- 三島由紀夫のオススメ作品@30代板
83 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:07:48 ID:SGg1wRyI - 不吉な宝石によつて投げかけられる凶運の翳といふものを人々はもはや信じまい。尤も
さういふ不信が現代の誤謬でないとは誰も言へまい。現代人は自分の外部に、すべて内部の 観念の対応物をしかみとめない。宝石などといふ純粋物質の存在をみとめない。しかし 人間の内部と全く対応しない一物質を、古代の人たちは物質と呼ばずに運命と呼んだのでは なからうか。精神のうちでも決して具象化されない純粋な精神が、外部に存在して、 ただ一つの純粋物質としてわれわれの内部を脅やかすに至つたのではあるまいか。 死、生、社会、戦争、愛、すべてをわれわれは内部を通じて理解する。しかし決して われわれの内部を通過しないところの精神の「原形」が、外部からただ一つの純粋物質として われわれを支配するのではあるまいか。ともすると宝石は、精神の唯一の実質ではなからうか。 三島由紀夫「宝石売買」より
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84 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:08:40 ID:SGg1wRyI - 報いとは何だらう。そんなものがあつてよいだらうか。報いといふ考へ方は、いま悪果を
うけてゐる者が、むかしの悪因の花々しさに思ひを通はす、殊勝らしい身振にすぎぬではないか。 貴族とは没落といふ一つの観念を誰よりも鮮やかに生きる類ひの人間であつた。たとへば 「出世」といふ行為を離れてはありえぬ「出世」といふ観念を人は純粋に生きることが できないが、そこへゆくと、没落といふ観念はもともと没落といふ行為とは縁もゆかりも ないものなのである。没落を生きてゐるのではなく、「失敗した出世」を生きてゐることに ならう。没落といふ観念を全的に生きるためには、決して没落してはならなかつた。 落下の危険なしにサーカスは考へられないが、本当に落ちてしまつたらそれはもはや サーカスではなくて、一つの椿事にすぎないのと同じやうに。 三島由紀夫「宝石売買」より
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85 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:08:54 ID:SGg1wRyI - 女性のもつ人道的感情はきはめて麗はしいもので、多くの場合、審美的でさへあるのである。
「素敵な指環ですね」――指環に見入つてゐる彼の顔を何の気なしに見上げた久子は、 それかあらぬか、居たゝまれない羞恥を感じた。女の宝石をほめるのは、面と向つて その体をほめるやうなものではなからうか。宝石への誉め言葉が時あつてふしぎな官能の 歓びを女に与へるのはそのためだ。 この青年が持してゐる幸子の男友達にふさはしい軽薄な態度は、決して真底から軽薄に なる筈もないといふ自信をもつた人間のそれかもしれない。さう久子は考へてみた。 そのせゐでこの人は自分の軽薄さを実に軽薄に扱ふ術を心得てゐる。真底から軽薄な人間の 遠く及ばない完全無欠な軽薄さだ。つまり真底から軽薄な人間は自分の軽薄さの自己弁護に ついてだけは真剣にならざるをえないのだから。その範囲で彼の軽薄さは不完全なものに ならざるをえないのだから。 三島由紀夫「宝石売買」より
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86 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:09:07 ID:SGg1wRyI - 「僕にはね、観崇寺さん、五千円といふ名の方がずつと美しく感じられるのです。値踏み
といふ行為が、人間にできるいちばん打算のない行為だとわかつて来ましたのでね。 打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明する ものと同様に、『お金』の他にはありません。打算があつてこそ『打算のない行為』も あるのですから、いちばん純粋な『打算のない行為』は打算の中にしかありえないわけです。 夜があつてこそ昼があるのだから、昼といふ観念には『夜でない』といふ観念が含まれ、 その観念の最も純粋な生ける形態は夜の只中にしかないやうに、又いはば、深海魚が陸地に 引き揚げられて形がかはつてゐるのに、さういふ深海魚をしか見ることのできない人間が、 夜の中になく夜の外にある昼のみを昼と呼び、打算の中になく打算の外にある『打算なき行為』 だけを『打算なき行為』とよぶ誤ちを犯してゐるわけなのです」 三島由紀夫「宝石売買」より
