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74 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 01:22:08.26 ID:gY2a9CH80 - 12 :名無しさん@一本勝ち:2016/12/19(月) 19:23:14.35 ID:RmOp6J9T0
>形は現実にあっていない技で構成されているのが問題って言っていた師範がいたな。 これはとても大事な意見でね。よく考えて欲しいんだ。 現実にあっていない技というのは、そもそも「実戦性」を前提に考えるから 「あっていない」となる。 でもさ、何でわざわざ現実にあっていない技で型の動作を構成する必要があるのよ? 誰が好き好んで現実にあっていない技で構成しようとするんだ?めんどくせえ。 そうじゃなくてさ、むしろこう考えて欲しい。 現実(実戦)にあっていない技で型を構成した、のではなく 現実(実戦)なんてものは創作時から念頭に無かったから 現実(実戦)にあっていない技で動作が構成されているのは当たり前 こう考えた方がよっぽど自然な流れだし、理にかなってるのよ。 型が使えるかどうかっていう問題はここにあるんだ。議論になるとき、それは必ず 型が実戦を想定して作られたことが前提で、しかし使えないから議論になる。 でも、初めっから殴り合いなんて考慮せずに作った(演武や舞踊目的)なら 非現実的な動作も、現在みんなの道場に深い技術がまったく伝わっていないのも、全て道理なんだよ。 この考えを何べんも言ってんだけど、多くの人は受け入れてくれないんだよな。難しいことじゃないのに。
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75 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 01:23:58.22 ID:gY2a9CH80 - 87 :名無しさん@一本勝ち:2016/12/07(水) 22:23:54.01 ID:YABf1oii0
何回か例え話で書いたことあるけど、ドジョウ掬いの踊りだよ。 いい? ドジョウ掬いの踊りは、水田でドジョウをさんざん取ってきた達人が 技術の集大成としてドジョウ掬いの踊りを作ったんじゃないのよ。 ドジョウ掬いという踊りは、ただドジョウを掬う作業をモチーフにして作っただけなんだ。 だから、あのドジョウ掬いの踊りにドジョウを掬うための深淵な意味なんてつまってないし いくらドジョウ掬いの踊りを極めたところで、本当に水田に行ってドジョウを掬うなんて 出来ないのよ。あくまでドジョウを掬う所作を模しただけの踊りなんだからさ。 型も同じで、深淵な意味なんてないの。 唐手も同じなの。ようするに「攻防」というものをモチーフにした、表現しただけの踊りなの。 ドジョウを掬う動作をモチーフ(あるいは農作業をモチーフ)にしたのと一緒で、 武術っぽいものを踊りとして組み込んだだけのものなんだから、戦闘として使おうとするのがそもそも間違い。 ドジョウ掬いはドジョウを掬えるようになるために作られた踊りじゃないの。 だから所作にドジョウを掬えるようになるための使える意味なんてないの。 みんな深読みしてるだけなの。やろうと思えばドジョウ掬いからだって、使える動作をこじつけたり解釈したり出来るよ。
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102 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:09:26.26 ID:gY2a9CH80 - 728 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/29(金) 00:23:21.44 ID:uw7Y5nxT0
>>709 >組手は体力があるのを前提にやる競技になっている。 >年をとって体力が落ちて組手ができなくなったら、空手自体を >やめてしまうことのないように型が伝承されてるのかもしれない。 逆だよ。昔の唐手家は型だけやってて、組手をやる唐手家の方が全体的に見て少数だった。 組手は痛いし疲れるからなぁ。 痛い思いしたくなかったりシンドイ思いをしたくないから、 痛くも辛くもなく「何だか武術的な練習したっぽい気持ちになれる『型』という存在」が生み出された
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103 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:09:48.57 ID:gY2a9CH80 - 736 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/29(金) 09:11:50.82 ID:uw7Y5nxT0
