- 黒田鉄山先生と振武舘 18
968 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 03:34:10.70 ID:jwKij7Gz0 - >>964
基本的な理解が出来てない人だから何を言ってみても仕方がないと思うけど… 何度も言ってるけど遊び稽古は人を投げる稽古でも何でもないから。 どちらかといえば相手に動く気配を察知させずに動く稽古といった方が適切。 正しく筋肉や身体を遣えるかを稽古相手に判別してもらって、ダメな場合は未然に動く気配を察知されて動きを押しとどめられる。 正しく動けた場合のみ、こちらの動きに対して相手が何も反応できない、或いは結果として相手が崩れたり投げられた形になる、 そういう稽古をしているんだよ。 君は柔道家か何かでよっぽど人を放り投げることが好きみたいだけど、 残念ながら柔術であっても投げること自体に執着していては稽古が成り立たないのが現実なんだよ。何故なら相手は剣だから。 重い相手、抵抗する相手をどう合理的に投げ崩すかとか、そういう小手先の技術に囚われていては、それこそ戦場に出た時に斬られてしまう。 それにまともに黒田先生の著作も柔術関係の映像資料も見ずに批判してるみたいだけど、 型で弟子や一般の合気道家、空手家、柔道家、剣道家たちを投げてる映像なんていくらでもあるから。 古参のお弟子さんの話になるけど、柔道経験者を柔術の投げで相手が技をかけてくる機前を捉えて一方的に投げ落とした話もある。
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970 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 03:49:52.70 ID:jwKij7Gz0 - 遊び稽古だろうと投げられなきゃダメって言ってるような人は、
たとえば居合術だと、真の太刀とか一文字、 声抜の型で人を真っ二つにできなきゃダメって言ってるようなもんなんだよな。 (真の太刀は後太刀があるから斬れないこともないかもしれないけど…) 要するに型や遊び稽古を実戦のひな形と捉えている。 そういう理解でも個人の価値観、考えだからいいと思うけど、 それなら黙って柔道でもやっておけばいいって話で、 まともに理解も出来てもいないのに批判するのは滑稽極まりないことだな。 ただ何でもいいからとにかく鉄山師を貶したいだけだろっていう。
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972 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 04:18:27.35 ID:jwKij7Gz0 - 鉄山師に興味持ってる人は基本的に武道経験者が多いだろ。
俺も鉄山師に出会う前は剣道と居合道やってた人間だったし。 自分の意見をどうとらえるかは各人に任せるとして、 朝鮮人がどうとか言い出す人間が何を語ってもな。そういうのが最近の流行りらしいけど。 そういう差別的な語りをする人間よりかは、 一般常識を備えた武術オタクの方がよっぽどちゃんとしてるし、筋の通った批判意見を出してる。 まあそういう人はオタクではなくて大方武道経験者が多いんだろうが。 前に議論?になった人も剣道経験者っぽかったし。
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980 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 10:46:37.96 ID:jwKij7Gz0 - 多くの人(主に近現代人)がそう考えたから先人たちが苦労して編み出した型稽古は廃れていったんだろうな
剣道や居合道をちゃんと学んでもいないのに分かるわけないって>>958を批判してるけど、 それだと、古伝の剣術や居合術をちゃんと学んでもいないのにって自分自身にも返されることになるから、言葉は選んだ方がいいぞ。 現代風に改変された剣道型や制定居合では、古人が伝えた術技をきちんと学んでいるとは全く以て言い難いし。 他にも実戦に出たこともない現代人が実戦性がどうとか偉そうに語ったりということもあるし、 少なくとも現代人は昔の侍の教えに謙虚に教えを請う外はないと思うんだがな。
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981 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 11:15:10.32 ID:jwKij7Gz0 - >>979
