- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
623 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 11:59:55.78 ID:YHOT4Am00 - 小島が大手出版社から著書を出している社会的地位の高い名士なのに、
血の気が多く外見もイカツクてケンカ沙汰の絶えなコワイ作家先生と定評があるので、 何かと誤解されがちではあるが、ゴツイガタイで広島弁口調とくれば、 それも仕方がないのかもしれない。しかし、しかし、なのである。 実際に交友関係のある関係者の証言によれば、小島の実像はと言えば、 筋を通す義理堅い人間とある。 先入観は思考を停止させる敵であることを、私たちは明記する必要がある。
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624 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:02:43.18 ID:YHOT4Am00 - 投稿/我が「兄貴」、小島一志〜一撃倶楽部・Back-Hand(画像追加版)
小島一志… 私の小島一志像はなんといえばいいのか、因縁というか何かあると私の前に立ちふさがる閻魔様みたいな存在です。 ブランクをはさみながら40年の付き合いになります。今では私にとって小島さんは「兄貴」的存在です。 私は小島さんと同じ●県▲市に生まれ育ちました。小学校も一緒でクラスも4年生までは一緒でした。私はよく小島さんと一緒に遊びました。 ベーゴマやカンケリやウマノリなんかで遊びました。剽軽で駆け足が早くて市内マラソン大会で優勝か準優勝したのを覚えてます。 リレーの選手を選ぶときにも必ず小島さんに負けました。私も駆け足が得意だったから、かなり意識してました。 小島さんは勉強ができるくせにいつも先生に逆らって、ちょっと危ないというか不良じゃないけど非常に反抗的な変人だった気がします。 これは小島さん本人がカミングアウトしてるからいいますが、小島さんの親父さんは▲市でも有名な博徒でした。 でも親父さんの代紋は隣の○県△市に本家がある〜今は▼市にある〜◆一家という博徒一家で私が子供の頃から知られてました。 それで私たちが住む▲市にはまたまた◇組という博徒一家があり、隣街には黒崎興業という、あの黒崎健時先生の兄弟 (けど実質的親分は黒崎先生です)がやってる組織がありました。小さい組ですが◆一家や◇組は黒崎興業にアンタッチャブルで 東京の大組織直系で怖がられてました。それでまた▲市には柳川組という在日の人が頭をやってるヤクザ組織がありました。
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626 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:05:37.54 ID:YHOT4Am00 - なんで私がこんな怖いことを知ってるかというと私も中学高校時代に不良仲間に入ってたからです。
のちに小島さんは覚えてないといいますが、小学生の時、私は何度も小島さんの家に遊びにいきました。 小島さんちは小学生の半ばまでは▲市の商店街の真ん中でバイク屋をしていて、その裏側に柳川組があって、 でもみんなは「古物屋ヤクザ」「朝鮮ヤクザ」と呼んでました。そこにも遊びにいったけど、その後国道沿いに引っ越して 家が遠くなってからも遊びにいきました。 小学生の私には、小島さんの家にはいつも怖い人が集まってバクチをやってた思い出しかないです。小島さんの家は表向きはバイク屋ですが、 普通の客がいたことはなくて、そのかわり地元の暴走族EVEのたまり場にもなってました。 親父さんは『黒虎』という暴走族を出入りしている若い衆に作らせたのでEVEと黒虎は兄弟関係にありました。 柳川組も表看板は▲金属というスクラップ屋(古物屋)さんでした。柳川の先代も黒崎先生みたいに東京の大組織の直参で親父さんは プロレスラーみたいなひとでした。小島さんの親父さんと柳川の先代は兄弟分でしたが地盤が違うので地元ではよそ者扱いですから 嫌がらせの「喧嘩沙汰」もあったようです。今でも、小島さんの親父さんと柳川の先代は最強コンビだったと▲のヤクザの間では有名で、 「マムシ兄弟」といわれていたようです。でも不思議なのが極道の小島さんの親父さんがなぜ▲警察道場で柔道の師範だったのかということです。 「昭和」はそれが許される時代だったのかもしれません。 小島さんは家にいるより柳川組に住んでるみたいで、いまの当代のともあきさんとは本当の兄弟のようにしていました。 近所のひとや私の親は「朝鮮人同士だから」と小島さんと柳川さんのことを噂してました。私は子供だから、チョウセンジンの意味がわからず、 中学に入ってからも「挑戦人かあ、挑戦する人」だと思ってました。