昔の琉球は唐手やってるヤツなんて限られてたんだし まず100人満たない まあ数十人ってとこだろ たった数十人規模の世界で自由組手もやってないんじゃあ、大した技術なんて生まれるわけねーだろ せいぜい「パンチする時、捻りながら撃つと何か武術っぽいことやってる感じがして良いよ! きっと威力もあるよ!」程度だな。 本土の武術の世界は技術内容や相伝状況を表した伝書の類あんて腐るほどある。素手も武器術も流派も関係なくごろごろある。 それはそれだけ多くの人数が練磨してたから、必然それだけ技術が発達して本に書ける内容があった。 細かい技術を記してる伝書から、隠語や名前だけに公開を留めて記してる伝書までさまざまだが、多くの伝書が残されてることは事実。 唐手の世界に本土の古武術界のような伝書が無いのは、たんに記せる技術内容が無かったし、技術が発達するほど多くの人がやってなかったってだけ。 それを誤魔化すために「琉球では書物にして伝える習慣が無かった」とか苦しい言い訳してる。 琉球の料理にしろ音楽にしろ、唐手と違ってもっと多くの人間がやっていて技術も発達してる他の分野の文化は伝書をきちんと何冊も残してるわ。 都合の良いときだけ沖縄の人間を未開の土人のように「書くという習慣が無かった」とか決めつけて誤魔化してんじゃねーって話だよ。
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104 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:10:49.28 ID:gY2a9CH80 - 737 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/29(金) 09:33:23.11 ID:uw7Y5nxT0
まあ、平安が明治時代という近代に作られて、作った本人(糸州安恒)も存命して教えてたのに 平安初段の第一動作の下段払い追い突きが使えませーん、糸州はこの問題についてどう教えてたのかすら分かりませーん、 ましてや二段、三段、四段の各型の攻防についても初級者用の教えすら作者の糸州が存命していたのにどう教えていたのか伝わってませーん っつーような業界なんだから それより古い型であるパッサイとかクーシャンクーとかなんて平安より輪をかけて意味分かりませんーん、なんてのは当たり前。 そんな不自然な状況なのに、秘密主義だったってだけで本当は深遠な意味があったんだと無理くり自分にウソついて信じようとしてるのが現在の空手界。 信じるのは良いけど技術の発達が未整備だから、こじつけ作業をしなきゃならない。 でもこじつけをしてる現実に耐えられないから、「これはこじつけじゃなくて、型に既に込められてたものだ。型の動作から自分なりの攻防を考えるのは伝統的な修行方法なんだ!」 とか、ありもしない修行方法をさも昔からあったとかまたまた自分にウソをついて、こじつけをしてる現実から目を逸らそうとしてる。まったくもって救えないウソツキばっかりの業界。 こじつけはこじつけで別に良いし、変なイイワケせずハッキリ認めれば誰も文句言わねーと思うよ? 「型の意味が分からないから、こじつけて意味を持たせてます」 ←これが現状だし、実際肯定派がここまでハッキリ認めれば型否定派も文句言わねーよ。 その自分でこじつけた内容が使えるかどうかはまた別の問題の話でさ。
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105 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:12:36.92 ID:gY2a9CH80 - 754 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/29(金) 16:08:33.66 ID:uw7Y5nxT0
