- 剛柔流空手道 その13
940 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 00:49:26.99 ID:kq3fgqms0 - >そこら辺の矛盾を検証していくと、どうしてもペッチューリンの作者が誰かになってくるんだよな。
間違えた。スーパーリンペーの作者は誰か、だ。 そもそもの疑問として、宮城が型を変えた変えた言うけど、宮城個人は「私は東恩納先生の型を変えました」って ハッキリ証言残してるのかな? 根本的な問題として、宮城が型を変える必要性というのが分からない。 だって、東恩納先生が教えたものをそのまま教えればいい訳だし。 まあ、百歩譲って型は変えたとしても、型の名前まで変える必要がない。 ペッチューリンの方が古くて、宮城はペッチューリンをスーパーリンペーに名前を変えた。 これも宮城が「私は那覇手の最高型の動作を変えてついでに名前も変えました」って証言残してるのかな? リンペーに名前を変えた。百歩譲ってそれもいいとする。 でも、セーサンやサンセールーは動作変えてるのに何で名前そのままなの?ってなる。 細かく言えば三戦自体も変えてるらしいじゃん。でも名前はそのままだよね。 百歩譲って、動作を変えた、名前を変えたり変えなかったりした、それらもいいとする。 でも、それは宮城の事情であって、摩文仁が教える糸東流の三戦の動作も何でわざわざ 変えなきゃならないの? 剛柔流の三戦と東恩流の三戦が違うのは仕方ないにしても、 同じ東恩納先生の道場で習ってた摩文仁の糸東流の三戦は別に変える必要はなく、東恩納先生が 教えていた三戦をそのままやってもいいハズだし、仮に三戦はニーズに合わせて変えたとしても 十三とか三十六とか壱百零八まで、なぜわざわざ変えなきゃならないんだろう? 剛柔流と糸東流の型は似てる。厳密にはそれぞれの関係者から見れば違いはあるんだろうけど 東恩流の型よりかは、剛柔流と糸東流の型の方がまだ共通性はあるんじゃないだろうか。 許田の東恩流が古い古いと言われてるけど、同じ東恩納寛量の元で修行した宮城と摩文仁の2人の系統の型が似ていて 許田の系統だけ似てないってのは、それはようするに許田が二人と違って東恩納先生の型を変えたからじゃないか?
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941 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 00:51:48.25 ID:kq3fgqms0 - まあ、摩文仁が実は東恩納先生の道場に入門したと言っても
実はロクに習ってなくて、宮城にほとんど教えてもらいました(テヘ っていうのなら、身も蓋もないけど似てるのはしょうがないんだけどね。
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942 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 00:59:09.98 ID:kq3fgqms0 - 唐手普及に専念できる宮城と違って、許田は本職である教職が忙しい。
必然、那覇手の普及というのは宮城がメインになり、許田はそれほど 力を入れなかった、あるいは喧嘩別れか何かして、別々に普及をする ことになった。 そして、当然時間のある宮城の方が普及という面において差をつけた。 教員を退職して、許田が教えようにも剛柔流が普及してしまってる。 東恩流だ何だと正当性を主張しても、教えてる型が剛柔流の型と一緒では 結局兄弟子であろうと何であろうと宮城の一派という位置づけになってしまう。 宮城とは違う独自性を出さなければいけない。ならば教える内容(型の動作そのもの)を 変えてしまえばいい。三戦・十三・三十六の動作を軒並み変えたのも、スーパーリンペーを ペッチューリンという別の名前にして箔をつけたのも、そんな理由があったんじゃないだろうか? 結論 スーパーリンペーの方が古い
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943 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 01:30:11.83 ID:kq3fgqms0 - 本部や船越が書いた古い本でペッチューリンという名前が登場せず
壱百零八(スーパーリンペー)という表記が出てくるのは ペッチューリンというものはそもそも昔から存在せず、 昔から存在したのは壱百零八の方だったから、であるならつじつまが合う。 許田以外にペッチューリンの使い手が居ないというのも道理がいく。 だって変えた張本人が誰にも教えなければ、習いようがないんだし。 スーパーリンペーとペッチューリンの関係について、宮城が言及していないのなら それは兄弟子に気を使って黙したと解釈できる。 でも、この考えは東恩納先生がスーパーリンペーを作ったという前提の元だけど、 東恩納は三戦と十三しか教えてなくて、リンペーないしペッチューリンを許田が 作ったとなると、またちょっと違ってくるんだよな。そうすると、過程は省くが 結果的にペッチューリンの方がリンペーより先に作られたということになる。 どうなんだろうな。自分ひとりだと、どうしても思考に偏りが出る。 ということで、剛柔流の人はどう思う? 匿名だし本当のこと語ってよ。 「諸説はありますが、我々は先人が残した剛柔流を稽古するだけです」とかいう 曖昧で面白みのないレスはいらないからさ。ここだけの話、内部事情をぶっちゃけて欲しい。
