トップページ > 武道・武芸 > 2018年05月11日 > LHIZ4CJv0

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名無しさん@一本勝ち
名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 85b8-uwJI)
合気道総合スレ三十三教!!!!!
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
【チンオ】合気、合気道、大東流、総合スレ【出禁】 [無断転載禁止]©2ch.net
合気道を語る

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合気道総合スレ三十三教!!!!!
230 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:17:22.06 ID:LHIZ4CJv0
武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。

一つは、
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。
ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)

明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りに書けたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。

合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。

その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。

武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。
合気道総合スレ三十三教!!!!!
231 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:26:55.27 ID:LHIZ4CJv0
武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。というもう一つは、

植芝盛平が内心では武田惣角を軽蔑し、武田惣角と同じように見られたくないと意識があったこと。

武田惣角が大阪に来たときに、盛平が大阪からいなくなったのを、
大東流側では、盛平が逃げた的な書き方をしているが、
要は、これは、嫌いな上司がやってきたので居留守を使ったというのと同じ。
大東流側も合気道側もはっきりと書かないが、みんな分かっていること。

盛平は、それほど惣角を人格的には嫌っていたので、
自分の武道を公にするときには、
相生流(あいおいりゅう)というヘンテコな名称を使ったり、皇武武道という言い方をしたりと、
自分の武道を公にするのに、惣角が使った「大東流」という言葉を避けていた。

もし、惣角が合気柔術という言葉を生み出して使っていたなら、
あれほど人格的に惣角を嫌いで、「あんな人と一緒にされたくない」と思っていた盛平が
惣角が武道名に使っている「合気」という言葉を自分の武道名に使うわけがない。

武道名に「合気」という言葉を使い始めたのは、盛平だから、盛平は自分の武道を合気道と呼ぶことができた。
もし、惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道と名乗っていたら、
惣角と同視されたくないと思っていた盛平は、自分の武道名に「合気」という言葉を絶対に使わなかった。
合気道総合スレ三十三教!!!!!
233 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:41:14.13 ID:LHIZ4CJv0
植芝は、いままでの在来の武道とは全く異なる新しい武道だという触れ込みで合気道を教えようとしたのだから、
いままでの在来の武道が「合気柔術」とか名乗っていたら「合気道」などという言い方をするはずがない。
「大東流」という名称を自分の武道から削った意味がなくなる。

植芝や死んでから、佐川派が
「佐川幸義の稽古日誌のこことここに『合気』と書いてある。だから合気柔術と言い始めたのは植芝より惣角の方が先」
と言い出した。
しかし、これは全くの印象操作。
稽古日誌の標題に「合気術稽古日誌」とか書いてあるわけではない。
何百日分もある日誌の中の、ほんの2日分とか3日分の日誌に「合気」という言葉が出てくるにすぎない。
しかも、「合気」という言葉はあっても「合気柔術」とか「合気武道」という言葉は一切書いてない。
「合気」という言葉があるのは当然で、直心影流や小野派一刀流では江戸時代から稽古で「合気」という言葉を使っていたし、
明治時代には、奇術師が気合いで人を動けなくする大道芸を合気術とか言って、それが世間に広まっていたために、
「気合い」のことを「合気」と言う風潮もあった。
実際、大正11年発行の「日本武術大全」という書には「合気術」という項目があり、その中で気合いのかけ方を解説している。
なので、何百日分の日記の2日分や3日分の記載のごく一部に「合気」という言葉が書いてあっても、
それが惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道とか言っていたという証拠には全くならない。
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
836 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:45:51.95 ID:LHIZ4CJv0
武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。

一つは、
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。
ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)

明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りに書けたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。

合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。

その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。

武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
837 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:46:28.80 ID:LHIZ4CJv0
武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。というもう一つは、

植芝盛平が内心では武田惣角を軽蔑し、武田惣角と同じように見られたくないと意識があったこと。

武田惣角が大阪に来たときに、盛平が大阪からいなくなったのを、
大東流側では、盛平が逃げた的な書き方をしているが、
要は、これは、嫌いな上司がやってきたので居留守を使ったというのと同じ。
大東流側も合気道側もはっきりと書かないが、みんな分かっていること。

盛平は、それほど惣角を人格的には嫌っていたので、
自分の武道を公にするときには、
相生流(あいおいりゅう)というヘンテコな名称を使ったり、皇武武道という言い方をしたりと、
自分の武道を公にするのに、惣角が使った「大東流」という言葉を避けていた。

