- 第9部◆ 竹内流と竹内流(備中伝)の違いについて
64 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 12:26:22.65 ID:JJu4pBpD0 - >>25
>>22 この人の話しはまさに武術の話しをしている それが>>25のあなたにはそうは読めないのですか! 竹内家の女子衆は決して離れてはならない場所がある そこまで書いてもわからないようなら>>25のあなたは武術とは心の構えなどではなく 単なる技術そのものしかないとそう言っているだけだ 竹内家の流儀は他所の家の流儀ではない。 父子相承とはたった二人きりで学ぶものではなく、先代が育てた高弟たちが跡取りを支え育てていくことだ。 今も大勢の高弟が宗家では現宗家を支え、先代の時代の口傳を伝え、そうして竹内家の流儀を後世へと繋げて こんにちまできている。 竹内流 竹内流備中伝 竹内流(備中伝) どう名を変えようとも竹内久盛を先祖にもち 竹内家の流儀を家訓として生きてきた家の者に勝るものなど、よそには一切、皆無であろう
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65 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 12:37:42.50 ID:JJu4pBpD0 - >>63
もし>>63の書いた文章が日新館(備中伝本部道場)の責任ある立場の人間の言葉であるならば 自業自得としか言いようがない。 中山和夫の長男は少年たちを多く教えていたし、今も教え続けている。 その少年たちの保護者、家族、またはシニア部の日新館当時の門人は、館長という不確かで 無責任な人物の弟子でもあったはずだが、関わろうとすることも面倒を見ようとすることも放棄したではないのか。 今回の問題は、過去すでに表沙汰になっても可笑しくはなかった問題だ。 現に岡山大学の古武道部の日新館によるブラインド勧誘、個人的道場の大学構内施設の私物化、先代からの受け継いだ物のなかでも 取捨選択し好都合な物のみ取り入れた結果がこの日新館の今にある。 取真流が連盟から相手にされようがされまいが、そんなことはどうでもよい。 真実がわかった以上、事態が明るみになった以上、襟を正し姿勢を正して変えられるものは変え、正せることは潔く正し 正直に生きて行く姿を少年たちもその保護者も望んでいる。 それに応える事だけが今の取真流眞風館にできることであろう。
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94 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 21:44:19.19 ID:JJu4pBpD0 - >>66
私は角石谷の方ではございません。 大垪和に住む門人だった六左衛門の末裔です 竹内家の流祖祭は山岳信仰の地域の者たちにとっては大切な行事ですよ。 竹内家の愛宕の神様は地元の者には大切ですし、信徒会のような組織もいつの頃から数百年は 続いています。 京都の方でお偉い先生が、久盛様の祀りをなさると知って憤りを覚えます。
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96 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 22:09:28.17 ID:JJu4pBpD0 - 間違っていたらすみませんが、備中伝さんの系譜にある菊池清太夫は藩士岡山の人物で武道指南役だというのなら
竹内ではなくて「武内」を名乗ったのではありませんか? 武内を名乗った農民出の平民も廃藩置県前の平民名字許可令の際には武内を名乗った人は多かった。 そのようにきいとります。 菊池清太夫の墓はどこにありますか? もしもそこに「武内」ではなく「竹内」となっていたなら二度目の苗字許可令の際に「竹内」と変えた可能性が最も高い。 間違えていたならすみません。
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97 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 22:21:27.49 ID:JJu4pBpD0 - 96の補足ですけど
墓所に古い石が残っていませんか? 竹内姓の墓であっても以前は「武内」となっている石が多く並んでいる。これが現実ですですよ。 竹内家が余所さんに竹内姓を名乗っても構わないなどと言う直系の方を聞いた事がありません ましてや久吉様がそのようなことをするというのは考えにくい話しで、荒唐無稽と言うか、 後年に作った挿話でしかないとおもいます。
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103 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 23:43:23.10 ID:JJu4pBpD0 - >>100
建部でここの玉井さんは物凄い活動をしていますよ。
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104 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/10/19(木) 23:54:02.41 ID:JJu4pBpD0 - 中山和夫の長男は少年たちを多く教えていたし、今も教え続けている。
その少年たちの保護者、家族、またはシニア部の日新館当時の門人は、館長という不確かで 無責任な人物の弟子でもあったはずだが、関わろうとすることも面倒を見ようとすることも放棄したではないのか。 今回の問題は、過去すでに表沙汰になっても可笑しくはなかった問題だ。 これを確かな問題として突詰めていってもらいたい
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