- 【コント55号】玄和55【玄和会55号】
151 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 10:25:10.42 ID:nndO+LnP0 - >150
玄和会内部の方ですか? 私のように部外者からすると、少なくとも『弁証法・認識論への道』(1994年、今から27年前)にはその様に説いてました。 その当時の「学者と研究者とを区別」した、その研究者の側にカントは位置づけられるとして 嘗ての「アリストテレス・カント・ヘーゲルへの道」の図式は27年間の何処かで崩れたみたいですね。 パラパラと斜め読みしただけなので南郷の近刊の詳細は把握していませんけどね。
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153 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 10:51:01.47 ID:nndO+LnP0 - >152
言っては悪いが、南郷はカントやヘーゲルをまともに読んではいないのだと思われますね。 本人もそう書いていますし、自分のヘーゲルだとかに対する見解は研究会で弟子たちが「カントはこう言ってる、ヘーゲルはこう言ってる」と 持ってきたのと自分の見解が同じだったから、なんてことを説いてます。 ですから、そこには本当に南郷独自の思索があったとは限らない、場合によっては弟子がもってきた 他の学者の見解を自分が考え出したものだと錯覚してる可能性はありますね。 それだけ南郷の文章には正式な学者の論文にあるような「明確な見解」と「そこに至る過程」が皆無なんです。 最近の南郷の本にはカントから直接にヘーゲルの見解に至ることは不可能で、そこにはフィヒテ→シェリング→ヘーゲルの過程を等閑視できないと 書いてある。でもそれはアカデミックなヘーゲル研究者なら何を今更の自明のことらしく、むしろ嘗ての「アリストテレス・カント・ヘーゲル」を 現象論・構造論・本質論という枠組みで並べたところが「在野」の、 戦後の三浦つとむやそれに続く「武谷三段階論」を重視した 人間の系譜を連想させる。
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155 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 11:17:40.59 ID:nndO+LnP0 - >154
まあ、極めて常識的な見解に戻ってしまうと思いますが、現代の最新科学や最新技術を南郷が 理解し解釈できなくても構わないと思うんです。 南郷が発してきた大言壮語から「責任を果たさせたい」との怒りの感情を持つ人もいるかと思うんですけどね。 変な言い方かも知れないが、南郷の執筆はニッチな経済活動なんです。 それを面白いと思って金を払って購入する人間がいる以上は間に入っている出版社の収益にもなるし それで生活を生産できる人間がいるわけです。 ただ、やはり一人一人が自分で判断できる知性を身につける必然性はあるなと思うんです。 何も暴漢に襲われたときの武力的な護身ばかりじゃなく、 己れの知性や主体性を護るための頭脳力のほうの。
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157 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 11:44:02.51 ID:nndO+LnP0 - >156
私は逆に南郷を責めるよりは「そこに自分の可能性がある」と考えたほうが益があると思いますね。 いや、「そこ」といったからって「南郷学派」に入るということではなく、 自分も南郷と同じように執筆活動をして、そこに価値を認めるファンを掴めたなら収入に繋がるわけですからね。 先に見たように南郷は一冊書けば200万円以上の収入を得ているわけですし、そうした家族を養うための収入を 「大人な通知表」と理解する考えも社会にはあるわけですし、 南郷の理論が最新の科学技術や最新の哲学を扱えないのなら、自分がそれを扱って世間に公表したなら 南郷のように200万円、300万円、400万円と収入を得れるかも知れません。 南郷自身がそうしているわけですからね。吉本隆明の『試行』に偶然に執筆するまでは 自分が何かを執筆することで100万円単位の収入になるなんて想像もしなかったのでしょう。 他人にやらせようとする人生よりも自分の主体的な能力を発揮して創造的な活動をしたほうが 何百倍も豊かな人生でしょうからね。
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159 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 12:28:13.35 ID:nndO+LnP0 - >158
おそらくは本格的なアリストテレスの研究書やヘーゲルの研究書よりも南郷の本のほうが売れてる可能性は高いでしょう。 南郷の本は全く本格的じゃありません、だから売れるのだと思いますよ。 そこにニッチな経済的な価値がある。 アリストテレスの哲学が崩壊していくのと同時に近代科学が形成されていったような 誤謬ではあっても壮大なるアリストテレスのような学的知見は南郷の本には有りませんよ。 だから、大学教授の哲学書は読めないけど南郷の本は面白く読めてしまう人間がいるのでしょう。 それは瀬江千史の本も同じで、本格的な医学書に瀬江のような文章は馴染みませんからね。
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161 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 14:10:06.86 ID:nndO+LnP0 - >160
