- 二刀流は理にかなった最強スタイル
849 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/28(日) 03:57:09.58 ID:6amshGqJ0 - 二刀流は、というよりも自分に適した流儀を学べばいいと思うよ。
自分にあった技が正解だろう。 日本の二刀にしても神道流やら新陰流に伝わるものは、二天一流などの武蔵流とは違うし。 二天一流にしても野田派と山東派とでは違う。 山東派はさらに色々とあってまた伝承している人によって風格が違う… 大東流も佐川派には太刀二本での二刀があるというし。 小太刀二刀なんてのもある流派もあるそうだ。 薙刀に小太刀なんて組み合わせもあるという。 自分に合った、あるいは好きな、これがいいってのを選択すればいいよ。 まあ自分は両手持ち一刀の流派だがな!
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851 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/28(日) 12:54:54.24 ID:6amshGqJ0 - >>850
どういう思想で…ということについては、やはり当時の生活様式などに左右されているのではないかという推論するしかないかなあ。 あと基本片手剣だったのが、二つにした方が強いよねくらいの発想だったのではないかと思う。 武器は手先の延長であるというのは何処も変わらないわけで… むしろ一部の両手持ち剣がどういう志向の元に作られたのかの方が問題ではないかと思えますね。 日本の古流の場合は二本差しだったからというのが一番解りやすい話ではないかと。 そして恐らく、日本剣術で二刀流が主流にならなかったのは、剣術が爆発的に増えた江戸後期からの人気を支えたのが二本差しをしない町民や農民であるからではないかとも考えられる。 江戸初期だと二刀流主体というのはさすがに少数だけど、二刀流含むにまでいれるとかなりの流派に二刀がある。 というか流派がむちゃくちゃ増えだすのは江戸後期で、初期はそんなに何百もあったわけではないけど。 まあ反証もすぐ可能なんだけどね。 例えば越後二天一流は農村部に普及したというから、二刀を農民が好まなかったというわけでもない、と。 ここらは流派が拡大するために必要な人脈の移動がたまたま二刀流関係には少なかった、と考えるべきかもしれないが。 あくまで自分の、個人の説ではあるが、江戸後期からの剣術人気のニーズに二刀流は乗りきれなかったのではないかと思える。 二天一流が一刀技法をとりいれたりしたのも、そういう事情が背景にあるのではないかと。ここらはあくまで仮説で、調査中だけども。
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853 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/28(日) 20:25:13.36 ID:6amshGqJ0 - >>852
まあ推論しかないから、あくまでも仮説だけど。 『格闘技の歴史』によれば、江戸後期から流派は増えるが、その創始者は多くが半農半士の者だったとか。 当時の剣術のニーズが農村部からあったと考えさせられる。 ただ…世間には八百あったとも言われてる剣術流派で、広く分布しているというのがそもそも少数なわけで。 広まらなかった理由よりも、広まった理由の方が推論しやすいのではないかとも言われましたわ。 武器の組み合わせには色々なものが考えられそうですね。 薙刀に小太刀などもありましたが、他にも何か色々とありそうです。
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