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945 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 02:20:33.22 ID:kq3fgqms0 - >>944
>南派羅漢拳に「一百零八」の型がある。 肝心の中身が違うなら意味ないでしょ。 大方、中国の套路の名前だけ聞いてそれにあやかったってところだろうなあ。 >沖縄の武備誌にも白鶴拳と羅漢拳の名前があるじゃん。 お世辞にもまともと言えない中国語で書かれてる日本人創作であろうあの武備誌を 未だに信じてる人居るんだね。ちょっとビックリだわ。 まあ、百歩譲って、武備誌に白鶴拳と羅漢拳の名前があるから、それでなに?
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946 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 02:30:34.96 ID:kq3fgqms0 - もしかして、あれか。
ペッチュウリンを許田と東恩納のどっちが作ったかとか以前に 剛柔流が中国拳法由来とかいうデマの誤解から説いていかなきゃ ならんのか?そんなの武道板ではもうとっくに常識だと思ってた。 面倒だからとりあえずこれ読んどいてくれ↓ hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1491062283/475-476 武備誌同様、出典の明記も何もなく信憑性にかける島袋遺稿とか持ち出して 中国拳法伝来とかいうのも勘弁してね。恥ずかしくてウンザリするからさ。 中国拳法伝来じゃなくても、唐手や剛柔流が素晴らしいことに変わりないんだから 中拳の権威に頼るのやめようよ。そんな事より、ペッチュウリンやスーパーリンペーを 許田と東恩納のどっちが作ったかについて知りたい。どっちだと思う?
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948 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 02:45:48.37 ID:kq3fgqms0 - >>947
無関係ではない。その証拠に三戦なんて名前も動作も似てるじゃん。 伝聞はあったと思う。套路っていうのがあって、一人で突いたり蹴ったり するとかさ。あるいはサンチンといって、こんな感じで構えて、行って戻ってを 繰り返す套路があるよ? とかさ。 中国の方に貿易に行ったり、あるいは中国から沖縄に来た人にそういう事を 聞く機会はあったと思う。それを元に作った。 三戦のように簡単な構成の型なら、伝聞を元に作れるし、あるいは現地で 道場を見学したときに見よう見まねで沖縄に帰って作れるかもしれない。 でも、動作が長くなればなるほど、憶えるのも難しくなるし、また違いも顕著になる。 三戦は似てるのに、十三とか壱百零八とかが似てないのもそういうこと。 現地で見学しても憶えられない、あるいは伝聞だけでは作れなかった。 ただ套路の「名前」だけは知ることが出来る。それにあやかったんだと思う。 外国人が中国に行っても、バカ正直に教えてもらえたりなんてしない。 同じ中国人でも入門できないことだってあるのに。 逆に沖縄に来た中国人が教えるというのも常識で考えにくい。 武術を教えれば当然現地の腕自慢の挑戦を受けなきゃならんし、命にかかわる。 仮にそれを覚悟して教えようにも言葉の壁がある。そもそも昔の中国で拳法を やってるなんてのは当時の琉球と一緒で少数派なのに、都合よくレベルの高い人が 都合よく琉球に来て、都合よく生活基盤を築いて、都合よく言葉の壁も乗り越えて 都合よく腕試しを挑まれて怪我することすら厭わず、現地民に教えてくれる確率なんて 考えるまでもない。 でも、再三言うけど、中国拳法由来じゃなくても剛柔流の価値や素晴らしさに何の影響もない。
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949 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 02:54:12.00 ID:kq3fgqms0 - 木崎先生曰く、セーパイは宮城先生が作った。
これは飲み屋のバカ話ではなく、刊行誌の紙面でハッキリそう書いてるから まあそれなりの責任と覚悟と根拠があってそう言ったんだろうなとは思う。 セーパイとかセイエンチンとかソーチンとか、そういう東恩流にない数字以外の型は 宮城先生か宮城先生の関係者が作ったと思われる。それはいい。逆を返せば、許田が 製作に関わっていないからこそ、東恩流で採用されてないということでもあるし。 問題は、東恩流に伝わる三戦・十三・三十六・ペッチュウリンのうち、どれが許田作で どれが東恩納作なのか。おそらく三戦は東恩納作だと思う。三十六、これは許田作。 分からないのは十三とペッチュウリン。おそらく十三は十中八九東恩納作なんだろうけど 問題はペッチュウリンなんだよな。リンペーとペッチュウリン、二つの名前があるし 許田と東恩納のどっちが作ったのか、判別が今いちつかない。ということで、剛柔流の人の意見聞きたい。
