トップページ > 武道・武芸 > 2020年01月29日 > Uej/5qOM0

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名無しさん@一本勝ち
剛柔流空手道15

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剛柔流空手道15
808 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 17:49:46.71 ID:Uej/5qOM0
大山先生は組手では決して後ろに下がることはなく、攻撃を捌きながら側面に回って反撃する動きを身上としていた。

剛柔流の型を生かし、
掛け受けからの掌底打ち、手刀上段受けから正拳回し打ちまたは手刀打ち、
相手の肘関節の逆を取る弓張受けからの孤拳[注釈 5]受け猫足立ち[注釈 6]

から下突き[注釈 7]に繋ぐ掛け受け、
猫足立ちから逆技につなぐ掛け受け
など、円型逆突きを基本にした掛け受けからの手技を多用し、手刀・回し打ち・掌底打ちなどの円の攻撃、また、相手の攻撃をかわしながら入る柔の歩法などに長じていた。

しかも、その動きは剛柔流の型の中に見出せるものが多く、大山先生は、ある意味で伝統の空手の動きを組手でそのまま体現できる数少ない達人のひとりであった。[8]
剛柔流空手道15
809 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 17:51:08.53 ID:Uej/5qOM0
まず、大山倍達総裁の組手の構えは左足前の猫足立ちが多かった。

得意技は貫手で目突きと金的蹴りという激しいものだった。
貫手の目突きは、バラ手にして、スナップをきかせて目を突かれると、もう目から涙がポロポロ止まらない。
左前蹴りのあと、右のバックハンドという回転技も良く使っていた。それとよく使っていたのは左足前の構えから「尾麟(びりん)の構え[注釈 8]」のように右手を前に出す。
接近戦だと左足前なのに右手を前に出してきた。これで上体を逆にタメておいて左の掌底を出す。この掌底が真っ直ぐ来る時と振り打ち気味に来る時がある。ほとんど正拳は使わないで、ボディーを突く時でもコントロールして、ほとんど生徒にケガさせなかった。

私は右の正拳が得意だったが、胸などはわざとたたかしてもらったが、胸の汗が私の目にバシッと入り、目がヒリヒリしたことを覚えている。「今のはいいね。もう1回来なさい」という感じだった。
でもたいていは右の正拳で行くと左の掌底がカウンターで顔面に来て、次に総裁の右の拳などが飛んでくる。
剛柔流空手道15
810 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 17:51:45.16 ID:Uej/5qOM0
ほとんど正拳を使わず、掌底で顔面にバチンときたり、みぞおちやアバラを狙う時も掌底でしたね。掌底と言っても体重を乗せ、踏み込んで打ってくるのですごく効きますよ。僕も大山館長の掌底を脇腹に喰い、動けなくなったことがあります。


https://www.weblio.jp/wkpja/content/大山倍達_組手スタイル



ま、年代的に昔の組手は知らんが剛柔流出身の大山さんが剛柔流の技法をよく用いており掌底を多用していたわけだ。
剛柔流空手道15
813 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 18:05:22.37 ID:Uej/5qOM0
剛柔流の三戦も元は開手、本部流も元は開手という結論。
剛柔流空手道15
823 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 19:09:31.27 ID:Uej/5qOM0
wikiより

東恩納寛量のサンチン
現在、剛柔流ではサンチンは握拳で行うが、東恩納寛量のサンチンは開掌(貫手)であったという(比嘉世幸説[5])。
また、比嘉世幸によれば、東恩納寛量のサンチンは呼吸音があまり聞こえず、非常に早いスピードで貫手を繰り出し、ただ引き手の時にスッとするどく短い呼吸音を発していたとされる[6]。
ただし、晩年になると突きの動作はゆっくりしたものに変化した。宮城長順が、中国のサンチンは呼吸音が大蛇がほえる如き音だったという点を東恩納に問いただしたところ、「あれも本物、これも本物です」と答えたという[7]。

東恩納寛量のサンチンが、現在の握拳で呼吸音を強調するように変化した経緯については、宮城長順が師の死後に改良したとする説(比嘉世幸説[8])、
東恩納寛量が改良したとする説(東恩納盛男説[9])の二つがある。
開掌から握拳へ変化した理由は、唐手が沖縄県の学校体育に採用される際、貫手は危険で教育上よくないとして東恩納寛量の手が不採用になったのが遠因とする説がある[10]。
剛柔流空手道15
825 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 19:23:40.71 ID:Uej/5qOM0
本部朝基も顔を突いてると知ったかをかましたが、本来のナイファンチは上段への開手だった。

剛柔流の三戦も元は開手というほとんど常識な事さえ知らないほどの無知だった。


東恩納が拳に変えたのなら許田も宮城も開手の三戦を知るはずもなく、宮城が拳に変えたのなら、ほぼ同時期の弟子の後に東恩流を名乗った許田もそれに合わせたというところだろう。

論破されたら今度は山口が正統とか言い出す始末。
山口も宮城の流れで否定はできないが、沖縄の空手界からの評価は低く、山口だけが正統とは言えまい。

沖縄空手古武道事典でも元々は三戦は開手型だと書いてある。
剛柔流空手道15
826 :名無しさん@一本勝ち[]:2020/01/29(水) 19:25:11.99 ID:Uej/5qOM0
相当な無知、エアー空手、それがid:EklEJqlT0


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