- 【気功】語ろう【武術】
13 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/10/12(日) 09:51:35.93 ID:Ay31M0+Q0 - 中成にも至っていない者は、即「発勁」を持ち出しますが、それ迄には門派固有の筋と力の鍛錬を徹底させます。
この多くは秘匿された内門の「基本功」で入室弟子にならないと普通は学べない程のものです。(今現在はそれでも相当に開かれたものになったとわたくしは思います。) 筋と肉を使わない功夫など踊りです。通常は側近の入室弟子のみが裡々に秘匿されている門派固有の数種の「内功」で身体を練り上げます。 血は気を引き、気は血(≒筋と肉)を引きます。これは吐納導引の考えでもあり、演繹的に達人達が見出した身体全体を強くする為の方法の一つといえましょう。 大成に至り拳打を打ち出すと精錬された内勁が発動してある種の「発勁」打になります。このスピードは「気のスピード」と同等です。内勁も気功を手段として構築するものです。その他の数多の練功にも気功が付随しています。 そのように功夫(体)として練り上げるから、破法・圏法・開法の動作が実戦に通じる発勁法となります。それは即ち霊活な招法となります。 虚実分明の歩法を用いて狡猾に、怜活に、突発的に初動を見せずに撃ち出せるようになります。これも気功のなせるワザと言えます。戦闘式の功夫は保険気功や養生気功は主ではなく従です。 意拳養生站椿もいつでも行うものではありません。練功の中で生体勁を整える動作に付随している場合もございますが、八極拳の内修功のように邪気・魔気を捨て、浄化して、清浄な真気を気功により無尽蔵に取り入れるものもあります。
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- 【気功】語ろう【武術】
14 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/10/12(日) 10:03:09.93 ID:Ay31M0+Q0 - 気功の始まりは中国。その元となったのはインド。クンダリーニヨガです。また道教にも関係する仙術でも純粋培養された筈です。
しかし気功を完成形に持って行ったのは、隠れた中国人がいたとして、日本に今も現存する武の超人でしょうね。 この辺は主観が入りますが、わたくしは勝手にそう思っております。稽古・余興とは実戦とは違います。触れずに戦える人は、その方以外に世界広しといえどもわたくしは存じ上げません。 (総合形式での試合に於いて、変な合気の使い手が潰されたのは無様でしたが、同時に悲しく思えます。)
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15 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/10/12(日) 10:04:43.28 ID:Ay31M0+Q0 - 太極拳はその套路の動き方によれば「気功そのもの」です。しかし多くの者がゆっくり動いているだけで「気功」とはなっていません。どの派の太極拳でもほぼ同様です。
それは真の力抜きと脱力が体現出来ていないからです。勿論これは「出来ていない理由の一つ」に過ぎません。多くの口訣がほかにもあります。 そもそも力抜きと脱力は全く違った概念で中国ではファンソンと一言でしか示唆しないから真意を悟得している者は正しく学んだ者だけです。 ところで「中国語の功夫とは、練度を意味します。」と指摘を受けました。その通りです。多々ある意味の一つです。ただしわたくしが学んだ所では「功夫」を拳術の「一つの技術」として慣例的に用いていました。
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