- 木村政彦はなぜ 2 [無断転載禁止]©2ch.net
350 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/01/08(日) 01:44:35.95 ID:weLiu6lw0 - 1954年12月22日に力道山対木村戦があり、1955年1月26日力道山対山口戦があった。
力道山対木村戦の手打ち式は1955年2月。 木村の復帰戦(対ゴージャス・マック)は1955年12月−1956年1月。 木村のラウル・ロメロ戦は1956年3月ー4月。 ラウル・ロメロ戦後に木村はメキシコ遠征。 手打ち式以降は再戦要求はしていないはずなので 再戦要求したのは1955年1月までの1ヶ月だけ。 この1ヶ月の間に天覧試合優勝でもらった刀でつけまわしたと思われる。 手打ち以降の1955年3月以降は力道山は東南アジア遠征、 帰国後は 1955年(昭和30年)9月7日 ★東京都体育館で、"メキシコの巨象"ジェス・オルテガと一騎打ち。 1955年(昭和30年)11月22日 ★力道山がキング・コングを破り初代アジア・ヘビー級王者となる。 1956年は欧州、米国など世界遠征。 米国でルーテーズとの世界戦契約、シャープ兄弟再来日の話し合いも。 1956年にシャープ兄弟再来日 ★力道山・遠藤組がシャープ兄弟を破り世界タッグチャンピオンに 再戦ではシャープ兄弟が力道山・遠藤組に勝つ。 (1954年2月のときは力道山組は引き分けはしたが一度も勝つ事はできなかった) シャープ兄弟が米国帰国後、 4団体によるウエイト別日本選手権が開催される。
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357 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/01/08(日) 18:20:56.12 ID:weLiu6lw0 - >>355 さんへ
私は >>354 さんの「あの時代にやるのはかなり難しいぞ」に同意です。 力道山対木村戦のあった頃の日本は格闘技の主流は柔道や相撲のような組技であり、打撃技ではありませんでした。 打撃系で拳闘はありましたが主流ではなく、拳闘は立ち技だけの打撃技だったのでまだ受け入れられたのだと思います。 総合格闘技、バーリトゥード(Vale tudo)で寝転がった相手を滅多打ちにするけんかのような戦い方は当時の観戦物として受け入れなかったと思われます。 力道山対木村戦の動画を観て現代の人たちは「ただのプロレス」「たいした事ない」「思ったほどの迫力ではない」と コメントする方々も多いですがそれは総合格闘技などを見慣れた事もあるでしょう。 この時代の人たちは力道山対木村戦をあまりに凄惨な試合内容と驚いています。 八百長くずれへの批判より凄惨な試合内容への批判が多かったです。 それは当時の新聞報道(毎日、読売など一般紙)を見れば以下のような記事があった事でわかります。 「こんな果し合いになるんでは二度とプロ・レスを見たくない」 「真剣勝負もよいがプロ・レスのショー的面を取り入れた今までのレスの方がよい」 「それは既にショウでもなく、スポーツでもなく、血に飢えた野獣の本能そのものであった。」」 「職業と結ばれたプロ・スポーツをショウとして価値づけていた私には、こうした光景は想像すら出来なかった。」 「スポーツであるならスポーツマンシップか、職業であるならビジネスマンシップがその根底をなすべきではないだろうか」 以上のように力道山対木村戦ですら凄惨な試合内容として当時の人達は受け入れなかったので 総合格闘技のような戦い方を当時の観衆が受け入れるとはとても思えません。 なので1950年代に総合格闘技が日本で流行るとはとても思えないでしょう。 シャープ兄弟戦は観衆が受けいれたが力道山・木村戦を受けれませんでした。 なので力道山も次の山口戦では戦い方を変えています。
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358 :名無しさん@一本勝ち[]:2017/01/08(日) 18:26:36.77 ID:weLiu6lw0 - >>356 さん
>>214 をご覧ください。 動画は力道山・木村政彦対シャープ兄弟戦の動画ですが 13分40秒すぎに木村政彦の柔道時代の試合も紹介されています。
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