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958 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 17:11:38.89 ID:kq3fgqms0 - >>951
>義村朝義がペッチューリンを東恩納寛量から習ったと書いてるんだが。 ソースは?
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959 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 17:16:20.01 ID:kq3fgqms0 - 自己解決した。
義村朝義「自伝武道記」『月刊文化沖縄』昭和16年。 じゃあやっぱり東恩納が作ったのか。だとすると、結局宮城は何で変えたってことになるなあ。
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961 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 19:14:33.40 ID:kq3fgqms0 - >>960
何年か前にyoutubeに東恩流の型がちょこっと上がってた時期あったでしょ。 剛柔流のスーパーリンペーとそこまでの違いはないように見えたけどな。 むしろ十三の方が差異があったように思う。三十六は見てないんで分からん。
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963 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 20:24:31.43 ID:kq3fgqms0 - >結局、ルールーコーって実在してるの?
いまどき本当に信じちゃってる剛柔流の人なんて居ないでしょ。
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964 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 20:38:16.21 ID:kq3fgqms0 - 別にいいじゃん、中国拳法伝来じゃなくても
数十年前に東恩納や宮城や許田が作った型が剛柔流の正体でも 剛柔流の素晴らしさは変わらない。強さも価値も揺るがない。
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966 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 20:50:38.08 ID:kq3fgqms0 - 居る証明が出来ないんだから、居ないと思われても仕方ない。
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967 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 20:55:23.80 ID:kq3fgqms0 - まー、それでも中国拳法の権威にあやかりたい人たちは
中国が無理やり用意したルールーコーのアテにならない資料を持ち出して信じるだろうね。 >宮城すらわけわからず、中国に調査に行ってるくらいだし、 宮城は源流調査ってのは建前で、目的は別にあったと思うよ。 当然、宮城もルールーコーなんて信じてなかったと思う。 というか、ルールーがどうとかは宮城の没後に高弟の某先生が しきりに言い出したことだよね? 違ったっけ?
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969 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 21:49:24.69 ID:kq3fgqms0 - 宮城はペッチュウリンを習ったかどうかが気になる。
習ったけど動作や名前を変えてスーパーリンペーにしたのか 習えないからペッチュウリンを模した型を自分で創作したのか。 どっちなんだろ。
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971 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2017/05/08(月) 23:39:41.43 ID:kq3fgqms0 - 剛柔流に呉賢貴による中国拳法の技術導入があるなんて聞いたことない。
呉賢貴はただの通訳兼商人。 拳法の素養あんて無いと思うんだよなぁ・・・。あったとしても見たことある程度でしょ。
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