トップページ > 武道・武芸 > 2017年12月10日 > 204FMkY40

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名無しさん@一本勝ち
生涯続けられる武道・格闘技について考える

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生涯続けられる武道・格闘技について考える
708 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/12/10(日) 09:57:32.94 ID:204FMkY40
>>660
本来の少林寺拳法の宗教的視点における武術の価値とは
暴漢に、より以上の罪を犯させず
火種が小さいうちに消してしまおう、と。
そんな発想ですね。
怪我をさせずに取り押さえるという、技術にもそんな性格が顕れています。
生涯続けられる武道・格闘技について考える
710 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/12/10(日) 10:10:26.01 ID:204FMkY40
暴力の現場において罪を犯させない、と言う以上は
少なくとも暴漢以上の強さは必要です。
生涯続けられる武道・格闘技について考える
713 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/12/10(日) 11:03:36.73 ID:204FMkY40
合気道の教え的には、強さイコール融和でいいのかな?
あるいは融和の核に武的強さを置く、と。
あるいは強さの外郭を融和でくるむ的な?
仮に強さ≦融和としても、でも強さを放棄してないですよね。
合気道的な融和は、強さの上に積み上げられた上澄みであり、
なんであれ、武道団体にとり強さは消しては存続し得ない宿命ですよ。

尤も、その宿命に内在する業に気が付くならば、
個人としては放棄も可能でしょうがね。
生涯続けられる武道・格闘技について考える
714 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/12/10(日) 11:11:10.38 ID:204FMkY40
武が持つ業に気がつきこれを放棄する人なんて
現代の武道家にはたしてどれほどいますかね?
もしもそんな人が近くに現れたなら、
我々は「卒業おめでとう」と言って送り出すだけだろう。
我々の仕事とは、そこに至るまでの範疇のみ、といっても、
それだけでも十分な働きだと思いますが。
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727 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/12/10(日) 17:17:22.50 ID:204FMkY40
>>722
少林寺の道院も大多数はそんな感じですよ。
自分は道場訓(鎮魂)をベースに独りで勝手に掘り下げただけで、
俺みたいな極端なのは少林寺でも稀なほうじゃないかな。
でもこれが俺なりの生涯武道のつもり。


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