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87 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:09:20 ID:SGg1wRyI - 「さうして値踏みといへば、五千円といふまちがへやうもない名前をつけてやる行為です。
世間一般でよぶ鷲の剥製といふ名の代りに、値踏みをする人は五千円といふ特別誂への名で よびかけます。すると鷲の剥製は、魔法の名で呼ばれたつかはしめの鳥のやうに歩き出して 彼に近づいてくるのです。 動機は何でも結構。たはむれの動機でも、自分の財布と睨めつくらをした上でも、明日の 利潤を胸算用したあげくでも、何でも結構。ただ五千円といふ名はあらゆる動機を離れて 鷲の剥製の属性になつてしまつたのです。人形に魂を吹き入れて『立て!』といふとき、 魔女たちはこれに似た感情を味はひはしないでせうか。人は値踏みによつてのみ対象に 生命を賦与(あた)へることができるのです。これ以上打算のない行為があるでせうか」 三島由紀夫「宝石売買」より
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88 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:11:37 ID:SGg1wRyI - 「何度失敗してもまた未練らしく試みられて際限がないあの錬金術同様に、打算のない
行為といふものは、何度失敗しても飽きることなく求められて来ました。はじめそれは 精神の世界で探されました。宗教がさうですね。お互ひが真に孤独でなければ出来ない行為は、 精神の世界では、愛がその最高のものであり、もしかしたら唯一のものかもしれません。 そこで打算のない行為の原型が愛に求められました。しかし残念なことに、愛は対象の 属性には決してなりえないといふ法則が発見されたのです。これがつまり基督の昇天です。 彼の愛は人間の属性になるには耐へなかつた。孤独の属性になるには耐へなかつた。 そこで人々は精神に代つて『打算のない行為』を演じてくれるものを鉦や太鼓で探し まはりました。ある古伝説の残してくれた証拠によれば、それは物質だといふのですが、 誰もまだそれがお金だといふことははづかしくて言へないのです。尊敬してゐるものを 褒めるといふ芸当はなかなか出来るものではありませんからね」 三島由紀夫「宝石売買」より
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89 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:11:56 ID:SGg1wRyI - 「どうしてそんなにお儲けになりたいの」
「儲けるといふことはお金から『必要さ』といふ弱点を除いてくれますから」 「『必要さ』はお金の弱点ではございませんわ」 「…わたくし共は子供のときから、この世のお金といふものが、たつた一つの宝石を 買ふためにあるのだといふことを知つてをりました。宝石を買ふために、どんな僅かな お金もわたくし共には必要で、その必要なことがお金を美しくしてゐると考へてゐました。 ですからこの宝石を売ることは、世の中からもう一度あの美しいお金をとりもどす ためなのよ。…」 「もつとお怒りなさい。牧原君が許婚だなんて嘘でせう」 「あら、あたくしそんなに嘘つきにみえまして? 嘘つきにみえる方が正直にみえるより 得ではなくつて? だつて安心して本当のことが言へますもの。…」 三島由紀夫23歳「宝石売買」より
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90 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:41:08 ID:SGg1wRyI - 神さまが仰言いました。
「ここまで他人に荒されちや大変だ。わしはだから人間世界へ電報を打たうと思ふんぢやよ。 『わしはもう居ない。わしはもう決してどこにも存在しない』とね」 三島由紀夫24歳「天国に結ぶ恋」より 野外演習の払暁戦で、富士の裾野に身を伏せてながめやつた箱根の山々の稜線の薄明を 思ひ出した。明星が消え残つてゐた。それは事実、ふしぎに大きく、ふしぎにかがやかしく 見えた。ピタゴラスが言つたといふ「天体の奏でる微妙な音楽」の、最後までかすかに 尾を引く嚠喨(りうりやう)たる笛の音のやうなかがやきであつた。 名人は演能のさなかにも、幾度かこの星のやうな笛の音を美しい仮面の下からきくのであらう。 それは薄明の山上にあるやうに、老いた名人の感官に、大きな、身近な、手をのばせば とどく星の存在を、たえず触知させてゐるにちがひない。 三島由紀夫24歳「星」より 堕落したつもりで彼は一向に堕落してゐなかつた。一人の女しか知らないことがどうして 堕落であらう。 三島由紀夫24歳「退屈な旅」より