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627 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:08:08.43 ID:YHOT4Am00 - 中学生の私は不良グループに入って悪さをしてたけど、小島さんは不良ではありませんでした。
その頃はもう小島さんとは付き合いがなくなってました。けれど小島さんが荒れていたのは知ってました。 それは小学生からですがいつも「小島が○○をカミソリでやった」なんて話が学校中で有名で、一番の記憶は音楽室の楽器を 全部ナイフかカミソリでこわして放送室の機械に小便してこわした話です。 鑑別所みたいなところを出たり入ったりして5、6年生の頃はあまり教室にいなかったです。 だから中学の不良も相手にしないようにしていて「あいつは朝鮮だから近寄るな」と言ってました。 小島さんの柔道部には利根川という私たちのグループとは違う番長がいて、その裏番が今の柳川当代で、 だから小島さんは利根川さんにかわいがられていました。 でもある時、中間試験の番付発表のところの8番に小島一志の名前を発見してびっくりしました。 学年400人の8番は超超天才の領域です。ますます私たちは不気味な小島さんを遠ざけました。 柔道部の利根川さんも在日でしたので柳川グループを「在日愚連隊」と呼んでいました。 その頃は朝鮮人の意味も在日の意味もわかってたから私たちには在日恐怖症みたいなアンタッチャブルな感じでした。 小島さんは隣県のいちばんの進学校にはいりました。それから20年以上は音信不通でした。 ただ一度だけ暴走族EVEの集会のときに小島さんが利根川さんのナナハンの後ろに乗ってたのを見たとき驚いたけど 利根川さんはもう族の頭だったので、恐れ多くて小島さんに声かけられませんでした。あの時がキャロルのライブだったかどうか覚えてません。 でも真面目になった小島さんですが、柳川さんの関係かいつも小島さんの周りには不良の大物ばかりがいました。
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628 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:12:06.39 ID:YHOT4Am00 - 私は高校卒業後、自動車修理会社に就職しましたが長続きせずよく昔からの不良仲間と遊んでました。
でも20で結婚して子供もできて真面目にならなくてはと思いS急便の運転配達をはじめましたが最初の約束と給料が全然違うので やめて別の運送屋に勤め、それから親のコネでバスの運転手になりました。10年以上真面目に働きましたが会社の業績不信で突然リストラされました。 また悪い道に入り、柳川組の面看板の▲金属で運転手をしていたら、柳川当代から突然「おまえ一志を知ってるか? あいつは極真空手で黒帯を実力でとって本書いてるぞ。ちゃんと堅気にやってる。おまえ、こんなことやってていいんか?」いわれ、 堅気になれと▲金属を辞めさせられました。 それで一念発起して親からお金をかりて家内(バツイチなので新しい妻)と一緒に▲駅の裏側の方に喫茶店を開きました。 家内は娘を実家にあずけて一生懸命に手伝ってくれました。やっと店も軌道に乗った頃、柳川当代から教えられた小島さんを思い出しました。 極真をやろう!でも、もう年齢は30代の後半なので、自信がありませんでしたが、もう今しかないと△支部の分支部に入門しました。 稽古のときは家内に店を任せるので家内に悪くて、その分頑張りました。黄帯の時に大山総裁が亡くなり極真空手は分裂しました。 私は自分の師範について協議会派にいきました。でも道場が遠くなったのと、よく師範を訪ねてくる三瓶師範の横柄さにうんざりして、 道場から離れた頃に松井館長派の道場ができたので私はそちらに移りました。 私の師匠は城西系なので、ある時、城西の交流試合があるので見学にいきました。次の大会には壮年部で出場するつもりでした。 そこで小島さんと25年ぶりに再会しました。この大会で小島さんの息子さんが優勝しました。私は小島さんに声をかけましたが 小島さんに「覚えてない」といわれてショックでした。すでに小島さんは有名人なので、あまりしつこく話せず、でも最後には 「そうか、そうか」といって携帯電話の番号を教えてくれました。
