- 八極拳を語ろう 五
954 :684[]:2013/09/03(火) 10:30:49.08 ID:clLFSeK5i - サーバーダウン? 長かったスな〜(-_-;)
さて。 >>952 なるほど、深く研究されてますね(゜゜;) イメージ的には…… | ⌒ / | → / ってのと、 | | | → ΞΞ | ってカンジでしょうか(笑)? 技法としてはフツーにやってるんでしょうが、改めて考えたことはなかったですね。 とても深く、具体的に研究されているのだと思います。 とはいえ、「貼身」あるいは「貼山靠」の名称が成立した時期に、そこまで明確な区分けがあったかどうかもやはり疑問です。 ただ、これ以上は飛躍しすぎた推論ってか妄想になってしまうので(笑)、鉄山靠の話はこの辺にしておきます(  ̄З ̄) とても勉強になりました、ありがとうございました。
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- 八極拳を語ろう 五
955 :684[]:2013/09/03(火) 10:32:30.66 ID:clLFSeK5i - ↑AAうまくいってないし(´・ω・`)
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- 八極拳を語ろう 五
970 :684[]:2013/09/03(火) 23:17:06.15 ID:clLFSeK5i - こんばんは。
またいきなり深いハナシになってますねえ。 まあ、現在自分が学んでいるものを門派としての完成形とみるかどうか、って問題でしょうか? 個人的な考えですが、中国武術をいち民間文化と捉えたとき、その輪郭はとても曖昧で、またおおらかなものだと思います。 権威主義でありつつも流動的で、「いいものは遠慮なくパクる」といった潔さもあり、良くも悪くもルーズさを備えています。 ちなみに、私にとってはこのルーズさも中国武術の魅力のひとつです。 ですから、自分の学んだもの、身につけたものに対して有益だと思えるのなら、どんどんパクっていいでしょう。 しかし、その見極めは簡単ではありません。パクるのにも時間や労力もかかりますから、後になってムダ骨だったとなる場合も多いでしょう。 それをよく考えた上で、比較検証なり参考にするなりと、研究にはげめばよいと思います。
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