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91 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:41:39 ID:SGg1wRyI - 夥しい薔薇は衰へた高貴な詩人の顔へ花冠を向けてゐた。彼らの本質を歌ひ、彼らの存在の
核心を透視した不朽の詩人の顔に向つてゐた。被造物のうちでも最も精妙な最も神秘な 美しい存在が、この詩人の何ものも希はない深い無為の瞳の澄明の前に、われにもあらず 嘗て己れの秘密を売つたのであつた。薔薇はリルケの美しい詩のなかで裏返された いたましい喪失の存在に化した。それは認識の手によつてではなく、運命を共有する一つの 宇宙的な魂の手で、あばかれた羞恥と苦痛なのである。苦痛の思ひ出は、微風のやうに繁みを ゆるがした。薔薇は詩人にその名を呼ばれたものの受苦の上に、詩人をも誘はうと試みた。 リルケの瞳は、恰かもまどろんでゐると見える見事な一輪の薔薇にとどまつた。 葉は蝕まれてゐず、咲具合も頃合である。花弁は深く包まれてゐてしかも艶やかに 倦(たゆ)げである。心もち重みにうなだれ、リルケの目に対してゐた。 三島由紀夫24歳「薔薇」より
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92 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:46:01 ID:SGg1wRyI - 矜りのない人間に自殺は出来ない。同様に傷つけられた自負心は人をたやすく死へ
みちびき入れるものである。 「幸福」などといふ怖るべき観念が人心に宿つて殺人罪を使嗾(しそう)する結果にならぬやう、 私は一社会人の立場に立つて衷心より切望する次第である。 三島由紀夫24歳「幸福といふ病気の療法」より 人生といふものはまるで脈絡もない条理もない感動に充ちてゐる、感動は私たちの心の トンネルを通過する急行列車のやうに過ぎてゐるのだ、何も残らない、永久に感動する心は 永久に純潔な心だ。 心の共有とはなんといふ容易な事柄でせう。黙つてさへゐれば人間の心は永久に一人一人の 共有物でありませう。黙つてさへゐれば思ふままに相手を創造することができます。 相手は私の中で創造られ、私に似て来ます。本当の真実は孤独なものです。愛のためなら 何故真実が要りませう。愛はいつでも真実を敵に廻すべきではないでせうか。 三島由紀夫24歳「舞台稽古」より
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93 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 11:49:29 ID:SGg1wRyI - 世間といふものは、女と似てゐて案外母性的なところを持つてゐるのである。それは
自分にむけられる外々(よそよそ)しい謙遜よりも、自分を傷つけない程度に中和された 無邪気な腕白のはうを好むものである。 巌(いはほ)のやうな顔が愛くるしい笑ひ方をした。強欲な人間は、よくこんな愛くるしい 笑ひ方をするものである。強欲といふものは童心の一種だからであらうか。 残り惜しさの理由は、使ひ慣れたといふ点にしかない。しかしかけがへのない感じは、 これだけの理由で十分であつた。おそらくこれ以上の理由は見つかるまい。 田舎の有力者ほどひがみやすい人種はないのである。 よく眠る人間には不眠をこぼす人間はいつでも多少芝居がかつた滑稽なものに映る。 死のしらせは同情より先に連帯的な或る種の感動で人を結ぶものである。 三島由紀夫24歳「訃音」より
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94 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 12:04:52 ID:SGg1wRyI - 「莫迦な女ですね」――伊原を殊更薄暗い壁際の椅子へ導きながら曽我が言つた。彼の
煙草を持つ指は脂(やに)のためにほとんど瑪瑙いろになつて、しじゆう繊細に慄へてゐた。 「自分を莫迦だと知つてゐるだけになほ始末がわるい。女といふものは、自分を莫迦だと 知る瞬間に、それがわかるくらゐ自分は利巧な女だといふ循環論法に陥るのですね」 かういふ小説風な物言ひに伊原は苛々した。下手な絵描きに限つて絵描きらしく見えることを 好むものである。 そのさなかにゐては軽蔑をしか彼に教へなかつたあの人たちの身の持ち崩し方が、かうして 思ひ出すと、古代彫刻のトルソオの美しさだけは確かに保つてゐたやうに思はれて来る。 闊葉樹の落葉をさはやかに踏みしだきながら、彼は靴底の舗道に崩れる枯葉の音に 焔のやうな・何かしら燃え上るものの響を聞いた。しかし彼の意固地な厚い脣が抵抗して 呟いた。 『いや、あそこには魔がゐる。魔はやさしい面持でわれわれに誘ひをかける。だが彼らが 住むことのできるのは夜に於てだけだ……』 三島由紀夫「魔群の通過」より