>あらゆる学的カテゴリーを50に分け、体系化 それは驚きですね。 南郷が「今後の私の代表作になる」と述べている『哲学・論理学原論』では 三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』の帰納的な文章を批判していたと思ったから、 南郷の言う「何ともオロソシイこと」という思考の仕方は 現代科学の知見を帰納的に集合論化するように感じ、 いわゆる「合理論的な演繹法からの思考」を重視しているように思ったんだよね。 いま手元にないから正確なことは言えないけど、文章化されて公表されているものは 「内部の講義で言っていた」なんて本当か嘘かの証言?よりは確かに南郷を評価し得るだろうからね。 でも、南郷が『武道と弁証法の理論』で解説している「用語の選び方」を見返せば 南郷の思考パターンは判断できると思うけどね。
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162 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 14:12:10.56 ID:nndO+LnP0 - 『哲学・論理学原論』を見て、三浦や滝村の批判を綴ってるのを読んで
南郷の人生って、そうなんだな〜って感じだね。
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165 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 18:01:23.90 ID:nndO+LnP0 - >163
>唯物論の正当性は最近になり、怪しくなってるね それは興味深いです。宜しければ詳細に説いていただけませんか? ただし、貴兄が学生なり研究者なりのアカデミックな場所に在籍していて、今後そのことに関することを 研究業績として発表しようとの意図をもっていないのでしたら。 アカデミックな研究業績としてカウントされるのは一度も他の場所で発表されていない内容らしいですから、 たとえ同一人物が執筆したものでも一旦このような場所で発表されてしまったものは アカデミックな場所での業績として学術誌に掲載拒否されたりするそうですからね。
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166 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 18:20:44.06 ID:nndO+LnP0 - >163
>現代物理学や量子論からは、 それはもしかして保江邦夫さんのお仕事のようなことを想定されてますか?
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168 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 19:28:40.88 ID:nndO+LnP0 - >167
>ID:LKF7FkEr0 私はそちらの領域は門外漢で無知ですから、ちょこちょこ検索して「光、素粒子にも意志だとか意思がある」と唱えている論者がいるのは理解しました。 その上で、貴兄に誠実さが有るや否や? そこは人と人とが真面目に向き合う上で極めて大切な核心だとご同意いただけることを私は願います。 つまりは、本心では唯物論を疑いないものだと信奉していながらも 背理法的に他者を揶揄するスタンスでないことを願うわけです。
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169 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 19:45:05.11 ID:nndO+LnP0 - つまりは、それぞれの対象を人間が認識していくにあたり「対象の基本単位」というものを規定していこうとする知的営みが
歴史的に形成されます。 例えば「物質の基本構造」として「原子核の周りに電子が回る」ような「物質のモデル」であり、 「細胞膜の中に核や細胞質がある生物の基本単位」のモデルです。 そのような「個別科学としての生物学」は細胞を基本単位として考えますから、細胞という構造を持たない物質を 「唯物論」として生物学の基本単位に据えることはありません。 そして物質の基本単位としての「原子核+電子」を「物質の構成要素」だとは考えても 電子だとか素粒子にバラされてしまった実体は「物質では無い」と理解するのではないか?と思うわけです。
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171 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 21:25:13.75 ID:nndO+LnP0 - >170
>ID:LKF7FkEr0 おっしゃってる事が理解できかねますが? 量子力学だとかスパコンだとか、あるいは「光」だとかは世間一般の常識に照らしても「物理現象」であり、 そこに観念論だとかの議論が顔を出す隙間はないはずでは? 常識的に考えても。 そこを敢えて「観念論」だとか云々するならば、そこにそれなりの必然的な根拠を述べるのが学問を志した人間の作法では? そこを等閑視して強弁してくる量子力学論者で尚且つ南郷学派と関連性があるとの連立方程式の解が導くところは 小河一敏という明治時代の理科の実験家かも知れません?
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173 :名無しさん@一本勝ち[]:2021/09/22(水) 22:09:11.79 ID:nndO+LnP0 - ああ、貴兄の主張の論点は理解しました。
いや、理解したと思います。 その上で私から述べる事はありません。 もしも貴兄がこれから先も今の関心事を探究したいと欲しているならば、 この掲示板で成果を発表していただきたい。
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