- 黒田鉄山先生と振武舘 17
161 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 21:30:29.23 ID:SBhkBPIL0 - >>157
大東流の伝承では剣術で試合して勝ったともも引き分けたとも言われているが、 その時下江は死の前年(1904年)で目を失明していたとか書いているぞオイ、嘘つき!
|
- 黒田鉄山先生と振武舘 17
163 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 21:41:35.83 ID:SBhkBPIL0 - >>162
コネというか同じ新陰流系統ということで、富山から防具担いで出張稽古でお邪魔したという感じだったみたいだよ 正好師の生前の話だからある程度は年数を絞れると思うけども
|
- 黒田鉄山先生と振武舘 17
171 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 23:07:14.15 ID:SBhkBPIL0 - 証拠が無いとか言い出したら、富山の黒田家をはじめとして江戸以外の地方の侍たちの伝承や逸話なんて殆どが嘘っぱちの妄想ということになりかねないが。
史料に基づいて検証することももちろん大事だが、それも程々に、同じ道を歩むものなら古の修行者の伝説に対して敬意を払うのもひとつの礼儀というものだな 前スレでもあったが、斬った斬れない、どちらが強い弱いなどと、生半可な修行者が偉そうに甲乙つけていいものではないな
|
- 黒田鉄山先生と振武舘 17
174 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 23:26:53.71 ID:SBhkBPIL0 - >>172
東武館の話は合気ニュース刊の『パリ合宿記』に載ってたな。過去の月刊秘伝の記事でも載ってた気が… あと、道場破りじゃなくて出稽古な。全く意味が変わってくるから気を付けなさい。
|
- 黒田鉄山先生と振武舘 17
177 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 23:42:13.43 ID:SBhkBPIL0 - 補足すると、20数人の教士錬士格の門下生たちを一人で相手にしていたが、打ち取ったと思った相手が汗を拭いてすぐに列の後ろに並んでいるのを見て取った繁樹師が、
「これでは潰されるな」ということで、積極的に攻めには出ずに相手が打ってくるのを受け流し、或いは間を詰めて打たせないようにして、なんなく立ち切ったというお話。 その稽古の間、小澤師範が泰冶師に悔しげに「あんな稽古では…」というのに対して、泰冶師は「昔の稽古はあれでいいんですよ」と答えたということだ。 ずっと後に京都の大会で泰冶師が小澤師に会ったときに、「今でもああいう荒稽古はしておられるのですか?」と尋ねたら、「いや、現代ではああいう稽古はもう…(苦笑)」 という感じで恥ずかしげにおっしゃられたという後日談付きだ。
|
- 黒田鉄山先生と振武舘 17
180 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/04/15(火) 23:47:35.09 ID:SBhkBPIL0 - 黒田家にすらそもそも泰冶師が剣道の大会に出たという話が無い。そのレスは見たことあるがどっかに書いてたというだけで書誌情報はもちろんなかったよ。
ただ、黒田家の逸話を頭から否定してやりたいというだけの意見(?)だったな。
|