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95 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 12:05:13 ID:SGg1wRyI - 中年の女といふものは若い女を見るのに苛酷な道学者の目しか持たぬ点に於て女学校の
修身の先生も奔放な生活を送つてゐる富裕な有閑マダムもかはりはない。 「厭世的な作家?」――伊原には自分を楽天的な事業家と言はれたやうにそれが響いて 聞き咎めた。「そんなものはありはしないよ。認められない作家はみんな厭世家だし、 認められた作家は長寿の秘訣として厭世主義を信奉するだけだ。とりたてて厭世的な 作家なんてありはしない。彼らとてオレンヂは好きなんだ。オレンヂの滓(かす)が きらひなだけだ。この点で厭世家でない人間があるものかね」 曽我はいかにも俗物を嘲笑ふらしいヒロイックな表情で伊原の顔を見つめてゐたが、 その濡れた脣の少年のやうな紅さが、今はじめて見るもののやうに伊原の目を見張らせた。 それはこの間接照明の思はせぶりな暗さの中で、何か紅い貴重な宝石のやうに燦めいてゐた。 三島由紀夫24歳「魔群の通過」より
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96 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:12:09 ID:SGg1wRyI - 頽廃した純潔は、世の凡ゆる頽廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃だ。
愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか? この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反に みちびくのではなからうか? つまり相愛のものが完全に相似のものになりえぬ以上、 むしろお互ひに些かも似まいと力め、かうした離反をそのまま媚態に役立てるやうな心の 組織(システム)があるのではないか? しかも悲しむべきことに、相似は瞬間の幻影のまま 終るのである。なぜなら愛する少女は果敢になり、愛する少年は内気になるにせよ、 かれらは似ようとしていつかお互ひの存在をとほりぬけ、彼方へ、――もはや対象のない 彼方へ、飛び去るほかはないからである。 旅の仕度に忙殺されてゐる時ほど、われわれが旅を隅々まで完全に所有してゐる時はない。 三島由紀夫「仮面の告白」より
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97 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:12:24 ID:SGg1wRyI - ……下手なピアノの音を私はきいた。
(中略) そのピアノの音色には、手帖を見ながら作つた不出来なお菓子のやうな心易さがあり、 私は私で、かう訊ねずにはゐられなかつた。 「年は?」 「十八。僕のすぐ下の妹だ」 と草野がこたへた。 ――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、 指さきにまだ稚なさの残つたピアノの音である。私はそのおさらひがいつまでもつづけ られることをねがつた。願事は叶へられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の 今日までつづいたのである。何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性が この錯覚を嘲つたことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑つたことか。それにもかかはらず、 ピアノの音は私を支配し、もし宿命といふ言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、 この音は正しく私にとつて宿命的なものとなつた。 三島由紀夫「仮面の告白」より
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98 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:12:39 ID:SGg1wRyI - 想像しうる限りの事態が平気で起るやうな毎日なので、却つてわれわれの空想力が貧しく
されてしまつてゐた。たとへば一家全滅の想像は、銀座の店頭に洋酒の罎がズラリと並んだり、 銀座の夜空にネオンサインが明滅したりすることを想像するよりもずつと容易いので、 易きに就くだけのことだつた。抵抗を感じない想像力といふものは、たとひそれがどんなに 冷酷な相貌を帯びようと、心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の 一つのあらはれにすぎなかつた。 かへりの汽車は憂鬱だつた。駅で落ち合つた大庭氏も、打つてかはつて沈黙を守つた。 皆が例の「骨肉の情愛」といふもの、ふだんは隠れた内側が裏返しにされてひりひり 痛むやうな感想の虜になつた体だつた。おそらくお互ひに会へばそれ以外に示しやうのない 裸かの心で、かれらは息子や兄や孫や弟に会つたあげく、その裸かの心がお互ひの無益な 出血を誇示するにすぎない空しさに気づいたのだつた。 三島由紀夫「仮面の告白」より
