- 空手の型はやるだけ無駄と言う現実112
715 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 2ea3-pyKh [153.232.83.162])[sage]:2019/11/06(水) 07:18:05.61 ID:o4ia3t280 - >>714
そーいうの見たあとだとなぁ 型肯定派がシルエットクイズで何日も考えて「解けた!」とか 思いついたこういうような分解↓ https://youtu.be/BJo5iJT6npg?t=379 が使えるとは思えないんだよなぁ。 左からのフックもヒザ蹴りもグラップリングもまったく無視してる。 いや、あくまで約束組手として理合いを教えるためのもので〜 実際はその理合いを応用として組手で使うのであって〜 とかいう言い訳が目に見えるけど。もしそれが本当だとしても、俺が知る限りでは その理合いとやらを応用するための稽古がまったくといっていいほど存在しない。 俺が知る限り、約束組手から寸止め、防具、フルコンなどの殴り合いの自由組手へ直に ステップアップする。それは本土でも沖縄でもそう。まあ本土で作られた組手の形式を そのまま沖縄で逆輸入してるんだから当たり前といっちゃ当たり前だがな。
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724 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 2ea3-pyKh [153.232.83.162])[sage]:2019/11/06(水) 20:37:33.90 ID:o4ia3t280 - >>718
結局、型の動作の意味をうんうん考えて「解けた!」とかやっても それは自分の頭の中の都合の良い世界で解けた(成功した)話であって 俺はねえ、これ無理だと思うんだよ。俺じゃなくても常識のある人なら誰でも無理だと分かると思うよ。 だけど以前似たような動画を出したところ肯定派の意見はこれ>>204だったからねえ。よっぽど夢見るのが好きみたいだわ。 隠されていた空手を機に、分解というものが見直されて関節なり投げなりのバリエーションを絡めた分解をこじつけるのが すごいブームになって、それまで正しいされていた昭和に作られたシンプルな分解は一気に日陰に追いやられた。 どこもかしこも、なんかもう相手がじっと固まってくれるのを前提で 突いたり肘入れたり関節極めたり投げたりが本来の意味、みたいなさ。 俺は本来の解釈なんてものがそもそも存在しないと思ってるので昔も今も分解はすべて 解釈をこじつけたものだと思ってる。人気があるのは現代の多彩なアクションの解釈だよね。 だけど>>714が紹介してくれたガチの殴り合いとかを見るとさ 皮肉なことに面白くもなんともない昭和の昔に作られた分解の方が 自分も相手も近距離で手数を出し殴り合うガチャガチャっとした攻防において 使えるか使えないかは置いといてまだ「マシ」に思えるんだわ。 昭和の頃にやっていた平安の分解↓ https://youtu.be/dOaZO7xZglc?t=27 少なくとも相手が固まってくれてるのを前提で腕がらみで投げる、なんてのよりかはマシ。
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725 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 2ea3-pyKh [153.232.83.162])[sage]:2019/11/06(水) 20:52:33.66 ID:o4ia3t280 - >>720
そうなんだよねぇ。柔道でやった方が早いんだけど 肯定派の人たちや型オタは、なぜか唐手の世界には柔道とは違った独自の 投げや崩しや関節の技術の積み重ねがあったと思いたがるんだよね。 そしてそれらは型に込められてる、と。 でもそんなもの存在しないから、柔術や柔道から技を借りてくるしかない。 しょせん借り物、劣化コピー。そんなまがいものよりオリジナルの柔術や柔道 の方が優れてるし使えるのは当たり前だよね。 本当に唐手に独自の崩しや投げや関節の歴史があるなら、それこそ相手が 高速で出してくる突きをこっちは受けて掴んで突きを入れて腕がらみで投げる なんていう都合の良い分解を現実に成功させる術理が無ければいけない。 それが出来ないってのは、やっぱり唐手は何にも積み重ねてこなかったって事だと思うよ。
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728 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 2ea3-pyKh [153.232.83.162])[sage]:2019/11/06(水) 21:18:56.26 ID:o4ia3t280 - >>727
漫画や映画や小説の世界だとさ、出してきたパンチに受け技を合わせて 軌道を逸らせてから突いたりする。もちろんフィクションの世界だけじゃなく シルエットクイズしてる人たちはそういう分解を考えたりもする。 でも、俺そういうのを見たり聞いたりするたび、相手が出したパンチの手首に 受け技を合わせれるのなら、相手の手首ではなく相手の顔面なり胴体なりに 受け技をするハズだった拳を着弾させてカウンター取った方がいいじゃん?と思う。 中さんの分解はそこら辺を考慮してか、受け技でなく大体はカウンターから入る分解を教えてるけどね。 手が届く間合いなのに、あえて顔面ではなく繰り出してきたパンチの手首や腕に合わせる理由でについて 考えられる可能性は2つ。1つは西部劇のガンマンの決闘よろしく、頭でも心臓でも狙えるけど、あえて 銃を握ってる相手の手を撃ち抜く事により、被害を最小限に抑えて力の差を教える。 伝統的な鍛錬として小手鍛えなど手首や腕を鍛える理由にも繋がる。 もう1つの可能性として、沖縄唐手は対人稽古をしてこず、その弊害として 頭の中だけで考えた攻防をそのまま具現化しちゃったというお粗末な話。俺はこっちの後者だと思うね。 ここら辺で肯定派の人たちにも>>714についての意見を聞いてみたいな。型の技でどう対処するかとかw
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