- 京都の空手事情:その2
731 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/08/09(火) 07:37:01.33 ID:Jf0cDUdK0 - >>729
つ 陸奥圓明流
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- 少林寺の柔法を語るスレ
546 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/08/09(火) 17:53:21.19 ID:Jf0cDUdK0 - 皆様ここで楽しいニュースの時間です
遅刻してしまいました 一時間余りの仮眠をとるつもりでしたが >>542を書き込んだ時点で三時間の錯誤が有り直後に気付きました よって二時間の遅刻です周章狼狽する私の姿は寝苦しい毎日に 一服の清涼剤となることでしょう 回復した体力と共に報告致します 非中枢的身体論−武道の科学を求めて http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3949/budonokagaku.html これは一つの論文です 私はこの類のものをかなり読みましたがあまり感心しません 思考を練りすぎて実体から遊離するからです 知的遊戯でしょう この中から有益な部分を取り出します いかに努力しても、人間は動き出す前のわずかな予備動作(起こり)を完全には消すことができないからである。 人形の動きには「起こり」がない。したがって、それは武道的な意味ではすぐれて「速い」動きだということになる。 柳生宗矩は武道的身体の理想について次のように書いている。 「稽古かさなれば、はやよくせんとおもふ事そそとのきて、何事をなすとも、おもはずして無心無念に成りて、木てつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成りたる位也。」 (修業を重ねると、速く上手くわざを遣おうという気持が失せて、何事をなすときも、何も考えなくなり、思惟作用も思惟対象も消え失せ、まるで人形芝居の操り人形がダンスをするような感じになる。) とあります つまり予備動作の無い人形の動きは相手にとっては唐突で速いと言ってるわけです 「早い」「速い」「捷い」「疾い」「迅い」とニュアンスの違いが文字の違いです もし私のように歳をとっても 又は身体的なギャップを乗り越えるためには 人間本来が持つ本能的な運動構造から脱却する必要があります それは積み重ねの努力に期待するほか無く稽古の質を問うことになります 馴れ合いは上達の障害にしかなりません
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- 少林寺の柔法を語るスレ
548 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/08/09(火) 18:44:58.18 ID:Jf0cDUdK0 - 銃剣道はフランスから導入された銃剣格闘術をベースに槍術などの日本古来の武術の技術を加え成立しています
昔は銃床を武器と見做していましたが今は銃剣 実際には木銃の先端部での刺突で勝敗を競います 合気道の開祖もこれを良く遣う人で杖でこの動きを演じている動画もあります 銃剣道での起こりの説明は槍術のそれです 槍は長大であるので手元の僅かな動きが穂先に大きく現れる もし刺突の動作の前に穂先が動けば敵は察知し直後に来る攻撃に備える というものです 起こりの無い刺突は右手をゆるりと前へ送るように武器を突き出しその動作に乗る感覚で体を前に出す この感覚は空手の追い突きと共通しています
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