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629 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:15:42.76 ID:YHOT4Am00 - けれど、私は自分を覚えてないという小島さんに少し腹が立ちました。この反感が後でとんでもない目にあうのでした。
でも半年に1回くらいは電話で話しました。電話の小島さんはいつも陽気で昔のまんまでした。ただ貫禄がついたのと、親父さん譲りの怖さみたいのがありました。 たまあに広島弁になりました。理由を聞くと「俺は芦原英幸を生涯の恩人だと尊敬してるからだ」といいました。 数年前の正月。私は小島さんに会おうと電話しました。小島さんも実家にいるというので「それじゃ、俺んちにこい」となりました。 その時私は思わず前から持っていた反発から強がりをいってしまいました。こんど十人組手に挑戦するのが決まっていたので、 つい「もう、引退した小島には負けない」と口が滑ったら、突然「おまえ、空手の世界なら俺の後輩だろ。後輩がいっていいこととよくないことぐらい心得ろ。 そんなら、俺んちで組手やろう。その代わり覚悟してこいや。」などと脅され、怖くなった私は結局小島さんの実家にいきませんでした。 ところが運悪く、その2日後、▲の街中の狭い道で小島さんと鉢合わせしてしまった。小島さんはお母さんの車か窓にスモークの張ったベンツの助手席に乗ってました。 私は正月なので昔の悪い友達(◇組幹部)数名とワンBOXに乗ってました。友達が窓から顔を出して怒鳴って道を譲れというと、なんと小島さんがベンツから降りてきました。 そして友達の車をバンバン蹴っ飛ばし始めました。慌てて私が降りていくと、小島さんは鬼の形相で「テメエか! チンピラはのけ〜」と言うなり私を掴んで膝ゲリの雨あられ。 一瞬で頸椎を極められて、あっという間に顔面血だらけで歯も折れてしまいました。 後日、柳川の当代から電話があり、「おまえ、一志は堅気で頑張ってるんだ。一志の顔に泥を塗るな」と厳しく怒られました。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
630 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:18:42.09 ID:YHOT4Am00 - 悪いことは続くもので、その年の2月、池袋でまた偶然に小島さんと出くわして散々説教されました。
もちろん膝ゲリも数発もらいました。でも半年後、私は黒帯をもらった報告をすると、小島さんは喜んでくれました。 「もう先輩後輩もない。仲間だ」といってくれた時には涙が出ました。 それからメールのやりとりをするようになり、小島さんのブログを知り、いつしか私は小島さんの弟分のようになりました。 コミュニケーションBOXが始まったばかりの頃、私は匿名で会員になりましたが後にバレて少し怒られてから今の一撃倶楽部に誘ってもらいました。 今は娘と一緒に楽しみながら極真空手をやっています。うちの喫茶店にはたまに柳川当代が顔を見せては「一志はちゃんと堅気でやってるか? 一志が書いた『大山倍達正伝』は同胞の誇りだ。嬉しい最高傑作だ」と誉めていました。 そして「この本を一志と書いた塚本先生はどんな人なのか?」と尋ねたので「小島先生の生涯のパートナーです」というと 「一度挨拶させてもらいたいなあ」と笑ってました。 私にとって小島一志はこのように、非常に不思議な縁があります。いつも私は頭があがらず、でも小島さんは同級生ながら一番の出世頭だし、 偉い作家先生です。もう今は「兄貴」です。一撃倶楽部では私は末席ですが、「作家先生」「兄貴」の為に貢献したいと思っています。 記/一撃倶楽部・錬士 Back-Hand
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- 極真会館(松井派)についてマジメに語ろう!2
599 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:37:33.35 ID:YHOT4Am00 - 機関誌は、空手、さらには格闘技全体から俯瞰して
極真空手の理想像を追及するような内容であるべきだ。 そういった意味合いで、格闘技の原点とも言える大山道場について 言及した以前のワールド空手には、さすが、と思わせるものがあった。 今のワールド空手に不満を持つ会員が急増しているのも、 極真会館の将来像に危機感を抱き憂いているからに他ならない。
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- 極真会館(松井派)についてマジメに語ろう!2
