- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
337 :大人の名無しさん[]:2011/03/30(水) 17:16:28.41 ID:voNTAhuW - 花が咲くとは何といふ知恵のかゞやきでせう。咲くとは何といふ寂しく放胆な投身の意味。外へ擲(なげう)つことが
却つて中へ失はしめる勇気のあらはれです。内外の間に存するものをそれは捨てもせず生かしもせずきはめて 爽やかに殺さうと試みるのでした。この生命への不遜がいつか或るより大きな意味に叶つてゐることを信じ させずには舎(お)きませんでした。(中略) 花が咲くとは運命でありませうか。花が咲くとは決心でせうか。僕にはそれがよくわかりません。まことに 荒々しい力が優に美しいものを押しゆるがしそこに震盪と困惑にみちたあまりに、憧れに近いやうな心地を 生み出すのを、人は創造とのどかによびます。運命も決心をもさういふ創造の一党だと私は信じ難かつた。 花が咲くとは風が吹き鳥がうたふやうに、あるおほきな無為から生れたもう動かしがたい痺れたやうな創造だと 僕は思ひました。決心も運命もそこでは投身そのものではなく、投身直前の、あのゆらゆらしたなつかしい虹の 時間でありました。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
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338 :大人の名無しさん[]:2011/03/30(水) 17:17:14.97 ID:voNTAhuW - (中略)
もう一度僕らは同じ質問をくりかへしませう。「花が咲くとは?」「なぜ花は咲く」「いかにして花は咲く」 「なんのために」質問はこのやうに微妙な変様をかさねます。ともあれ花が咲くといふこの言葉、なんといふ なつかしい慰めにあふれた言葉でありませう。それは訪れです。それは一つの便りです。それはある確乎たる海の 訪(おとな)ひのやうなものでした。燕とぶ巷をこえ潮風にきらめく松林の梢はるかに輪廻のやうに音立てゝゐる あの海の訪れでした。(中略) 季節をまちがへずに咲くことはよいことにちがひありません。しかし花が咲くのはそのためばかりではありません。 多くの愛恋から見離され、かずかずの哀しみを拒みながら、抱きつゞけられたひとつの約束を、みごとにいさぎよく 破ることでもありました。さうした清らかな違約は、単なる放恣ではなしに、ある与へられた回帰の命令であつた。 出発への不信からではなく、もはや浄福にまで高められた信頼からもえ出でてくる素直な拒否のしるしであつた。 花を聡明なる宇宙とよぶなら、それはかうした聡明さであらねばならなかつた。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
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339 :大人の名無しさん[]:2011/03/30(水) 17:17:38.60 ID:voNTAhuW - 詩人は今日こそ花が咲く季節々々を呆けてうたつてゐてはならないのです。今こそよみがへる花々の歌が、
その死の意味よりして、切なく奏でられねばなりません。よみがへる日はおほきな回帰の日であつても出発の日とは なり得ません。人々は死ぬやうにしてよみがへる。花々は枯れるごとに咲く。それはたゞ徒爾でせうか。救ひが 来る時、来るのは救ひではなくて、いつも慰め手であるやうに思はれるのです。花々の咲くのがつねに慰め手の 来訪にすぎぬのなら、なぜもつてそれは僕らのよすがになり得ませう。茲(ここ)に待つことのはかりしれない深さが、 菖蒲の園を侵す夕闇のやうに、濃まやかにあたりを籠めて下りてくるのであります。 しかし待つことについて僕らはまだいふべき力をもちません。もつと耐へ、もつと書いてからでなければ。 もつと生き、もつと苦しまねば。さうして莞爾としつゝ心はいつもあらたな悲しみに濯がれてゐることをもつと 学ばなくては。かくして詩人はいつの日も失はれたる預言の遵奉者です。この上なく直截に、「花が咲く」と うたひうる人です。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
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