>>748 >何をもってこじつけとするか? 最初の段階ですでに「手」にこじつけてるのかもね。 長々と書いてきたけど、俺の中の結論の一つとして 唐手の歴史はこじつけと失伝の繰り返しの歴史というのがある。 例えばナイハンチ。過程をスっ飛ばして結論から書くと 松村がナイハンチに何かをこじつける → 鉤突きに何らかのこじつけが出来た → でも誰にも教えず失伝。 (余談だが、鉤突き以外、とくにな〜んにもこじつけていないか、こじつけたとしても低レベルで非現実的なこじつけだった) 次に糸州がナイハンチに何かをこじつける → 足運びに何らかのこじつけが出来た → でも誰にも教えず失伝。 (余談だが、松村と同じで〜〜〜〜以下略) 次に本部がナイハンチに何かをこじつける → 波返しについて何らかの攻防をこじつけた → でもほとど誰にも教えず失伝。 (松村や糸州と同じで以下略) ちなみに、最初に松村がこじつけた(発見した)鉤突きの「何か」に関しても、糸州や本部には伝わっていないし 鉤突きにしろ波返しにしろ、発見したそれらのシロモノがどれだけ実際に使えるシロモノだったかもやはり怪しい。 ただ、技術がまったく無かった訳じゃない。個人が一代で考えられるレベルでの「突きの威力を少し強くする方法」とか 「蹴りの威力を少し上げる方法」とか、「体を固めて打撃に耐える方法」とか、昔の唐手家ってそういう一芸に秀でた人が 多かったろ? 正拳突きが強かった人が、蹴りも投げも崩しも歩方も全てにおいて秀でていたとは俺は思えない。ただ、他の どの分野がダメでも、突きだけは個人的に何かを発見した、棒の扱いについてはコツを発見した、突きにしろ棒にしろそれだけでは 実際の戦闘になったとき有利に戦いを進めることは出来ないけど、人よりも一つのこの分野だけはちょっとだけ人より優れてるかも。 そういったものを型の中から発見したと称してこじつけていた可能性が非常に高い。 しかし、わずかとはいえ、せっかくこじつけたその技術も、高弟だろうが何だろうが伝えずに失伝。
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106 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:13:34.58 ID:gY2a9CH80 - 755 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/29(金) 16:09:02.44 ID:uw7Y5nxT0
(続き) だから現代に伝わってるのは中身のない型の動作だけ。古伝なんてモノはどこにも無いんだよ。 そして、型に意味がなくて仕方なくこじつける、という行為は今に始まったものではなく昔から 一部でやっていた。糸州が発見した突きの威力を増す方法は現代では伝わっていないし、またその 威力を上げる方法もどこまで威力が上げられるのか(肩を入れれば威力が上がる、程度のシロモノだったんじゃないか?)不明。 誤解の無きよう言うが、師匠に動作の意味を「考えてこい!」なんて宿題出される練習方法なんて 昔の沖縄のどこにも無かったけど、師匠に型の意味を聞いても分からないし頼りないしで、仕方なく 自分で型に何かをこじつける、という練習方法(?)というか慣習のようなものは昔からあった。それこそ松村の時代から続いていた。 そして自分で考えたからこそ、伝統を伝える重みも責任も発生せず、発見した技術を私物化して 誰に教えることなく墓まで持っていく。それが代々続いていった。繰り返しになるけど、まあ、教えたところで 果たしてそれがどこまで実用に耐えうる実戦的なこじつけだったかは非常に怪しいので、墓まで持っていっても 結果的に大して問題じゃなかったかもしれない。結局組手をあまりやらない個人が一代で考えつく程度の技術、だしね。 そういう訳で、唐手の歴史の結論の一つとして「失伝とこじつけを一代ごとに繰り返していってた」というのを明記しておきたい。 だから現代になっても大した技術が伝わっていないのは当たり前だし、先人達も大した技術を伝承していた訳では無かったのだよ。
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108 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:26:52.96 ID:gY2a9CH80 - 77 :名無しさん@一本勝ち:2016/02/22(月) 02:22:31.68 ID:DxIHEHU10
剛柔流の三戦は、立った状態で膝を締めるとき 膝を内側に締めるのか外側に張るように締めるのか 会派によって違いがある。 基本といわれる三戦ですら、統一的な見解がなく正反対の解釈が複数存在する。 膝を内側に締めるのと外側に張るのと、どっちが正しいか? なぜそんな違いが出るのか? 答えは「どっちも正しい」「三戦には身体操作に段階があり、その人のレベルに応じて締め方も違ってくる」。 こういう解釈が主流だね。三戦には積み重ねられてきた技術や先人達の叡智が詰まってる、というのを前提にしてるから こういう答えになる。それに輪をかけて、現実逃避したい人は、なお更上記のような答えで自分を納得させようとする。 