もし、惣角が合気柔術という言葉を生み出して使っていたなら、
あれほど人格的に惣角を嫌いで、「あんな人と一緒にされたくない」と思っていた盛平が
惣角が武道名に使っている「合気」という言葉を自分の武道名に使うわけがない。

武道名に「合気」という言葉を使い始めたのは、盛平だから、盛平は自分の武道を合気道と呼ぶことができた。
もし、惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道と名乗っていたら、
惣角と同視されたくないと思っていた盛平は、自分の武道名に「合気」という言葉を絶対に使わなかった。
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
838 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 09:47:09.92 ID:LHIZ4CJv0
植芝は、いままでの在来の武道とは全く異なる新しい武道だという触れ込みで合気道を教えようとしたのだから、
いままでの在来の武道が「合気柔術」とか名乗っていたら「合気道」などという言い方をするはずがない。
「大東流」という名称を自分の武道から削った意味がなくなる。

植芝や死んでから、佐川派が
「佐川幸義の稽古日誌のこことここに『合気』と書いてある。だから合気柔術と言い始めたのは植芝より惣角の方が先」
と言い出した。
しかし、これは全くの印象操作。
稽古日誌の標題に「合気術稽古日誌」とか書いてあるわけではない。
何百日分もある日誌の中の、ほんの2日分とか3日分の日誌に「合気」という言葉が出てくるにすぎない。
しかも、「合気」という言葉はあっても「合気柔術」とか「合気武道」という言葉は一切書いてない。
「合気」という言葉があるのは当然で、直心影流や小野派一刀流では江戸時代から稽古で「合気」という言葉を使っていたし、
明治時代には、奇術師が気合いで人を動けなくする大道芸を合気術とか言って、それが世間に広まっていたために、
「気合い」のことを「合気」と言う風潮もあった。
実際、大正11年発行の「日本武術大全」という書には「合気術」という項目があり、その中で気合いのかけ方を解説している。
なので、何百日分の日記の2日分や3日分の記載のごく一部に「合気」という言葉が書いてあっても、
それが惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道とか言っていたという証拠には全くならない。
合気道総合スレ三十三教!!!!!
265 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 19:35:23.95 ID:LHIZ4CJv0
大東流バカすぎ。
必死でコピペしてるが
コピペの内容が言いたいことを全然証明してない。
むしろ、言いたいことが否定され得るようなものばかり。
大東流信者=オカルト武術信者=バカ
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
844 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 19:43:50.09 ID:LHIZ4CJv0
>>842
惣角の教えていた大東流に体系性なんか全くない。
今ある各派の体系は、弟子のそれぞれがまとめたもの。
たとえば、佐川派の体系は佐川幸義が勝手にまとめたもの。
佐川幸義が勝手にまとめたものだから、他の会派の体系と違うのは当たり前だが、
佐川派は、他会派の体系はうちと違うので他会派はニセモノなどと言っている(こういうのを我田引水と言う)。
大東館の秘伝奥義118ヵ条も武田時宗がまとめたもので惣角の体系でも何でもない。
惣角の教え方は、気まぐれで、そのとき、そのときで、やりたい技を見せるだけ。
琢磨会の総伝技は何の体系性もなく、各技がランダムに並んでるだけだが、
基本惣角の教え方はああいう感じ。
伝書にも技名が適当に書いてあるだけ。
合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
845 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 19:51:16.99 ID:LHIZ4CJv0
>>842
大東流を削除したかったのに
なんで合気の方は削除したくなかったのか説明がついてない。
大東流一派(特に佐川派?)の言うことはツジツマがあわないね。

大東流から合気道に大きく技術体系変わってんじゃん。しかも、根本的に。
大丈夫か?大東流。
【チンオ】合気、合気道、大東流、総合スレ【出禁】 [無断転載禁止]©2ch.net
258 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 85b8-uwJI)[]:2018/05/11(金) 19:52:13.47 ID:LHIZ4CJv0
大東流信者(=オカルト武術信者)が完全に狂ってるwwwwwwww
合気道を語る
366 :名無しさん@一本勝ち[]:2018/05/11(金) 19:55:56.64 ID:LHIZ4CJv0
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。

ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)

明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りにかけたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。

合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。

その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。

武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。

つまり、
大東流信者が、合気柔術や合気武道と、武術名に合気を使い始めたのは武田惣角で、植芝盛平がそれをパクったと言うのは、
武田惣角が直心影流や小野派一刀流を学んで剣術の達人だったという話は全くのウソ話ですと言っているに等しいが、
大東流信者はオカルト武術信者でカルト教団信者と同じなので、自分の話の矛盾に全く気がつかない。


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