601 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 12:44:24.59 ID:YHOT4Am00 - 小島一志作品集/「格闘技ジャーナリズムの確立を期す!」(2000年8月)
2000年8月 「格闘技ジャーナリズムの確立を期す」 私が何故、近年の格闘技界に大きな危機感を抱いているのか? その理由は拙書のなかで何度も繰り返し書いている。 本来、格闘技は実践者のために存在してきた。格闘技もスポーツも、それを必要とし、それを実践することで 楽しんだり学んだりするヒトたちのためにこそあるのではないか。それこそがスポーツや格闘技の第一の存在理由である。 観て楽しむことを否定するつもりはない。観客やファンを魅了する演出や努力が格闘技に求められていることも否定しない。 だが、それは決して格闘技の至上命題ではない(それはたとえプロであっても例外ではないと私は思う)。 にもかかわらず、近年、格闘技界は急激にエンターテインメント化が進みつつある。「観て楽しければいい」といった考えは、 結果的にビジネス至上主義に行き着く。その一方で、何か大切なものが忘れ去られようとしているのではないか? 私は20年間、格闘技メディアの世界に生きてきた。以前から格闘技界は魑魅魍魎、伏魔殿である。他を否定し、 自己のみを可とする風潮は遥か昔から格闘技界の常識である。しかし近年、格闘技メディアは格闘技界との運命共同体と化し、 一蓮托生の幇間に成り下がった感がある。それは癒着そのものであり、そこにはジャーナリズムなど存在しない。 そういうただれきった空気に私は嫌気がさしているのだ。 決してエンターテインメント路線に迎合することなく、格闘技の本質を常に問い続ける姿勢。格闘技界の未来を思うがゆえに、 ときには厳しい批評を書くこともある――そんな本物のジャーナリズムを私は望むのだ。 そして、格闘技ジャーナリズムの確立を期す新しい媒体――格闘技専門誌発刊の実現を、いま私はスタッフたちと模索中である。 ========================================================== 極真会館の今の閉塞感を払しょくする起爆剤として、この試みは大いなる可能性を秘めているはずだ。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
643 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 15:41:36.26 ID:YHOT4Am00 - 「大山倍達正伝」は塚本パートの骨子も小島が下書きしたから、
全編が実質小島著と言って差し支えない。 芦原本も実弟の孝則は資料を提供しただけ。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
645 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 16:02:03.72 ID:YHOT4Am00 - 小島の功績があって、そのサポート役を演じたからこそ名前が知られて得をしたのが真実。
なにもオコボレを頂戴したとまで言わないが、塚本も小島にジャーナリストのイロハから調教してもらって、 ほどよい具合に育ち「小島の女房役」としてデビューできた。 実弟も兄貴の実績があったから仕事を回してもらえた。 塚本はこれからが正念場。公私ともに小島の指導を仰ぐべきだ。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
664 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:19:30.05 ID:YHOT4Am00 - 黒澤は現役時代に小島にセコンドについてもらって、有益な蹴りのアドバイスをしてもらった。
自伝も手掛けてもらい「格闘マシーン」のキャチフレーズで空手の枠を超えてメジャーとなった。 現役を退いてから、黒澤道場は小島の尽力で極真館と交流関係を持つことが出来た。 これは小島と盧山館長が「刎頸の交わり」であったからこそ実現したことだ。 小島はフィクサーとしてもフルコン界に欠かすことはできない要人である。 この事実を第3者の立場から現地報告した記者の衝撃記事が存在することから、 この事実は証明されている。 さらに、試合会場では黒澤を従えた小島に盧山館長が馳せ参じて挨拶したのだ!! ブレザー組にとって絶対的な存在である館長が来賓扱いする存在が小島なのだ!!