でもね、段階がどうとかじゃなくて、真相は 段階がどうこうじゃなくて、三戦に大した身体操作なんて元からねーから、締めろと言われても何を基準に締めていいのか分からず 会派ごとにそれぞれ締めるやり方をこじつけてるから、外側に張る会派もあれば内側に張る会派も出てくる。 この後に及んで「正しい締め方は失伝した」とかいう現実逃避は勘弁してね。 剛柔流の開祖である宮城がきちんと締めについてちゃんと高弟達に教えていれば こんな会派ごとにこじつけるなんて事態にはならなかった。 じゃあ宮城は何で締めについてちゃんと教えなかったか? ちゃんとも何も、繰り返し書いてるように、組手をやってこなかった古伝唐手に深い理論なんて無いんだから 当然筋肉の精妙な締め方がどうとか、そんな理論も元から無いわけよ。宮城も当然そんなの知らなかったから 弟子に伝えられるハズもなく、とりあえずうわっつらだけ「締めろ」としか言えなかったわけ。 締めじゃなくて呼吸でも同じだよ。息吹だっけ? カーハー言いながら呼吸をやってるけど 締め同様、呼吸の深い技術や理論なんて育ってないんだから、とりあえずのうわっつらだけしか教えられない。 だからカーハーやってるけど、それを実戦でどう使うのか、どうリンクしてるのか、修行者自身がよく分からないのが現実。
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109 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:28:09.91 ID:gY2a9CH80 - 81 :名無しさん@一本勝ち:2016/02/22(月) 02:36:12.19 ID:DxIHEHU10
宮城の突きはどういう威力の突きだったのか? 分かりませーん 宮城の突きの威力を生み出す身体操作の方法は? 分かりませーん 宮城の組手はどういうスタイルだったのか? 分かりませーん 宮城は十三の使い方についてどう教えていたか? 分かりませーん クルルンファーは? セーパイは? 三十六は? 分かりませーん 三戦で行う締めや呼吸は他の型でどう応用し組手でどう作用すると教えていた? 分かりませーん たかだか50〜60年前まで生きてた人なのに、これだけ不明ってのは不自然すぎるよね。 でも、もし「型にも本人にも大した技術が備わっていなかったから、実演も説明も出来なかったから」だとしたら? それなら全てつじつまが合うし納得もできる。 誤解のないよう書いとくけど、宮城をディスってるように見えるけど これが船越であっても摩文仁であっても上地であっても糸州であっても、同じことだからね? 宮城の名前を他の名前に変えても、どういう突きの威力でどういう組手スタイルで型の使い方をどう教えていたのか 軒並み不明尽くし。それが唐手という世界です。こんだけ不自然な現実が揃ってるのに、まだ唐手の型は叡智が詰まってて 唐手の先人達も唐手の達人で強かった、とか思い込みたがる現実逃避大好きな輩が集まる世界、それも空手界です。
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111 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:52:29.99 ID:gY2a9CH80 - 99 :名無しさん@一本勝ち:2016/02/22(月) 18:10:17.12 ID:DxIHEHU10
隠されていた空手で有名になった桧垣先生。彼は平安初段の下段払い追い突きの 画期的な分解を発表して注目を集めた。普通なら間合いが詰まってしまって 使い物にならないけど、スイッチステップで使えるようになる、と。 でもさ、少しググれば分かるけど平安の型は糸州安恒が作ったってことを本人も認めてるし その糸州は学校で多くの子供に平安を初めとする唐手を何年にもわたって教えていた。 仕事ではなく私生活でも個人的に弟子を取って唐手を教えていた。高弟も何人も居る。 それなのに、初心者用の平安初段の下段払い追い突きについて糸州がどう教えていたのか残ってないのって、異常だよこれ。 平安は初心者用じゃないっていうなら、パッサイやクーシャンクーでもいいよ。パッサイやクーシャンクーに出てくる不明瞭な動作 について、糸州はどう教えていたのか伝わっていない。 那覇手ではなく首里手でもこんな感じなんだ。言わずもがな、糸州が使ってた突きの身体操作なり組手のスタイルなり得意技なりも不明。 だから平安初段の下段払い追い突きはスイッチステップを使う、とかいうこじつけが一時的にとはいえまかり通ってしまった。 平安初段の第一動作の教えがたまたま失伝してた、とかいうレベルじゃなくて 平安三段も平安五段も、作ったハズの糸州が動作の意味や使い方をどう教えていたのか まったく伝わっていない。これがどれだけ異常なことなのか、いくら言っても伝わらない人には伝わらない。