>>907はちゃんと読んでるよw どうにかしてでも相手を崩す・投げるっていうのも確かにひとつの稽古の方向性だというのは分かってるよ。 ただ、剣というものを条件として想定する場合、相手の襟をとって投げるとか、腕をつかまれたのを投げるとか、 そういう技のみに執着していたのでは、それ以上の技の発展がおぼつかない、もしくは遅過ぎるという結論に至ったんだと思うよ。 出来れば相手に一切何もさせず(斬らせず)に相手を制したい、またはどれだけ相手の技量が上であろうと傷を負わずに全て回避したい、 そういうレベルに最短で至るためには、絶対的に力を使わない柔らかくて速い剣の理論を満たした相手のみを条件とした 型稽古というものがどうしても必要だったんだろう。 それこそ下の技量の者を相手にするんだったら、鉄山師も言ったりやったりしている通り当身でも何でも入ってしまうのだから、 そもそも型の条件として想定する必要すらなかったんだろうな。 そういう部分で認識のずれがあるから、型では投げれないだのなんだのと揚げ足取りに利用されてしまうんだろう。
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982 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 11:25:27.44 ID:jwKij7Gz0 - どうしても投げたいというのなら柔術にも背負い投げみたいな型はいくらでもあるわけだから、
古いお弟子さんのI田弟さんが高校生の格技の時間にやったというように、 それを使って柔道部員を投げまくればいいわけだしな。 でも>>965も言ってるけど、 もうとっくにそういう次元の技には執着していないんだろうよ鉄山師自身は。
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5 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 17:22:45.73 ID:jwKij7Gz0 - >>1
スレ立て乙。 >>997 話が大袈裟になってるけど言いたいことはまあ分かるな。 黒田鉄山師が現代最高の武術家、極意に達した人と称えられた上原清吉師のことについても、 ちょこちょこ調べてたりするんだけど、 その中で過去の提示板とかも覗いてみたけど、やっぱりというか批判や中傷まがいの書き込みだらけなんだよな。 動画で見せているような体捌きとか技だけではなく、お前らの大好きな実戦や他流試合でも武の実力を示している方なのに。 自分のやってることや自分の考え出した武道論とは異次元の高度な武術の技や理論を見せつけられると、 もうとにかく頭から否定したい批判したい、そういう輩が武道家・武術家、武道オタクの中には少なくないんだよな。 価値観の問題とは言うけど、嫉妬心とか感情が先だった誹謗中傷まがいのものも珍しくないし。 まあそういうものの見方や言動自体がその人の技量そのものを示しているとも言えるけど、 本人たちがそれでいいと思ってるんだからそれでいいんだろうな。
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11 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 19:15:15.51 ID:jwKij7Gz0 - >>9
勝負に拘泥せずに正しい型・構え、正しい太刀・体捌きをっていう方がよっぽど古流の教えの通りだと思うんだが。 これも武術の捉え方の違い、価値観の違いかね。 竹刀の柄の長さについては改心流では定寸よりもさらに長かったみたいだけど、 俺もその理由についてはいまいち理解できてない。 ただ、黒田師範は「半身の構えをとりやすくするため」と、 「太刀(真剣)の運用理論を学ぶため(真剣と竹刀を同一に扱うため)」と、確か説明してた気がする。 柄の長さが違うのに何故同じ?と思うんだけど、 「落とす小手(面)(肩あたりまで切っ先を振り上げて小手に落とす。黒田正郡師曰く、真剣ならぼろっと腕が落ちるらしい。)」と 免許ぐらいになって出来るようになる「絞る打ち(昔は、試合が始まった瞬間にこの打ちで面をとって「ご無礼仕りました。」みたいに遣っていた。)」 を習得するためにはこの長い柄の方が良かったということらしい。
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12 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/10/05(日) 19:32:23.51 ID:jwKij7Gz0 - あとは前後左右に体を捌いて相手に一本も打たせない小手面の高速連打(絶対に走り抜けたりはしない)とか、
超至近距離(鍔迫り合いの距離)での小手面胴の攻防(同格の者同士なら互いに互いの全ての打突を受け流して打ち込む。)とか、 色々竹刀稽古の遣い方があったみたいだな。 あくまで基本は真剣を扱うための輪の太刀筋ということらしいけど、 竹刀稽古はその応用的・補足的なものと見ればいいのかどうなのか。
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