういふ点から見てみると、案外今の若い人には――それは新聞や雑誌の言ふやうに性道徳が乱れてめちやくちやに
なつてゐるといふ部分もあるでせうけれども、一部分には何だか全然何も考へないでパチンコばかりやつてゐて 女の子とつき合ふこともない。ヒロポンなんか少し甚だしいけれども、一方では女の子とちつともつき合はないで 麻雀ばかりやつて、うたた青春を過してゐるのも多いんぢやないか。従つてすべてに欲望がなくなつた時代とも 言へるんぢやないかと思ふ。 それから、話は少しずれますけれども、(中略)せちがらい世の中だから無理もないと思ふけれども、小説を 書くといふことを一つの職業として、初めから功利の追求ばかり考へてゐる人が割合に多い。だから芸術の分野でも、 自分の純粋な欲望を充足させるために、ものを書くといふ本源的なものを見失つてゐる人が多いんぢやないか。 芸術なんか一番欲望の源泉に近いとこから出て来たものでなければ人を打たないから、もし全然欲望を失つた状態で 世の中に出て来れば、どうしたつて非常につまらないものになると思ふんです。 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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641 :大人の名無しさん[]:2011/04/16(土) 13:28:14.48 ID:RDYqQoUi - 自分の欲望に根ざした芸術をやるといふことは、結局自分の存在理由(レーゾンデートル)を探すことなんですが、
今の若いゼネレーションには、自分の存在理由を探すなどといふことは考へたくないといふ心理があるんぢや ないかと思ふ。それで自分の存在理由を探すことは、自分の欲望を探すことでもある。さうすると、自分は どうしても絵を描きたいといふ欲望があるならば、それが自分の絵描きとしての存在理由であるといふところまで 突きつめて考へてみなければならない。今はさういふことを考へるのはむづかしい時代かもしれない。(中略) 何でも物事には例外があるのだから、かういふ時代になつて自分のオリジナリティを探すことがむづかしくなれば なるほど、本当の才能といふものは、さういふものを探して行くだらうし、さういふ意味では僕は芸術は決して 時代によつて左右されるものぢやないと思ふ。 (談) 三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より
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