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112 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 13:53:21.43 ID:gY2a9CH80 - 100 :名無しさん@一本勝ち:2016/02/22(月) 18:19:04.12 ID:DxIHEHU10
三戦にしろ平安にしろね、初心者が習うべき基本の型の時点で、その内容が意味不明、使い方が分かりませんじゃあ もうそれは武道としては致命的なのよ。この現実は入門して誰でも遅くても半年過ぎるころには気づく事なんだよね。 でも、貴方(ID:paHapDPY0)は現実をちゃんと受け止めれる人だけど、多くの人は「型には叡智が詰まってて 先人達は達人で強かった、でも秘密主義で失伝してしまったから現在では伝わってないんだ」みたいに現実逃避 するんだ。それが嫌でね。なんで薄々気づいてるのにあえて自分にウソついてまで目を逸らすのかなって。 こじつけるのは別にいいんだ。三戦の締めがどうだの外旋がどうだの、自分ルールでこじつけるのは別にいい。 でも、それが三戦が元から内包していた技術であるかのように語る輩は気持ち悪い。あまつさへ、自分でこじつけ ときながら「先人の叡智は素晴らしい」とか妄信しちゃう新興宗教の信者みたいな思考は見ていてうんざりするね。
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114 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 21:33:31.39 ID:gY2a9CH80 - 687 :名無しさん@一本勝ち:2015/07/16(木) 10:20:29.28 ID:FoHaOp5G0
>>673 >要するに型の動作は使えないよということなんですね。 使えるハズの型が失伝して使えなくなった、と考えるよりかは 元々唐手の型が創作された時点で実戦的なものではなく、実用も不可能なモノだった と考える方が自然 そもそも、失伝なんてそんな簡単にしない 戦争を挟む、とかならまだしも、松村の時代から本土に船越がやってくるまでの間 失伝するような状況は起こらない むしろ当時の沖縄において学校教育に唐手が導入されたりなど、沖縄で年々唐手人口が増えてきたほどだ にも関わらず失伝した失伝した、と決めつけるけど。そう簡単に失伝なんかしねーよ伝統というのは。 現代ではどこの流派もどこの道場も型の意味が分からない状態。糸州は平安初段の第一動作の下段払い追い突きについてどう教えていた? そう簡単に失伝しないにも関わらず伝わっていないということは、「どこかで失伝した」ではなく 「最初から大した意味なんか込めて作って無かった」ってことだよ。だから現在でも中身が伝わっていない(伝えようがない)。 かなりの確率で、俺は糸州も松村も平安やナイハンチについて意味なんか知らなかったと思うぞ ただ昔から武道っぽい踊り(型)が伝わってるから一応その動作を教えてるだけだった。 ず〜〜〜〜〜〜とそのまま現代まで来たから、型の使い方が不明でこんなことになってる。 不明じゃなくて、最初から存在しなかったんだよ。ただ武術っぽい何かをやってるっていう自己満足になれる踊り(娯楽)、それが型の正体だ。
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118 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 22:44:17.50 ID:gY2a9CH80 - 898 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/10(日) 21:02:37.59 ID:J/aACfT90
空手は沖縄人が作ったものだよ 中国拳法伝来とか箔付けしてるけど、残念ながらこれっぽっちも伝わってないよ。 型の名前が中国語に似てる? 中国拳法をマネて作ったんだからそれっぽい名前は当たり前。 ただしあくまで「それっぽい」だから、武備誌と同じく中国人が見たら意味不明の発音になってる。 套路と型は似てる? 源流が見つかってませんね。 源流は文化革命で失われた? 40近くある空手の型の全てが跡形もなく消えるわけねーだろ。 開祖は中国行って習ってきた? 現実揉んだとして中国語を習得するのだけでも何年もかかるのに ロクに中国語喋れない人間が精妙な武術を伝承するなんて土台無茶な話。 じゃあ中国を身につけながら修行した? 根本的な問題として、言葉もしどろもどろの外国人に排他的な中国人という民族が さらに閉鎖的な武術という世界で、まともに教えると思うか? 金を積めば教える? 金だけムシり取られて終わるわ。 中国や韓国の人間が江戸時代に日本の城で剣術を学んできた、とか吹いてるのと変わらんよ。 まずまとも教えんし、教えたとしてもまあ触り程度だな。竹刀持って適当にふっとけとか、その程度。そんなの剣術習ったウチにも入らんわ。
