- 八極拳を語ろう 十 字勁
725 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/02/18(火) 04:13:15.46 ID:D5/1jIHq0 - 684さんが卒業宣言かぁ・・・残念。まあ、飽きるまでよくやってくれてたよねw
以前から気になってた点でもあるので、書いておきます >目的と手段が逆転しないよう注意してください 組手やりこんで、試合経験豊富な人が言う台詞ww自分も数試合なので、微妙だけど 自分からしたら、自由組手で癖がついたら良くない、という考え方のが、逆転だと思う 有効な手段(武術)をマスターしようとする、とりあえず目的化するのまでは良い でも、現実の場面にどう動けたか、動いたかを問題や課題とすべきなのに、変な癖になるから・・・とかねぇ むしろ一人で動いているときさえ、実は一部しか理解してないし、できてもいないんだよ。組手で変な癖がつくってより、その癖の原因が自分の内にあるの 結果として顕在化しないと気づかないものだよ また、十分にできないと知りつつも試合に出たり、戦ってみることが、武術の第一歩。準備万端の戦いしかしない、というのは小利口だけど、現実の前では甘えでしょ? 試合なんて準備できるし、後腐れない安心感はあるので、気楽に試せる環境にあることはありがたいって話 真の目的に対するアプローチは、まあ自分の好みになるのは仕方ない。格闘技するのも、自由意志だ でも、そもそも清末・民国時代でも、すでにそこらでケンカや試合もやってるわけ その前提で、伝統武術家は苦言を呈してただけ。試合ばっかりやってないで、伝統武術の成果を深く理解して身につけろってね 上に行くには基本が大事、ということを常に強調せんといけない むしろ、試合さえ避ける人間ばかりの今の時代では、まずは試合くらいせい、と言わないとダメなのだよ 納得できるまで、絶対に勝てるようになるまで試合しない、って言ってると年ばかりとる 応敵を目的にしているようで、その実、武術のマスターだけを目的にしてる、そんな気がする マスターしても応敵できないかもしれない。マスターの以前に、ある程度応敵の目的に適っているか、検証するのが合理、合目的だよ できるようになったら試合もする、なんて人は、まずしないよ。そのときわざわざ求めてまで、する必要感じないだろうからw 気持ちや心の面だけでも、試合の予定組んでやってたら、得られるものはある。平和ボケはなかなか変わりはしないけどねw
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