- 弓道総合スレ 十四立目
590 :jhfhjh[]:2010/02/15(月) 01:26:57 ID:HohiY3md - 某サイトに、300年くらい前の弓かも知れないものが、掲載されました。
それは、細村・弓の両端に行くほど幅は狭くなって、先の方では厚みと同じ位になっているのだそうです。 前に書いた私の弓の改造案とも関係していたので、興味を持ちました。 これほど幅が狭いというのは、単に普通の幅の弓を、村を取って細くしたとは考えにくいですね。 つまり、側木の強度の問題で、そんなに側木を薄くは出来ないだろうと考えるからです。 そうすると、初めからヒゴ自体の幅を狭くしていたのではないだろうか、と憶測されます。 その様にする理由、目的は何だったのでしょうか。 ひとつには、この前書いた空気抵抗を減らして、弓力のわりに冴えて矢飛びを良くすること。 同様に、弓力のわりに弓の重量が軽くて扱い易くすること。 現在の弓力は10−12キロらしいのですが、弓の厚みから考えて、当時に於いても弱弓の部類に属するものだったように思います。 そうすると、当時この弓を使っていた人は、体力的には劣っていたように思われます。 女子か、成長過程にある少年、或いは老人かも知れません。 そこで、この弓の作者らしい方なのですが、当時の弓師として一流であったようです。 しかも、特徴のある造りでもあります そうであれば、当時この弓は高価であったはずです。 一般に、当時女子の射手がどの程度居たのか分かりません。 しかし、女子が弓の道で身を立てることは考えにくいですね。 それならば、特別に高価な弓である必要も無く、弓力で選べば良いわけです。 そうすると、少年ですが、習い始めて年限が浅い時期に、高価な弓を手にすることも考えにくいです。 では、老人はどうでしょう。 体力は落ちてきても、若い時の弓の冴えを忘れきれずに、このような特徴のある弓に価値を見出して代価を支払った。 そう考えても、おかしくはないと思います。 さて、もうひとつ、この弓の性質が思い浮かびました。 細村、これと一般的な幅の広い弓との比較ですが、細村の弓の場合は、弓に対する手の内の捻りが溜り難いように思います。 この場合は形状に起因するものですが、材質でいう、グラス弓と竹弓の差のような感じです。 当時も色々な射法が有ったのでしょうが、捻るというより角見の本来の働きを活かせる射手でなければ、引き辛かったのではないのでしょうか。 そうすると、老年の熟達者のイメージが沸いてきます。 これらの憶測を元にすると、300年前に、この弓を引いていた人の薄っすらとした姿が浮かび出てきました。・・・ジッコ完結しました。
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