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119 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 22:46:03.18 ID:gY2a9CH80 - 900 :名無しさん@一本勝ち:2016/01/10(日) 21:17:06.73 ID:J/aACfT90
簡単なモノならコピーしやすい。 例えば、韓国人や中国人が日本の剣術の道場に来て見学したとき「スリアシ」という言葉を聞いた。 地面を摺るようにようにして進んでいる。「どうやらあの歩き方がスリアシというのだな」それくらいは分かる。 だけど、見学や伝聞ではそれが精一杯。 すり足の足運びの間合いや重心のかけ方、どの場面で使うか、それに伴う呼吸や意識の使い方は、などなど。 そういったモノは実際に入門しないと分からない。だからマネられるとしたら、地面をするような歩き方だけってことになる。 ようするに、動作、それも歩く程度の簡単な動作なら入門しなくてもマネる事が出来る。 これが連続する動作、例えばもし剣術の型とかになると、いかに見学してたとて最初から最後までひと目で憶えるのは至難の技になる。 まして目の前でやってくれるとも限らない。途中までやって後は見せない、なんて可能性すらある。 だから入門もしてないのに剣術の型を持ち帰るのは、動画を簡単に見れる現代と違って大昔では実質不可能。 だけど、スリ足程度なら持ち帰れる。何が言いたいか? 空手の世界に話を戻すと、その代表格が三戦。
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120 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 22:46:27.13 ID:gY2a9CH80 - 俺は剛柔流の開祖(東恩納寛量)は中国に行ったことは行ったけど、常識で考えて入門したとは思えない。
中国に行ったのは拳法修行ではなく大方貿易の商売などで行ったってのが本当のところだろう。 ただ、武術は好きだったから(そうでなければ沖縄で道場なんか開かない)、中国行ったときに見学くらいは 許されたかもしれない。あるいは遠めから盗み見るくらいは出来たかもしれない。 突きを出しながら行って帰って終わる型。どうやらそれをサンチンというらしい。 その程度ならコピーできるだろう。呼吸とか重心とかは置いといて、大まかな流れくらいは分かった。 それを自分なりに作ってみて、沖縄で教えたのが俺は剛柔流のサンチンだと思う。 サンチンやったことある人なら分かると思うんだけどね。基本だ基本だ言うわりには、練習した感はあるけど 深い理論はないし他の型とも理論的に結びついてない。それもそのハズ、根本が見よう見真似で作った不安点な シロモノだから、完成度が低いのは仕方ない。コーホーって呼吸したり叩かれたりしたら、練習した感はするけどね。
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121 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 22:48:13.20 ID:gY2a9CH80 - 現在、あちこちで開催されてる空手や空手以外の武道のセミナーで普通に見られる光景にを思い出して欲しい。
講師の人が技をかけたり、体を突ついて体験させたりする。セミナーでなく武道関係の雑誌でも普通に 掲載されてる。この突きを使うとこんなダメージを与えられますよ、とかこの動作の分解はこれですよ、とか。 でも雑誌を読んで突きや攻防の見た目は分かっても、それを同じように再現できない。別に空手に限らず 他の武道もだいたいこんな感じ。そこで道場で習ったり口伝やコツの教授が必要だったりする。 そういうの当たり前の光景。 でも、それを踏まえて考えると、いつも一つ疑問に思うことがあるんだよね。今行われてることが、 なぜ戦前本土に普及に来た唐手家は出来なかったのか? セミナーにしろ雑誌にしろ、やり方を 紹介すれども実用化するには別に実地体験や実技指導が必要。技術を盗まれる心配がなく、 それでいて空手の攻防や突きの性質を現すことができる。でもじゃあ何故昔の唐手家はそれをやらなかったんだろう?
