- 【骨法】掌打とは何だったのか?4【喧嘩】
129 :名無しさん@一本勝ち[]:2012/08/01(水) 11:51:02.48 ID:9/c2OfAN0 - 骨法をオリンピックに!
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- 骨法家・小柳津弘とは何だったのか? part2
827 :名無しさん@一本勝ち[]:2012/08/01(水) 19:05:45.39 ID:9/c2OfAN0 - 著書でも「旧日本軍の蛮行が」とか書いてるから
バックに何かいそうなタイプの右翼でしょ。
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- 骨法家・小柳津弘とは何だったのか? part2
830 :名無しさん@一本勝ち[]:2012/08/01(水) 20:54:01.38 ID:9/c2OfAN0 - 吉丸氏は換骨拳時代に既に国士でしたと書いてる。
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- 骨法家・小柳津弘とは何だったのか? part2
833 :名無しさん@一本勝ち[]:2012/08/01(水) 22:09:36.90 ID:9/c2OfAN0 - ↓歴史好きからすれば近藤勇が竹刀剣道弱いのなんて常識レベルなんだが、
ヒゲ爺はこうやってまったく逆のウソ薀蓄を披露して論拠にしてるからなw 逆に言うとあやふやなウソ薀蓄さえもよどみなく語ることで相手を納得させるあたり そっち方面の天性の才能は持ってるんだろう。 ちなみにこの後も武蔵と宍戸梅軒(「二天記」では宍戸某としか書かれていない人物)の 決闘を見て来たように語って例えに出したりしてるしw 堀辺正史×谷川貞治『日本人よ、グレイシー柔術に学べ!武道と他流試合』(ベースボールマガジン社) P195 堀辺:たとえば近藤勇(新撰組)が主宰していた試衛館という道場は、道場破りの撃退を請け負いする 道場として有名だったのです。ある道場に道場破りが来たとしますね。その道場破りに来られた先生が 試衛館に「頼みます」と使いを走らせるわけです。それで「いくらだ」「よし、受けよう」ということで代役を務めて、 道場破りを撃退する。そういうことをやっていたから、新撰組は強かったんですよ。
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- 骨法家・小柳津弘とは何だったのか? part2
835 :名無しさん@一本勝ち[]:2012/08/01(水) 22:59:44.82 ID:9/c2OfAN0 - ノビー×柘植×ヒゲの鼎談が本になれば絶対買うわ。
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