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666 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:24:00.87 ID:YHOT4Am00 - ●黒澤浩樹師範との邂逅
「あの人たち、いかにもヤクザみたいだよね」 戸田市スポーツセンターの玄関で、駐車場から入口に向かって歩いてくる小島たち一行(小島、大志君、黒澤浩樹師範、黒澤氏の奥様) の姿を見た夢現舎副代表・塚本佳子は笑いながら言った。 2007年4月29日、同会場において極真館主催による全日本ウェイト制選手権が開催された。それは、極真空手史上初の顔面防具なし、 拳および肘による顔面殴打を認める「真剣勝負ルール」試合が採用された、まさに歴史的な1日であった。 その歴史的な大会を見届けるべく、小島一志は会場に姿を現した。互いに「悪友」と呼び合う伝説の空手家・黒澤浩樹とともに――。 黒澤浩樹と言えば、かつて「極真空手史上最強の男」「格闘機械(ファイティング・マシーン)」と異名を取った空手家である。 小島の著書「黒澤浩樹ザ・ラストファイト」「黒澤浩樹―最後の超人伝説」の中で語られた彼の強さは、いまだに「生ける伝説」として その名声を失っていない。 正直に言って、私は黒澤師範の現役時代の戦いを直に見た事はない。しかし、小島の著書や他の雑誌などでも描かれた黒澤師範の戦いや エピソード、さらにはビデオの中ではあるがその試合の模様を見れば、黒澤師範がいかに超人的な空手家だったかという事実は容易に理解できる。 夢現舎では時折「ビデオ鑑賞会」という名で、昔の極真会館や芦原会館などのビデオを鑑賞するイベントがある。 そこでは、過去の全日本選手権や世界選手権のビデオを見ながら、小島が技術や当時の空手界、名選手などについて講義を行なう。 小島の解説に耳を傾け、メモを取りながら我々スタッフは「勉強」をするのだ。 この鑑賞会で最も多く見た、否、見せられたのが黒澤師範が優勝した1984年の第16回全日本選手権のビデオだった。 黒澤師範の強さはまさに群を抜いていた。表情ひとつ変えず、左右の下段蹴りを駆使して対戦相手をバッタバッタとなぎ倒していく姿は、 「一撃必殺の空手」そのものだった。そんな戦い振りが脳裏に焼き付いている私にとって、黒澤浩樹は憧れと恐怖の存在だった。
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668 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:26:09.93 ID:YHOT4Am00 - その黒澤師範が小島とともに、私と塚本が待つ会場の入口に向かって歩いてきたのだ。
先頭には胸に極真会のロゴと日の丸、左袖には日章旗が刺繍された黒のMA-1ジャンバーに身をまとった小島、 その後ろからグレーの立て襟スーツ姿の黒澤師範が大志君と談笑しながら近づいてくる。 そして最後尾には黒澤氏の奥様がいるという様相である。 とくに黒澤師範の奥様を除く3人のガタイのいい男たちがのっしのっしと風を切って歩いてくる姿は、 まさに塚本の言った冒頭の言葉に当てはまる。 私は会場に到着し、記帳を済ませた小島や黒澤師範を、いつものごとく会場内に案内した。 まずは盧山初雄館長に挨拶をしなければならなかった、開会式前とあって盧山館長のもとには引っ切りなしに訪問客が訪れていた。 「早くしろよ。黒澤さんが待ってるんだから。強引に分け入っていいから盧山先生に小島がきた事を伝えればいいんだ!」 なかなか挨拶のタイミングを見つけられない私を小島は一喝する。私は焦りながらも、小島の命令に従った。 無理矢理、列に割り込み、盧山館長のもとに身を滑らせた。勘のいい盧山館長は私の顔を見るなり振り返って小島の姿を探した。 小島を見つけた盧山館長は自ら席を立って私の後からついてきた。顔なじみの小島と盧山館長はいつも通り笑顔で握手を交わした。 小島は握手も早々に後ろにいる黒澤師範を前に押し出しながら、「先生、約束通り、黒澤さんをお連れしました」と言った。 盧山初雄と黒澤浩樹の邂逅…。 これはまさに歴史的な出来事と言ってもいいだろう。黒澤師範が数年ぶりに「極真空手」の大会会場に姿を現し、なおかつ極真館の長である 盧山館長と固い握手をしたのだ。 「師範、ご無沙汰しています」 黒澤師範の言葉に、盧山館長は満面の笑顔で何度も黒澤師範の手を握り締め、背中を叩いた。 この瞬間、盧山館長率いる極真館と黒澤師範の黒澤道場は「友好団体」になったのである。
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672 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:33:48.59 ID:YHOT4Am00 - 顔面殴打を認める画期的な「真剣勝負ルール」が公開されるこの大会に、黒澤浩樹が姿を見せるどころか、