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122 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 22:48:40.49 ID:gY2a9CH80 - 544 :名無しさん@一本勝ち:2015/05/24(日) 23:54:40.30 ID:3DP12GQz0
戦前の時点で唐手の本は複数出版されてるし、武道関係の雑誌も沢山あった。にも関わらず、型の分解や攻防が雑誌や本に載ることは ほとんど無かったし、雑誌や本どころか道場でロクに教えられていないから後年高弟達がこじつけ作業を頑張らなきゃならんハメになってる。 演武の機会や請われて各地に空手の指導に赴くことも沢山あったハズなのに、当時の本土の唐手家達は突きの威力を体験させたりしてない。 というか、道場でさへ船越の突きを食らったとか宮城の突きを食らったとか聞いたことない。 別に力いっぱい殴らずとも、今セミナーでやってるような普通の突きとの性質の違いを体験させる程度の突きすら実地していない。 じゃあ何をやってたかというと、当時の資料を調べると、大まかにいえば空手の本には分解ではなく型の動作の順序説明のみに終始し 訪問指導では型の演武がほとんどで終わってる。摩文仁の本に分解らしきものが載ってるし、演武で約束組手のようなものを行ってる 映像や写真もあることはあるが、全体的な観点で見ればごくごく小数の範疇だし、その少数ですら実用的かと問われれば無理が有り過ぎる。 本土に普及に来た唐手家以外に沖縄に居た唐手家であっても状況は同じようなもの。 なぜ今セミナーでやってるような突きの性質を素人にも門下生にも体験させなかったのか? なぜ攻防を本に載せなかったのか? これらの原因を、俺はそもそも当時はロクな攻防無かったし、 突きにしてもそれほど高度な身体操作とか知らなかったんじゃないかと思う。つまり無い袖は振れない。
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124 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 23:13:13.49 ID:gY2a9CH80 - 607 :名無しさん@一本勝ち:2015/07/12(日) 05:37:07.38 ID:+xjbLrZg0
糸州は100年前には生きてたし本部は70年前に生きていました。 彼らの高弟も当然生きて生活していましたし、有名無名問わず 糸州や本部以外の他の流派を含めて当時の沖縄には唐手学んだ人が沢山居ました。 そんないっぱい居たのに、みんながみんな口を閉ざして型の技術を墓まで持っていってしまったのでしょうか? そんな不自然なことありえるのでしょうか? 常識で考えて、それだけ人が居たのにたかだか100年に満たない時間で急に失伝なんかする訳がない。 にも関わらず流派を問わずどこの道場でも型の意味や使い方が分からないという状態です。 これを読んでる貴方の道場でも伝わってないでしょ? 教えられてたとしても現実には無理のある強引で稚拙な解釈だって薄々気づいてるでしょ? もう一度言うけど、1人か2人しか技術を継承してないならまだしも、当時の沖縄には唐手学んだ人が多く居た。 なのに100年も経たないうちにここまで失伝する訳がない。だけど現実にはもうすっかり意味が分からない状態。 考えられることは1つ。急に失伝なんかしたんじゃなくて、糸州や本部も、その時代の有名無名の他の唐手家たちも 現代と同じで平安初段が使えないしナイハンチも何が目的なんだかよく分からない動作の型、そういう認識だったんだよ。 『無い袖は振れない』(知識が無いんだから教えようがない) だから昔の唐手家はいっぱい居てたかだか数十年しか経ってないにも関わらず現代に技術は伝わってないんだよ。
