- 『竹内流備中伝』について
5 :名無しさん@一本勝ち (アウアウオーT Sadf-+aO5)[]:2017/12/07(木) 22:22:02.83 ID:lfzJ9lCea - テンプレ作成の前に過去ログの主要レスからまとめる事にした
第0部【竹内新流(竹内畝流)武術】より 14 たまいちぐさ 2016/05/07(土) 11:28:45.79 ID:ctDk/Wz60 一岡山県民です。 申し上げますが、「竹内流備中伝」という名の関係道場と岡山県・建部町に 現存する竹内家の流儀「竹内流(宗家・相伝家)」とは、まったく関係ございません。 いきさつを存じておりますゆえ、ここに書かせて頂きます。 現在の「竹内流備中伝」と名乗る前は「竹内流」と称しておりました倉敷にある日新館道場ですが、 インターネットなどで情報が多く寄せられるようになり、岡山県古武道連盟の事務局が判断して、 「日新館は、竹内流を名乗ってはいけない、せめて備中伝とつけるとかしなさい」という折衷案の元に、 『竹内流備中伝』と名乗って活動をしています。 けれども、これはひじょうに紛らわしいことですので、 一岡山県民としてハッキリと書かせて頂きますが、 建部町に現存する日本柔術の源流「竹内流(たけのうちりゅう)」と 倉敷に現存する日新館道場及び分家・京都・聴風館道場のいうところの 「竹内(たけうち)流備中伝」とは、まったく関係ございません。 流儀の多くは武術継承の長い時代を経て、多くの流派に渡って 竹内流(たけうのちりゅう)の技を確認できますので、日本中に広まっております。 けれども、「竹内流備中伝」と「竹内流」はまったく別であるとお考えください。 日本柔術の源流と呼ばれる竹内流は、世界にただ一つ、 岡山県・建部町角石谷にある竹内家(宗家・竹内藤一郎と相伝家・」竹内藤十郎)の「竹内流」のみでございます。
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6 :名無しさん@一本勝ち (アウアウオーT Sadf-+aO5)[]:2017/12/07(木) 22:23:25.73 ID:lfzJ9lCea - 16 たまいちぐさ 2016/05/08(日) 01:30:19.93 ID:k9Wol8k+0
竹内畝流は、架空の流派ではございません。 竹内流より派生した、竹内家一族の流派でございます。 「現存していない」というのは誤りで、後継が途絶え、道場を閉めたことによります。 ですが、道場を閉めただけでして、一族は現在もおられます。 そこに、 「現宗家は「第73世武内宿禰」の称号を持つ古神道の神主・日本史講師・作家、竹内睦泰氏である。」 ということを、岡山県民はここで初めて......拝見させて頂きました。 どなた様によって、宗家を名乗られますよう、 その経緯をぜひ、詳しゅう伺いいたしとうございます。 竹内家一族会もさぞ、驚かれますことと存じます。 22 たまいちぐさ 2016/05/18(水) 12:10:25.59 ID:iW0DgkY00 倉敷の帯高にあります道場のことでございましょう? わたくしが在籍しておりました道場でございます。 「竹内流」と名乗られておられましたそうです。 わたくしが入門した当時、某連盟から竹内流を名乗ることはおかしい、との助言により 便宜上「竹内流備中伝」と称している。というておられました。 わたくしが頂きました免状には「竹内流」とありますが、発行者のお名前は、竹内家の方とは違いましたので、ショックを受けました次第でございます。 竹内流宗家・竹内流相伝家に、倉敷のその道場が竹内流と関係あるか、無いか、お電話ででもお確かめになればわかります。 ハッキリと答えてくださいますよ。
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7 :名無しさん@一本勝ち (アウアウオーT Sadf-+aO5)[]:2017/12/07(木) 22:24:55.54 ID:lfzJ9lCea - 24 たまいちぐさ 2016/05/18(水) 12:34:30.96 ID:iW0DgkY00
岡山の日本柔術の源流 竹内流は、竹内家「一子相伝」でございます。 養子縁組をしてでも継承する一子相伝は、財産、資産もすべても、ということになります。 流儀の技のみを継承するのは「一子相伝」でも「完全相伝」でもございません。 普通に、普及した技を習得した方が道場を開くとき、たいていの場合は流祖はその方になります。 25 たまいちぐさ 2016/05/19(木) 00:08:57.52 ID:gD+pPHAj0 日本柔術の源流「竹内流」の竹内家は、それこそ>>19さまのおっしゃる 半家の竹内家でございますよ。竹内久盛より500年(正確には480数年)、 一子相伝でこられておられます。 岡山県の誇り、以上に日本の誇りかと思います。 竹内家の竹内流宗家、相伝家へ一度、お越しください。 500年前の佇まいをわたくしは存じませんが、夜は暗闇に一点の灯りも みえません。風と緑の香りがするのみでございます。 わたくしは、何度も御伺いさせて頂いて、500年近くの家芸流儀を一子相伝で こられた奇跡のような軌跡を心から、ご尊敬申し上げ、御守りいたしたいと、 そう願っております者でございます。 また、宗家道場と相伝家道場。そこに通われておられます門人の方々も大勢、 おられます。 百聞は一見にしかず、一度お越しください。 いつでも、ご案内させていただきますよ。来られれば、わかります。 なにが真実か。よくわかると思います。 竹内流の心は、竹内家の心そのものなのですから。
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8 :名無しさん@一本勝ち (アウアウオーT Sadf-+aO5)[]:2017/12/07(木) 22:27:09.47 ID:lfzJ9lCea - 35 たまいちぐさ 2016/06/15(水) 20:27:34.69 ID:905USjcT0
岡山県・建部町の竹内家「竹内流」は」、 一子相伝だけでここまでやれてきた!のですよ。 久盛から、2代、3代と竹内流柔術、腰之廻小具足などの技を 日本各地へと、広めて行っています。 私くしは、「竹内流の技である」ことを伝えて行くことは、 どの流派におかれましても構わないことと存じております。 また、「これは、竹内流の技です」と言って、他所の流派が 教えることも学ぶことも、まったくもって構わないことと存じております。 ですけれども、流名を名乗る際、または宗家であると申される際に 「竹内流」という文字を名乗れるのは、元一つ、 岡山県・建部町の竹内流 宗家と相伝家だけでございましょう。 それが、流祖・竹内久盛に対する、せめてもの礼ではあるまいか、と、 私くしは思うものでございます。 また、学術的にみましても「一子相伝」の壮絶なるまでの継承を軽んじてはなりません。 過去から現在までの歴史的史実と、現在から未来への歴史とでは、扱い方が違いましょう? 今となれば、売買されて損失していく多くの古文書などが、 旧家旧宅の解体の折に出てまいります。 それぞれに、取り扱う方々のお気持ち次第で、貴重な古文書の行方は、変わって参りましょう。 ゴミとされてしまうケースもございましょうし、または、大切な研究資料となされる方もおられましょう。 ですが、場合によっては、500年の歴史と、そのネームバリューに、 本家とミスリードさせることも可能です。、 それを薦められたと、仮に考えてみましも、 入門先が、竹内流宗家、竹内流相伝家ではない限りは「竹内流」の免状発行はできません。 それは、宗家・相伝家の歴史と冂脈により継承されます直轄の道場が存在する限りでございましょう? 万が一つにも、失伝してしまうことがあったなら、それは「竹内」の「家」の問題でございます。 その覚悟をもって「一子相伝」ともうしますのですよ。 わたくしは、竹内家の竹内流を県民の一人として、 正確に地元の方々へ伝えたい、そう願う者でございます。
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