- ワッチョイ無し【巨星】骨法です パート19【墜つ】
395 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 10:01:18.49 ID:01VnZaMm0 - >>390
背景が永井豪デザインの甲冑じゃなく、世界心道教のトレードマークみたいな日の丸扇子だね。 猪木スピンクス異種格闘技戦前夜のようだから、1986年昭和61年頃で小柳津弘が入門したての頃かな? (経済的、知名度的にではなくて)内容的にはこの頃が本当の意味で骨法全盛だったかと思う。
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396 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 10:05:45.89 ID:01VnZaMm0 - >>394
言うまでもなくターニングポイント分岐点は間違いなく廣戸聡一・最上晴朗と彼らを慕う実力派道場生の集団脱退だからね。 あれで初期骨法の(特に蹴りなど大技の)技術が殆ど消えた。 小柳津弘は入門したばっかりで初期骨法の技術を修めてなかったし。
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399 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 11:30:37.26 ID:01VnZaMm0 - >>398
武術界なんだこりゃ探訪記・3・カメレオン武術家堀辺正史の軌跡 ・前編 | 小渡樹(おどたつき)の部屋 - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/otackyinkoza/diary/200408190000/
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400 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 11:50:46.78 ID:01VnZaMm0 - >>395
自己レス 骨法の内容的全盛期は恐らくは、 1984〜86年(昭和59〜61年)頃だったのではないだろうか。 廣戸聡一と最上晴朗、そして彼らと一緒に上級門下生が脱会して当時の技術が途絶えてしまった。 以降の骨法は周知の通り迷走の歴史。
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401 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 11:59:58.80 ID:01VnZaMm0 - >>397
カール中川(1987年昭和62年在籍)がそのような事を言ってたね。 彼は廣戸聡一と最上晴朗と有力道場生の集団脱退後に入門して、新指導員小柳津弘から指導されてたみたい。
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409 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2018/11/18(日) 16:14:56.19 ID:01VnZaMm0 - >>406
堀辺正史と廣戸聡一、最上晴朗が共同で創設した初期骨法に於ける「実力派」という意味だよ? それが80年代半ばの話で、当時存在したと思われる公開試合で門戸を開放していたのが東京の極真オープントーナメント(大山倍達)と仙台の北斗旗(東孝)くらいでしょ? こういうのってある程度体力のある若い選手じゃないときついものがあるし、そもそも初期骨法はこういう大会に殴り込むことを想定していない「実践喧嘩」じゃないの? クルマに例えるとサーキットの公式レースと、公道の草レースの違いがあるわけで。 おまけに廣戸聡一や最上晴朗が他流試合に参戦したい、との申し出に堀辺正史はキツくダメ出しをしていたし。 旬を過ぎた廣戸聡一、おまけに金的に重症を負った最上晴朗が脱会後に参加したとしてもキツいと思うよ。 そもそものコンセプトが違うんだし。 機能的識字能力が欠如してないことを祈るよ。。。
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