トップページ > 武道・武芸 > 2013年07月05日 > 4wydY46r0

書き込み順位&時間帯一覧

2 位/152 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000110021001001007



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさん@一本勝ち
詠春拳スレ【七】
太気拳は意拳の極僅かな一部である。

書き込みレス一覧

詠春拳スレ【七】
56 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 10:49:53.80 ID:4wydY46r0
>>55
HPショボ過ぎw
無料の携帯HPサイトで経費節約?w
有料サーバーくらい使えって。
年間1万もかからないだろう。
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
301 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 11:00:43.05 ID:4wydY46r0
>「王向斎伝」によると、郭雲深は、他の弟子には形をどんどん教えるのに
>王にはひたすらタントウのみをやらせたと書いてある。
当時、王は少年で套路を教えるのは幼すぎたのでタントウしか教えられなかっただけ。

>ひたすらやればいつか自得できると、ただそれだけ言われてほったらかしにされた。
沢井氏は軍の人間であり、中国人からしたら印象が大変悪く本当は教えたくなかったから、大事なことを教えなかった。
それを、「やっていれば、いつかは自得できる」と誤魔化された。

自得したとはいっても所詮は我流と五十歩百歩レベル。

肝心な事を教えられていない悲しさ・・・
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
305 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 14:32:53.68 ID:4wydY46r0
仮に王向斎が郭雲深に形意拳を学んでいたなら、どうして弟子に伝えなかったのか?

郭雲深の得意技だった崩拳をはじめとする郭雲深のすばらしい拳法技。

もっと言えば、形意拳というすばらしい拳法を伝えずなぜ、王向斎が創出した大成拳だけ弟子に伝えたのか?

郭雲深の拳法技をはじめ形意拳というすばらしい拳法を否定(捨て去って)自身が作った大成拳だけを伝えたとしたら王向斎って思い上がっていたって事になる。

普通、弟子に伝える場合、自身の学んだプロセスを踏襲するだろう。

それを、形意拳を学んでいたのに弟子に伝えず大成拳だけ伝えたなら思い上がりも甚だしいと考える。

王向斎の弟子として王向斎が書いた弟子の名簿に書かれている韓星垣の形意拳の動画を見ても、形意拳は張占魁が伝えたものをやっている。
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
306 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 14:38:16.43 ID:4wydY46r0
>普通に考えても、その辺のガキに站樁教えるのと空手でも何でも型教えるのと、どっちが楽か考えてみろよ。
>ガキがずっと突っ立ったりしてられるかいな。
現代の子供を基準に見てないか?
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
307 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 15:00:22.92 ID:4wydY46r0
郭雲深という超達人の身近にいて、その技を見聞きしていた王向斎だけに、郭雲深から「お前は、これだけやっていれ!」と言われ、タントウだけを続けたら郭雲深みたく成れると信じて素直にタントウだけをやり続けた事は想像に難くない。

沢井氏も同様に、王向斎に挑戦して完膚なきまでにやられて弟子入りを懇願して、「これだけをやっていなさい」と言われ素直にタントウをやり続けたって事だね。
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
312 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 18:23:18.50 ID:4wydY46r0
王向斎が郭雲深にタントウだけをやらされて達人になったように、沢井氏が王向斎にタントウだけをやらされて強くなったからといって、
われわれが、タントウだけで強くなれるという幻想を抱いてはいけない。

王向斎は、郭雲深の動きを目の当たりにしていたし、沢井氏も王向斎の動きを見て強くその動きをインプット(イメージ)できたから強かった。

でも、そんな達人の動きを見ることのできないわれわれがタントウだけで強くなれるはずがないことを肝に銘じておくべきだね。

まぁ、こんな事自明な事だろうけど。
太気拳は意拳の極僅かな一部である。
316 :名無しさん@一本勝ち[sage]:2013/07/05(金) 21:30:00.22 ID:4wydY46r0
>>313
>その理論はおかしいね。
>確かに澤井は王を見て育った。
>では郭は?
>郭の師匠は?
>そのまた師匠は・・・?
ここは少々複雑な話になるけど、郭雲深から王向斎、さらに沢井氏の流れで、
郭雲深は李洛能から習っているんだけど、李の弟子には劉奇蘭ははじめとする形意拳の礎を築く達人が多数輩出された。
郭雲深は、そういう同門との切磋琢磨によって腕を磨いた。
で、ここからが肝心の話。
李洛能→郭雲深→王向斎→沢井健一の系統で郭雲深は李洛能を超えたと考える。
で、郭雲深→王向斎→沢井健一と代を経るに従ってレベルが下がっていったというのが結論。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。