トップページ > 武道・武芸 > 2015年06月15日 > Zah63Piq0

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名無しさん@一本勝ち
黒田鉄山先生と振武舘 21 [転載禁止]©2ch.net

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269 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 06:01:05.56 ID:Zah63Piq0
分かりやすい話が、宮本武蔵にK1のリング上で戦ってくれ、現代武道のルールに従って戦ってくれ、
そこで勝てなければその技術は強くて使えるものとは言えないって言ってるようなものだよなw
ぶつかるだのぶつからないだのもそうだけど、強弱の基準が根本的に違ってるんだから、
同じ世界の中でどちらが強い正しいなんて言っても仕方がないんだよな
特に黒田師範がやっているような技術はぶつかり合った時に強い身体や技ではなくて、
そもそもぶつからずに触れることなく相手を制することのできる、
人を斬らず同時に人に斬られない身体(そこに居て居ない身体)を目指してるんだから、
剣道はともかくとして、そりゃ柔道や空手、現代格闘技の基準や枠内に収めてしまえば使えない
「弱い」っていう評価になるのも当たり前のことなんだよな
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271 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 08:04:05.18 ID:Zah63Piq0
それは柔道家はもちろん現代の居合道家や剣道家が切附や向掛のような型を抜けないっていうのと
格闘家の人だって帯刀の状態で鉄山師と立ち合えって言われたら困るのと同じことだよ
鉄山師が格闘技経験者に当身を入れてみたり、
鉄山師の古い門人が高校の格技の稽古で柔道部員を一方的に投げ落としたって話もあるように、
決して柔術や剣術の身体が一般格闘技に全く使えないと言ってるわけでもないけど、
ただ、何度も言ってるように、求める身体や技術の基準が全然異なってるんだから、
ルールに沿って試合して勝ち負けや強弱を決めてみたところで何の意味も無いって話になるんだよ
そんなところで拘泥していては剣の斬り合い(実戦)では当然生き残れないと
そういうのをまとめてその場しのぎの強弱論として鉄山師は嫌ってるわけでしょ
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273 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 12:15:01.86 ID:Zah63Piq0
適当にって言葉の通り、適当に言ってうまく逃げてる感じがするな
帯刀が嫌なら素手で立ち向かえばいいわけだけど、それにしても同じことでしょ
帯刀だから必ず相手を斬り殺すってわけでもないし、死ぬから困るっていうのは単なる言い訳だよね
型とか流儀の技というよりも同じ身体操作を出来ないことも事実なんだし、
そういう条件を要求されれば現代武道や競技だって対応できないのは事実でしょう
鉄山師の武術にルール制限下の競技試合での強さや一般的な肉体的強靭さを求めるのも同じことだよ
それにK1じゃないんだから柔道家と異種格闘技戦なんて出来るわけがないだろ
一本取られたらって、一太刀斬り込まれれば実戦では致命的なものだとするから、
型で以て人に害されないだけの身体運用=技を練ろうっていうのが基本的な考え方じゃん
試合稽古はその一つの試験場とも言えるけど、基本的には攻防の理論が既に型に全て含まれてるから、
時間的制約のある現在の振武館の稽古では敢えて竹刀の打ち合いを重視しなくなったんでしょ
まして乱捕りなんかは剣の世界の攻防の技術からは乖離してしまってるから昔も今も変わらずやっていないんだよ
振武館の柔術はあくまで剣の世界の柔の技なのであって、現代柔道等の格闘技の理屈と一緒くたに語ってることがそもそもの誤りだな
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275 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 12:52:20.64 ID:Zah63Piq0
それはつまり柔道や剣道は実戦(ここでは古戦場と言った方がいいか)では何の役にも立たないって言ってるも同じだよね
必ずしも斬り殺すわけではないっていうのは、特に鉄山師ほどの技量があれば寸止めでも何でも出来るってことだよ
実際、映像資料でも相手の思念の気配を取って首元近くに抜き付けて止めるっていうのはやって見せてるやん
凄んだって意味ないのは競技武道も同じで、所詮は平和な現代におけるルール有のスポーツ、護身術程度のものであって
命のやり取りの場では全く用立たないって自分で言ってるも同じだよ、君の反論の仕方では
絶対的な強弱や勝敗を決めるのに、
試合は命懸けでやるものじゃないから、殺したら犯罪だから帯刀は無しなんていうのは単に逃げだよね
剣道の世界にだって一本先取試合派の人がいたぐらいでしょ
鉄山師の話にもあったけど、型稽古でさえまさに真剣勝負と言える命懸けの稽古があるぐらいなんだから
なおさら防具をつけて打った打たれたの真剣味のない勝負稽古なんてやる価値が無いって話になるんじゃない
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276 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 13:05:45.74 ID:Zah63Piq0
竹刀を刀と思えって言ったりしてるのに、
真剣を持ってくるのは命に関わるからルール違反だ犯罪だなんていうのはちょっとな
刀や槍や薙刀がこようと、弓や銃がこようと、臨機応変に自分の身体を守れてこその剣であり武術でしょ