極真館との友好関係を約束した事の意味は大きい。 では何故、これが可能になったのか? それはすべて小島の尽力のおかげと言ってもよいだろう。今大会に黒澤道場の選手が参加する事になったきっかけも、 小島が盧山館長に話を通した事から始まった。黒澤師範はこの件に関してすべて小島に一任した。 「悪友」である小島は黒澤師範の意向を直接、盧山館長に伝え、盧山館長は小島を信じて何ひとつ条件も出 黒澤師範を受け入れた。小島という触媒を介して歴史に名を刻む2人の空手家が再会し、固い絆を結んだのだ。 盧山初雄、黒澤浩樹、そして小島一志の3人の姿を見ながら、何故か私は胸が熱くなった。 その後、私はあらかじめ先方が用意してあった2階来賓席に黒澤師範と小島を誘導した。我々は2階席正面の 最前列来賓席に陣取った。この場所は、正面から試合を見渡せる来賓席に相応しい絶好の場所だった。 前回の無差別全日本選手権では各出版社の方々を盧山館長に紹介するのに動き回っていた小島と塚本だが、 今回は「ゆっくり試合を見たい」という事で、あえて2階の来賓席を小島は指定した。アリーナ席だと絶えず関係者やファンがやってきて サインをねだられたりでゆっくりする暇もない。ましてや黒澤師範は観客の注目の的であり、混乱は十分に予想出来た。 ある意味、黒澤師範に気を使った小島の1級品の配慮といっていいだろう。 最前列には、左からゴツイガタイの小島と黒澤師範が腰掛け(途中から黒澤道場の師範代の方も同席)、2列目には大志君、塚本、 黒澤師範の奥様という順番で並んだ。 いよいよ試合が始まった。観客席は俄かに熱くなった。
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674 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:38:32.00 ID:YHOT4Am00 - 「なあ、大志はあの試合、どう思う?」
いきなり黒澤師範は後ろを振り向き、大志君に話しかけた。 私自身、大志君から「黒澤先輩はいつも僕の昇級審査の時には見に来てくれた。一番尊敬しているのが黒澤先輩だ」 と聞いてはいたが、大志君に対する黒澤師範の態度はまるで年の離れた「兄弟」そのものだった。 黒澤師範が見せる柔らかい笑顔は、あのコワモテの印象しかない私にはあまりに意外だった。大志君も物怖じする事なく、 「押忍!」と返事しながら笑顔で答えていた。 塚本が大志君とまるで親子のように話しているときの安堵にも似た表情も、2人の絆の強さを感じさせるが、 それと変わらない優しさを私は黒澤師範と大志君に感じた。私は少し大志君がうらやましく思った。 「小島さん、あれは○○ですよね〜」 「違いますよ黒澤さん、それは○○でしょうが…」 「でも小島さん、○○の場合は○○が出る事もあるんですよ」 「なるほど。そうなんですか」 こんな調子で小島と黒澤師範は試合を見ながら空手家ならではの鋭い考察で分析し合い、 かつ談笑を交えながら見守っていた。 2人の様子はまるで、「空手少年」がワクワクしながら試合を観戦しているかのようでもあった。 しかし、黒澤師範は何度か突然、姿を消した。どこに行ったのかと心配をしていると、 黒澤師範は試合場のセコンドから黒澤道場の選手を応援しているではないか。 その姿は、一転して道場主・武道家として生きる黒澤師範の現在を実感させるものだった。 フッと私の胸に何かがこみ上げてきた。私は試合場に立つ空手着姿の黒澤師範の幻影を見た…。 噂によれば、今大会に黒澤師範は選手として出場を考えていたとも聞く。しかし、それは現実にならなかった。 もし、黒澤浩樹がこの大会に出場していたら…。すでに齢40を優に超える年齢でありながら、現役時代と変わらない 厳しい稽古を日々怠らない黒澤師範。だからこそ、黒澤浩樹の「超人伝説」はいまでも色褪せないのだ。
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676 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 18:43:08.40 ID:YHOT4Am00 - 黒澤師範には失礼だが、万が一1回戦で敗退したとしても、「超人伝説」はより強固なものになりこそすれ、
少しも傷つく事はないだろう。ましてや優勝でも飾っていたら、それこそ「極真空手史上最高の栄誉」を手にしたに違いない。 何故なら、極真館が提示した「真剣勝負ルール」による試合が、今後「極真空手界最強」の勲章を巡る戦いとして 広く認知されていくのは間違いないからである。 「小島さんの秘書は、命削る仕事でしょうね?」 会場で、おもむろに黒澤師範から尋ねられた私は、思わず「はいっ!」と返事をしてしまった。 するとすかさず小島は言った。 「こいつの仕事はまだまだ命なんか削ってないよ。 本当に命を削っているのは俺と塚本の2人だけだよ。 『大山倍達正伝』書くときの俺と塚本は、まさに命懸けだったんだから…」 まさしく小島の言うとおりである。私はこれまでの人生の中で、「命懸けで、死ぬ気でやってきた!」と胸を張って言える事はひとつもない。 小島・塚本が死ぬ思いで執筆に挑んだ事や、黒澤師範のこれまでの激闘に比べれば、私の経験なんて足元にも及ばない。 「命を削る…」 この言葉は、命懸けで何かを達成した人間だけに許されるものである。大会終了後、私は黒澤師範が会場を去る大きな後ろ姿を 見送りながら、この言葉の意味を深く噛み締めた。 同時に、黒澤師範の戦う勇姿をもう一度見たい! と思った。これは私だけではなく、極真空手ファン、黒澤浩樹ファンすべての願いであろう。 いつの日か、極真空手史上最強の男・黒澤浩樹が復活する日が訪れる事を期待したい。 (了)
