トップページ > 武道・武芸 > 2016年05月17日 > V9I2EaUF0

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名無しさん@一本勝ち
空手道の 真実の 歴史 [無断転載禁止]©2ch.net

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110 :名無しさん@一本勝ち[]:2016/05/17(火) 08:07:02.95 ID:V9I2EaUF0
>>108
あれは、大山倍達氏そのものが日本人ではないために、武術としての解釈を安直にとらえてしまったことや、数年の稽古のみで『自分はできる』と思ったこと、また本人が生来、怪力の持ち主であったことが複合して、あの極真のスタイルができたことに由来するでしょうね。

当時の琉球の人たちの考え方は、現在の沖縄の人たちがもつ県民性と照らし合わせてみても、一撃必殺という考え方とは、似ても似つかないほど温和で受動的なことは推測できますから、それだけを見ても、おかしいのは明白でしょう。

少し、短慮な行動に走ってしまったがための結果だと思います。
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111 :名無しさん@一本勝ち[]:2016/05/17(火) 08:13:09.37 ID:V9I2EaUF0
>>104
ルールとしては同じものだと思います。

もともと試合では、当てるか当てないかに焦点を絞ってルールが整備されてきた経緯があるようですしね。

ただ、必ずしもルールどおりの行動が、とっさの判断でできるのか?というとそこは疑問なので、「どの程度当てれば、きちんと止めたことになるか」という判断基準が必要になってきます。

そこで「軽く当てるぐらいならヨシ」というので、寸止めとみなされていると。
それを表現するための言葉として「当ててない」というのか「ちょっとしか当ててない」というかの差だと思うのですが。


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