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126 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 23:14:29.77 ID:gY2a9CH80 - 608 :名無しさん@一本勝ち:2015/07/12(日) 05:56:17.62 ID:+xjbLrZg0
無い袖は振れない 昔の各流派の開祖達や有名な唐手家達の組手談がほとんど無いのも 無い袖は振れないから。つまり型がどうすれば使えるのか分からない以上 戦闘技術を学ぶ基本が不明なんだから組手なんか出来るわけがない。 ほとんどの唐手家の組手スタイルは不明で、どんなワザが得意でどういう威力があったのかも不明。 船越だけ組手やったことない、スタイルも不明で突きの性質も不明、というのならまだ分かるけど、 例えばパっと思いつくだけでも糸州も宮城も花城も摩文仁も東恩納もどういう組手をしてたのか不明。 『無い袖は振れない』(技術が無いから、組手のしようが無い) 一部の異端である本部や屋部はやっていた。 型が意味不明でも、実戦を踏んだ者は実戦で使える動作やワザを経験的に知っていて それを型に当てはめることが出来る。 挙げ受けは使えないけど、カギ突きや裏拳の動作は使えそうだな、とか。 この動作は上手くすれば柔道の○○投げみたいに相手を投げる動きに当てはめる事が出来るな、とか。 だから教えられるとしたら、それらのこじつけを少し教えられる程度。 今とそう変わらない「こじつけ」を元にした個人のちょっとした思い付きの知識を教えるのが関の山。 だから現在の空手界は型が意味不明、分かりやすそうな動作の一つか二つだけ有名な唐手家が教えた痕跡がある程度。 無い袖は振れないからこんな有様なんだよ。失伝したとか夢のある言い方だけど、失う技術自体が既に糸州や本部の時代には無かったんだよ。 個人的には松村の時代でさへ怪しいと思ってる。失伝の一言で思考停止せず考えていけば、型が作られた時点で大した意味なんか込められてなかったって気づくハズだよ。 無い袖は振れない(もともとの型に大した意味なんか無いんだから、意味も使い方も存在のしようが無い)
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127 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2016/12/23(金) 23:15:41.16 ID:gY2a9CH80 - 615 :名無しさん@一本勝ち:2015/07/12(日) 12:01:33.67 ID:+xjbLrZg0
たかだか数十年前まで存命していた各流派の開祖達がどんな組手をしてたのか分からない なんていう時点で胡散臭すぎるでしょ にも関わらず型は叡智の結晶だの技術の結晶だの、凄い凄いともてはやすのだけは得意 そんなに凄いなら開祖達はそれを使って組手したら良かったじゃん 型の通りの動作で攻防しなくても「型で体のこういう使い方を養うと、組手でこういった違いが出る」という風に 教えれば良い。各流派の開祖達がそういう風に門下生達に平安で養った身体操作、パッサイで養った身体操作 サイファで養った身体操作、クルルンファーで養った身体操作などを生徒達に組手形式で教えた形跡が無い 身体操作の部分を呼吸法に置き換えてもいいよ。呼吸法の部分を軸とか重心に置き換えてもいい。 各流派の開祖達は「この型で身につけたこのワザは組手でこういう風に作用する」と口で教えることもせず、見て盗めってことで 実地指導で組手で教えることもない。つまり型を組手に生かす因果関係を開祖達自信が実証も門下生に出来ない体たらくなのに (出来てたら現在こんなスレ立たず、型で何を養い組手にどう活かすか論理的に整備されどこの道場でも教えられてるハズ)、 なぜかみんな思考停止して、型は凄いとか叡智がつまってるとか使えるとか、昔の唐手家は凄かったとか盲目的に言ってる。 型が凄いのではなく、昔の唐手家が凄いのではなく、型に色んな攻防や身体操作をこじつけて構築作業をしてる現代の空手の先生達が偉いし凄いんだ。
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