勿論それは極意とか到達点であるわけだけど、端から真剣を持ち出されたら困るなんて言ってたらどうしようもない
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279 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 17:10:56.35 ID:Zah63Piq0
人の言葉じりを捉えて逃げの論法にしか徹してないな
古戦場や戦場っていう言い方が嫌なら、単純に剣の斬り合いでいいよ
他の古流派は剣の斬り合いの中で斬られても問題ないって教えてるのか?
剣道や柔道は成立した時代も違えば、斬り合いを目的としたものでもないから、
はじめから真剣勝負には対応できないってことで話は終わってるよ
試合が絶対的な強弱を決めるものなんじゃなくて、
武術において絶対的な強弱が最終的に重要になるんだよ
伝書等の記述から、鉄山師も必然の勝ちを真の勝ちと認めるんだって言ってるじゃん
そのように絶対に打たれない打たせない必然の勝ちを成立させることのできる身体を練るのが
型稽古の一つの眼目なんだって再三言ってるだろ
昨日はたまたま勝てたけど、今日は負けました、さっきは面を打てたけど、
今度は逆に小手を打たれました、なんてことを何年何十年繰り返しても一向に自分の身体すら守れるようにならないのは当然のことだろ
型稽古ですら躱しそこなえば斬られるし、竹刀稽古ですら未熟ならいくらでも打ち込まれるんだから、
真剣勝負なら一太刀食らってお陀仏には違いないし、
そうはならないために、一端目先の勝負からは離れて、相手の攻撃に対して十分に凌いで躱し切ることのできる身体を練ろうとしているんだよ
そのためには寧ろ逆に竹刀稽古の方こそが不十分な稽古形式で、古伝の型に従う外ないっていうのは何度も言及されてることだろ
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280 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 17:23:18.40 ID:Zah63Piq0
泰冶師を批判するわけではないけど、
泰冶師の指導内容ですら本来の武術の稽古としては不十分なものであったことは正義師の言葉でも明らかだしな
鉄山師の言葉では、当時は時代状況もあって型稽古に時間をかけて技を練ることのできる弟子が育たなかったのだろうとも言ってるけど、
そもそもその竹刀稽古ですら相手に打ち込ませたり触れさせるような打突の稽古は弟子に許してないからな
鉄山師の幼少の頃も祖父はもちろん先輩にいくら打ち込んでも全て受け流されて躱されるのが当たり前だったと言ってるし、
そういう条件での稽古だったからこそ、中学生や高校生でも剣道の高段者相手に一方的に打ち込むことができたんだろう
そもそも勝負や試合の捉え方や稽古方法すら同じ竹刀稽古でも異なってるんだから、同世界同次元に比較して論じてみても何の意味も無い
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282 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 17:44:12.17 ID:Zah63Piq0
型の通りにしか動けないのはまだその程度の段階ってことだろ
方便としての型で以て型を超えた自在の動きを手に入れようとしているのに一体何を言ってるんだ
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284 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 21:51:15.60 ID:Zah63Piq0
竹刀稽古は修業の方便であるっていうのと、ルールは方便っていうのでは全然意味が違ってくるだろ
一般に竹刀剣道が当てっことか叩き合いとか揶揄されることがあるのは、
真剣での斬り合いから乖離しすぎている「ルール」を指しての批判だろう
確かに、黒田師範は型稽古万能説に偏りすぎているきらいはあるけど、
剣道や一般格技だって同じことで、打ち合いや試合をやっていれば事足れりと思い込んでいるのも事実だしな
歴史的に見れば腕が立った侍や剣術家たちで古流の型を修めてない人間の方が遥かに少ないのに
窪田清音なんかも竹刀での打ち合いはあくまで技術の末端だって書いてるように、
竹刀の打ち合いや試合稽古に終始するのと、
古流の型をきちんと修めた上で加えて試合稽古をやるのとでは修業の質や意味が全く異なってくるのにな
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286 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 21:54:46.69 ID:Zah63Piq0
古流の型のみで極意に到達するというのも確かに理想論なのかもしれないけど、
そういった古人の教えをそもそも無視して、
現代的な打突稽古試合稽古のみで修業が完遂できるとする方がよっぽど空想めいている気がするな
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287 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2015/06/15(月) 22:02:50.65 ID:Zah63Piq0
>>285
信者なのは確かだけど、竹刀稽古については現実的に復刻するのは不可能だろ
道場や門弟の水準を往時と同じにしょうと思ったら、
全く同じ稽古内容、稽古時間を再現しないといけないわけだけど、現代ではまず無理だしな
その限られた時間の中で何を優先するかということで、
鉄山師は家伝の型稽古を選んだだけなのに、
外野に竹刀稽古もやらないと話にならないなんて言われたって迷惑千万なだけだよw


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