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680 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 20:06:14.26 ID:YHOT4Am00 - 関係者以外立ち入り禁止の密室で行われた会議を忠実に再現したやり取りは、
臨場感あふれる描写でグイグイ引き込まれる。 このドキュメンタリータッチの描写は「さすが小島!」と思った。 これは私だけでなく小島の著書に目を通したすべての人の実感だろう。
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691 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 22:09:13.50 ID:YHOT4Am00 - 極真の閉鎖的な体質に鋭くメスを入れて体質改善に大きく貢献したのが小島。
途中で投げ出すことは道義に悖ることで、曲がったことが嫌いな小島の性格が許さない。 これからも命を懸けて極真を注視することは、先駆者たる小島に託された責務だ。
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702 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 23:12:54.90 ID:YHOT4Am00 - 小島が黒帯にふさわしい実力があることは数々の証言からも証明されている。
虚偽である証拠がまったく出てこない。 よって、小島を中傷する発言は妄言ばかりである。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
707 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 23:36:46.93 ID:YHOT4Am00 - そもそも、家高も小島の黒帯を否定していない(事実だから出来ない)。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
711 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 23:47:31.08 ID:YHOT4Am00 - 自分にも他人にも厳しいことで知られる松井、黒澤が小島を認めて
みずから進んで「悪友」となったのは、小島が黒帯にふさわしかったから。 盧山館長も、試合会場でブレザー組を差し置いて先に小島に挨拶に来た。
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- 【かけたら】小島一志痛電140回【ストーカー】
714 :名無しさん@一本勝ち[]:2014/03/30(日) 23:55:00.68 ID:YHOT4Am00 - >>713
私は会場に到着し、記帳を済ませた小島や黒澤師範を、いつものごとく会場内に案内した。 まずは盧山初雄館長に挨拶をしなければならなかった、開会式前とあって盧山館長のもとには引っ切りなしに訪問客が訪れていた。 「早くしろよ。黒澤さんが待ってるんだから。強引に分け入っていいから盧山先生に小島がきた事を伝えればいいんだ!」 なかなか挨拶のタイミングを見つけられない私を小島は一喝する。私は焦りながらも、小島の命令に従った。 無理矢理、列に割り込み、盧山館長のもとに身を滑らせた。勘のいい盧山館長は私の顔を見るなり振り返って小島の姿を探した。 小島を見つけた盧山館長は自ら席を立って私の後からついてきた。顔なじみの小島と盧山館長はいつも通り笑顔で握手を交わした。 小島は握手も早々に後ろにいる黒澤師範を前に押し出しながら、「先生、約束通り、黒澤さんをお連れしました」と言った。 盧山初雄と黒澤浩樹の邂逅…。 これはまさに歴史的な出来事と言ってもいいだろう。黒澤師範が数年ぶりに「極真空手」の大会会場に姿を現し、なおかつ極真館の長である 盧山館長と固い握手をしたのだ。 「師範、ご無沙汰しています」 黒澤師範の言葉に、盧山館長は満面の笑顔で何度も黒澤師範の手を握り締め、背中を叩いた。 この瞬間、盧山館長率いる極真館と黒澤師範の黒澤道場は「友好団体」になったのである。
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