- 八極拳を語ろう 九 門目
554 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/01/04(土) 04:32:40.54 ID:5Nyol0KK0 - >>547
短打と説明がついてるから、長打が無いわけではないでしょうね? 言葉に振り回されるといけません、実技を見そしょ 特長だけで戦うのは、ゲームや漫画です >>548 別に呉氏だけが特別なんて主張してるんじゃないことは、改めて書いておく(感情配慮) >八極拳の名称の違いは特に疑問ではなくなりますよね。 前提がおかしい。単打で、孟村では十分に固有名詞化されてます。孟村では「八極拳の・・・」などという必要は皆無です また、孟村においては、八極拳=「呉鐘伝の套路群+α」=呉鐘の武術と考えていたはずです 套路一つにすぎない単打=八極拳とはしてなかった この名称一つからも八極拳というものの概念が、孟村と羅田+童では全く変わっている可能性を指摘したわけです 流伝套路の有無だけでなく、そのものですね 別系統として、今やってるのは別系進化をしたものですから、それらをどうこうではないですし、全体も八極拳に決まってるのですけど 過去に単打でなく八極拳と言われていたという話は見られません。羅童系などはそう呼んでるという話だけ 実は八極拳だと教えた?単打じゃ何かわからんから八極拳等と呼び始めた?単打を改変して八極拳と呼び出した? 経緯はどうでも良いですねw 羅田+童の八極拳があるもので一通りのシステムを形成するってのは、そうですね。そして、李書文により金剛八式が導入された 良いものであれ、今更必要なものだった?その疑問が、呉鐘伝をただ並べ替えてみたらわかるって話 ゼロベースから並べ替えができないなら、結局、呉氏マンセーしてると感情的に思う人もいるんだろうさ
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567 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/01/04(土) 23:38:30.73 ID:5Nyol0KK0 - >>553
ナイスな着眼点!ですが、これはほぼ無理 呉氏の本からでは、呉鐘(1712-1802)。 他は、李大中(『図説中国武術史』1868戦死なのでさすがに間違いない?)。李大中の拝師は1847年(清道光二十七年)。 李大中が呉鐘と同時代とは言えないでしょう。娘に教わるのすら、実にギリギリっぽい 呉氏系サイトで謎な年表もあるにはある(李大中が誰に師事したかと年代、羅田+童で教え始めた年代など・・・) このへんはここしか無いし、ソースも不明瞭だけど、普通言われてることとも違ってる・・・検証不能
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568 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2014/01/04(土) 23:58:26.67 ID:5Nyol0KK0 - >>561
噛み合わなさは、平行線だから相手を乗せようと、お互いにあれこれ言い合ってるからでしょww >私はすでに金剛八式が含まれている内容として学びましたので、呉鐘伝を並び替えても、>>549のようにせいぜい成立初期の姿を想像することしかできません。 成立初期の姿を想像できたら、金剛八式導入に至る背景が透けて見えるって話してるんだけどな?できても、しないなら平行線 もし違った想像した・・・ということも一応はありうるので、答え引き出しておかないといけないのだわ それに、呉鐘が自分の武の技と術を残そうとして、という視座から考えてくれてるかどうかも確認される 呉氏ソースでは、モノを考えないってんじゃ、その先の話に意味なんてないでしょ? >>562みたいなのは、現在ベースからでしか考えてないパターン >>549 自分が言ってるゼロベースで並び替え、じゃないの。見たまんまで、順番といってるのにww 最初期だから。ひととおりのシステムの、その基本設計の話なのよ? 細かい作り込みや、それによる変更などは一切関係ないレベル 細かい知識をできるだけ排除して、最初のベースが見えるかってことだけ これ以上はもう疲れた、流石に 「頭が悪いと武術ができない」というのは、知識に振り回されない常識力、直観力を指してるとしか思えん >>566 李瑞東系の金剛八式は、本来から動線がこういうものですかね? 一方向に進んでいくってのは、団体練習にも最適ってことかな 同じ技の動き自体も門派の基本と照らし合わせて、変わっていくものでしょうし まぁ、有用ですね〜
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