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99 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:12:58 ID:SGg1wRyI - 驟雨がやみ、夕日が室内へさし入つた。
園子の目と唇がかがやいた。その美しさが私自身の無力感に飜訳されて私にのしかかつた。 するとこの苦しい思ひが逆に彼女の存在をはかなげに見せた。 「僕たちだつて」――と私が言ひ出すのだつた。「いつまで生きてゐられるかわからない。 今警報が鳴るとするでせう。その飛行機は、僕たちに当る直撃弾を積んでゐるのかも しれないんです」 「どんなにいいかしら」――彼女はスコッチ縞のスカアトの襞を戯れに折り重ねてゐたが、 かう言ひながら顔をあげたとき、かすかな生毛(うぶげ)の光りが頬をふちどつた。 「何かかう……、音のしない飛行機が来て、かうしてゐるとき、直撃弾を落してくれたら、 ……さうお思ひにならない?」 これは言つてゐる園子自身も気のつかない愛の告白だつた。 三島由紀夫「仮面の告白」より
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100 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:13:18 ID:SGg1wRyI - ロマネスクな性格といふものには、精神の作用に対する微妙な不信がはびこつてゐて、
それが往々夢想といふ一種の不倫な行為へみちびくのである。夢想は、人の考へてゐるやうに 精神の作用であるのではない。それはむしろ精神からの逃避である。 半月形の襟で区切られた彼女の胸は白かつた。目がさめるほどに! さうしてゐる時の 彼女の微笑には、ジュリエットの頬を染めたあの「淫らな血」が感じられた。処女だけに 似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。それは成熟した女の淫蕩とはことかはり、 微風のやうに人を酔はせる。それは何か可愛らしい悪趣味の一種である。たとへば赤ん坊を くすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。 私の心がふと幸福に酔ひかけるのはかうした瞬間だつた。すでに久しいあひだ、私は 幸福といふ禁断の果実に近づかずにゐた。だがそれが今私を物悲しい執拗さで誘惑してゐた。 私は園子を深淵のやうに感じた。 三島由紀夫「仮面の告白」より
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101 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 17:15:18 ID:SGg1wRyI - 私は体を離して一瞬悲しげな目で園子を見た。彼女がこの時の私の目を見たら、彼女は
言ひがたい愛の表示を読んだ筈だつた。それはそのやうな愛が人間にとつて可能であるか どうか誰も断言しえないやうな愛だつた。 傷を負つた人間は間に合はせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。 潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。 好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもつとも不徳な 欲望かもしれない。 少女時代から彼女の自慢話が私は好きだつた。謙遜すぎる女は高慢な女と同様に魅力の ないものである。 人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだつて、 立つ力がないとは言ひ切れまい。 三島由紀夫24歳「仮面の告白」より
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102 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 23:29:36 ID:SGg1wRyI - 不在といふものは、存在よりももつと精妙な原料から、もつと精選された素材から成立つて
