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247 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 07:40:58.27 ID:rVdbF1WW0 - つか帰ってきたデブゴン↓
伝説復活!デブゴン再びー『サモ・ハンis BACK!』特報 https://www.youtube.com/watch?v=E0q8gDupaQw
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252 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:13:08.98 ID:rVdbF1WW0 - >>251
台湾にはもともと原住民(日本時代に“高砂族”と呼ばれた人々)が住んでいたが、 17世紀頃より大陸から大量の漢人が入植が始まる。 それまで台湾を植民地統治していたのはなんと大航海時代のスペイン、オランダであった。 1662年、日本でも「国姓爺」として知られる鄭成功(日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川マツの間に生まれた。つまり“蓮舫”みたいな人w) はオランダを追放し、同島初の漢民族の政治的実体である東寧王国を設立し、明の遺臣として清朝に最後まで抵抗した。 鄭一族の滅亡後、台湾は清の統治下に入り、福建・廣東からさらに多くの漢人が移住してきた。 現在の「台湾人」はこれらの漢人と原住民との混血の結果できあがった民族といえるが、 文化的にはやはり福建・廣東のものを強く受け継いでいる。
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253 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:19:21.26 ID:rVdbF1WW0 - 福建からの移住者は「ビン南人」、廣東からの移住者は「客家人」がメインである。
彼らの中には明末清初にかけて大陸で興った武芸流派を携えてきた人も少なくない。 有名なのは「西螺七嵌」といって台湾中部の客家部落で行われていた武功で、 勤習堂や振興社などといった武館を有していた。 そこで行われていたのは太祖拳、蝶拳、鶴拳、虎拳、蛇拳、猴拳、さらに日本でも知られている金鷹拳などである。
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254 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:26:49.52 ID:rVdbF1WW0 - これらのほかにも台湾の中南部には「漢留」つまり洪門、天地會の組織があり、
福建・廣東系の南派武術が盛んに行われていた。 現在の台湾の首都は台北だが、台湾への漢人の入植は主に台南を中心とした中南部から 始まったため、1895年に台湾が日本に割譲されるまではどちらかというと中南部のほうが 栄えた地域であった。いまも外省人が多い台北は国民党支持者が多いが、南に行くほど台湾独立派や 民進党支持者が多くなる。
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255 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:35:54.36 ID:rVdbF1WW0 - 日本統治時代(1895年〜1945年)の50年間には台湾でも柔道、剣道などが普及したのは事実や。
李登輝なんて剣道二段やし、いまでも台湾にはけっこう剣道愛好家が多い。 しかし上記のような中南部の村落ではやはり伝統的な台湾武術がずっと行われていた。 武術であると同時に村落における伝統的祭祀などともリンクしていたので、 年中行事として住民のほぼ全員が参加するような大イベントも珍しくなかった。 こういうのは「宋江陣」としていまの台湾でもよく見ることができる。 https://www.youtube.com/watch?v=DODIqG7pRb8
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256 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:44:55.72 ID:rVdbF1WW0 - >>251に引用されているレスはコリアン的発想っぽいな(笑
日本統治時代の台湾では確かに日本による開発が進み、台湾人への日本教育も行き届いたが、 その一方で台湾総督府は台湾人の土着の信仰や風俗習慣にはほとんど干渉しなかった。 日本でも全国各地にさまざまな伝統行事があるように、中南部の住民が行う祭祀などは それと同じと考えて存続させてたわけや。 当然武術も特段に反日的な扇動をやらん限りは弾圧されるなんてことはなかった。 韓国人が「ウリナラのマーシャルアーツはすべて日帝の弾圧を受けて消滅したニダ」なんて 主張するのは、台湾の状況と照らし合わせてみるといかにも嘘っぽい(笑
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257 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:48:38.79 ID:rVdbF1WW0 - 終戦後、台湾は国民政府によって統治されるようになり、1949年の大陸の共産化後には
多く移住者が大陸から渡ってきたのはご存知のとおり。 劉雲樵も韓慶堂も鄭曼青も・・・日本で有名な「台湾の武術家」の大半はこれらの外省人である。
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258 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 15:54:24.24 ID:rVdbF1WW0 - ただ、国民政府つまり外省人と日本統治時代からの台湾人つまり本省人とのあいだにトラブルがなかったというわけではないが、
少なくとも武術に関しては比較的共存共栄で仲良くやってた。 国府は台湾の土着の南拳をとくに弾圧することもなかったし、1950,60年代に台湾省國術会や中華民國國術会が発足したときには 本省人武術家も外省人武術家も相当数がこれに参加した。 この時代の本省人には北京語を解さない人も多かったが、やがて南派のカンフーマスターのなかにはわざわざ大陸から伝えられた 太極拳などの北派武術を学ぶ人も増えていった。
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259 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 16:02:18.40 ID:rVdbF1WW0 - >「悲情城市」なんていう映画があるけど、あんな感じの社会で拳法なんか出来たのか激しく疑問を感じる
悲情城市の監督である侯孝賢もじつは外省人(客家系)なのである。 あれは1947年の「二・二八事件」を初めて描いた映画ということで高い評価を得たし、 当時は実際ああいうこともあったんやろうけど、社会の混乱期という点では日本も韓国も台湾も大陸もみな同じ。 日本が敗戦で焼け野原になったからといって日本武道が消滅したか? そやから、多少の混乱はあったにせよ台湾の南拳は現在でもキチンと受け継がれてるわけや。 北派に関しては言うまでもあるまい。
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261 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk [riuyuexia@yahoo.co.jp]:2017/03/29(水) 16:23:55.48 ID:rVdbF1WW0 - >>260
南少林寺における「少林五拳」は龍拳、虎拳、蛇拳、豹拳、鶴拳やから、そういうのの伝統を受け継いでるんやろう。 ジャッキー・チェンも映画のなかでやってるぞ↓(笑 【拳精】五獣の拳の説明をするジャッキー https://www.youtube.com/watch?v=mjk4Ou34ewo
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