- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
314 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:33:35.37 ID:sOAZEZiH - 最初の特攻隊が比島に向つて出撃した。我々は近代的悲壮趣味の氾濫を巷に見、あるひは楽天的な神話引用の
讃美を街頭に聞いた。我々が逸早く直覚し祈つたものは何であつたか。我々には彼等の勲功を讃美する代りに、 彼等と共に祈願する術しか知らなかつた。彼等を対象とする代りに、彼等の傍に立たうとのみ努めた。真の 同時代人たるものゝ、それは権利であると思はれた。 特攻隊は一回にしては済まなかつた。それは二次、三次とくりかへされた。この時インテリゲンツの胸にのみ 真率な囁(ささや)きがあつたのを我々は知つてゐる。「一度ならよい。二度三度とつゞいては耐へられない。 もう止めてくれ」と。我々が久しくその乳臭から脱却すべく努力を続けて来た古風な幼拙なヒューマニズムが こゝへ来て擡頭したのは何故であらうか。我々はこれを重要な瞬間と考へる。人間の本能的な好悪の感情に、 ヒューマニズムがある尤もらしい口実を与へるものにすぎないなら、それは倫理学の末裔と等しく、無意味にして 有害でさへあるであらう。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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315 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:34:06.50 ID:sOAZEZiH - しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。誤解しては
ならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を生ずる時、既に 道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ強さを以て執拗に 維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には報いが落ちるであらう。 即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より卑怯に遁(のが)れんと する者には報いが到来するであらう。 我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に対して 早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から目を覆ひ、 国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を声高に叫び、 彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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316 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:34:30.41 ID:sOAZEZiH - 彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に謳歌したのである。 沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。我々は自らに憤り、 又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで持ち来らすに至らなかつた。 軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほどもちながら、 自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。我々は現在現存の 刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。もし我々に死が 訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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317 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:34:50.92 ID:sOAZEZiH - (中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ目賭したのは 「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握されつゝあるが如く直感されたのである。 危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の 意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含するのである。意識内容はむしろネガティヴであり、 意識なる作用そのものがポジティヴであると説明してよからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な 叡智――神である。(中略) 我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その 惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日正午、 異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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318 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:35:19.75 ID:sOAZEZiH - 「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。 我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。 この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみがいかに 同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、これによつて 超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を得るであらうと信ずる。 人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ忘れ果てて泣くのである。この 刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の極小に於て最高最大たりうることを。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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319 :大人の名無しさん[]:2011/03/05(土) 10:44:16.89 ID:sOAZEZiH - (中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。「国民生活を 明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも即刻撤廃せよ」 かくの如きは未だ嘗て大御心より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。この刹那、わが国体は 本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す天皇御親政の世に還つたと 拝察せられる。黎明はこゝにその最初の一閃を放つたのである。 (中略)困難なる事態より国家を救ふの力は、既に一応の教養と智識によつて冷静正鵠なる判断を得たる廿歳以上の 智識青年の内に深く畳める情熱に俟つところ最も大である。真に宇宙の秩序を秩序とする太宗の文化を建設し、 平和世界の憧憬の的たらむ祖国に尽くすべき力は、我々に俟つ。 青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。ますらをぶりは一旦内心に 沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、なよ竹のみさを持せんと力めることこそ、 わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より
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