ゐるやうに思はれる。楠といざ顔をつき合はせてみると、郁子は今までの自分の不安も、 遊び友達が一人来ないので歌留多あそびをはじめることができずにゐる子供の寂しさに すぎなかつたのではないかと疑つた。 凡庸な人間といふものは喋り方一つで哲学者に見えるものだ。 どこかひどく凡庸なところがないと哲学者にはなれない。 手もちぶたさになつた沢田が炬燵の柱を指で叩きだした。いつのまにか郁子も亦、自分の指が 同じやうに炬燵の柱を叩いてゐるのに気づいて、すこし熱くなつた指環の感じられる指を 炬燵蒲団からさりげなく抜いた。 若さといふものは笑ひでさへ真摯な笑ひで、およそ滑稽に見せようとしても見せられない その真摯さは、ほとんど退屈にちかいものと言つてよろしく、中年よりも老年よりも遥かに 安定度の高い頑固な年齢であつた。 三島由紀夫「純白の夜」より
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103 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 23:30:00 ID:SGg1wRyI - 明治時代にはあだし男の接吻に会つて自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。現代ではそんな
女が見当らないのは、人が云ふやうに貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の 推移であるやうに思はれる。ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、一度の接吻に 死を賭けることもできるのだが、生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえない だけのことである。どつちが不感症の時代であらうか? どんな女にも、苦悩に対する共感の趣味があるものだが、それは苦悩といふものが本来 男性的な能力だからである。 秘密は人を多忙にする。怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と附合ふこともできない。 秘密を手なづける方法は一つしかない。すなはち膝の上で眠らせてしまふ方法である。 感情には、だまかしうる傾斜の限度がある。その限度の中では、人はなほ平衡の幻影に 身を委す。といふよりは、傾斜してみえる森や家並の外界に非を鳴らして、自分自身が 傾きつつあることに気がつかない。 三島由紀夫「純白の夜」より
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104 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 23:30:58 ID:SGg1wRyI - 粗暴な快楽が純粋でないのは、その快楽が「必要とされてゐる」からであり、別の微妙な
快楽は、不必要なだけに純粋なのだ。 貞淑といふものは、頑癬(たむし)のやうな安心感だ。彼女は手紙といいあひびきといひ、 あれほどにも惑乱を露はにした一連の行動を、あとで顧みて、何一つ疾(や)ましいところは ないのだと是認するのであつた。彼女は冷静に行動し、何一つ手落ちがなかつたことを 自分に言ひきかせながら、或る日のこと楠と気軽に接吻した。 不安はむしろ勝利者の所有(もの)だ。連戦連勝の拳闘選手の頭からは、敗北といふ一個の 新鮮な観念が片時も離れない。彼は敗北を生活してゐるのである。羅馬(ローマ)の格闘士は、 こんな風にして、死を生活したことであらう。 恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。どちらが より多く相手を苦しめることができるか試してみませう、とメリメエがその女友達へ 出した手紙のなかで書いてゐる。 三島由紀夫25歳「純白の夜」より
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105 :大人の名無しさん[]:2011/01/22(土) 23:32:41 ID:SGg1wRyI - 『女御がみまかつてから、私は蝉の抜殻のやうだ』と帝は考へられた。『何ものも私を
慰めないし、何ものも私を力づけない。この地上で確かなものといつたら、それは何なのだ。 人間が三度三度食事をするといふことか? 地上の確かさはそれに尽きるのか? それだのに、さういふ確かさうなものを見、その確かさに安心してゐる人たちを見ると、 私は笑ひたくなる。女御がゐたときは一刻も永遠のやうに思はれた。幸福な一刻だつたからだ。 今でもやはり、永遠のやうに思はれる一刻がある。不幸な一刻、退屈な耐へがたい一刻だからだ。 してみると、時といふもの、私たちの生きてゐることの唯一の仕方がない理由といふものも、 こんなにあやふやな当てにならないものであらうか? 「時」は私たちの生きてゐることの 徒(あだ)な所以(ゆゑん)をいひきかせるために流れてゐるのであらうか? 三島由紀夫25歳「花山院」より
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