トップページ > 武道・武芸 > 2011年02月24日 > U8UiD6QH0

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Y2K
【正義】多聞天【性技】
富樫宜資と無門会空手 PART24

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【正義】多聞天【性技】
269 :Y2K[]:2011/02/24(木) 10:43:21.14 ID:U8UiD6QH0
真樹日佐夫が言ってるのは、女性経験がない奴は「本番」に弱いという彼の人生経験から出た言葉だ。
ボクサーは試合前に女断ちをするそうだが、それはあくまでもコンディション作りの一環としてであって、タイトル戦などの人生の本番にはフィジカル以上にメンタルな要素が重要になる。
そこで活きてくるのが豊富な女性経験で培われた臨機応変な判断力、対応力なのだ。
強い弱いを単なる競技のレベルではなく、人生全体にまで敷衍すれば、真樹の言葉は至当と言えるだろう。
実際、一口に喧嘩と言っても、適切な判断力がなければその場は凌いでも後から報復されたり、犯罪者として刑務所送りになってしまう。
人生という闘いで生き残るためには女をよく知っておくことが絶対に必要なんだ。
富樫宜資と無門会空手 PART24
881 :Y2K[]:2011/02/24(木) 16:31:24.51 ID:U8UiD6QH0
事故流さんの言う来る感覚ってのは別に特別なものではなく、誰にでもある。
剣術ではそれを気と呼んだりしていたが、株の売買とか日本刀の鍛錬などもこの感覚がなければできない。否、目玉焼き一つ作るにしてもこの感覚が必要だ。
しかし闘いにそれを使うためには単に来るという受動的な感覚だけでは駄目で、能動的に使いこなす意識のあり方の方が重要なるんだ。
だから『天狗芸術論』では気と心を区別しているんだ。
富樫宜資と無門会空手 PART24
882 :Y2K[]:2011/02/24(木) 16:43:19.09 ID:U8UiD6QH0
学術的には気を内感、心を統覚と分類できるが、心による気の統制、統覚による内感の統制を前面に押し出したのが植芝盛平の合気だ。
それを技術論的に捉え返したのが塩田剛三の呼吸力。
富樫氏の受即攻とは、空手における正拳突きと呼吸力を、一撃必殺思想と合気とを総合したものだ。別の見方をすれば受即攻とは殺戮と平和という矛盾の総合でもある。
これが富樫氏の偉大な業績であり、武道文化史に残るものである。
だから将来的に他流派が受即攻を再現しても二番煎じでしかなく、最初の人である富樫氏の評価が下がる事はない。
富樫宜資と無門会空手 PART24
883 :Y2K[]:2011/02/24(木) 16:56:14.86 ID:U8UiD6QH0
受即功には強力な突きが必要だが、来る感覚や呼吸力なら日常生活で鍛える事が出来る。
例えば犬の調教だ。
塩田は犬を嗾け、自分に跳び付いて来る所をかわす事で呼吸力を養ったと言っている。犬の調教は来る感覚だけでなく、その犬のエネルギーをコントロールする事が必要とされる。
エネルギーをただ感じ取るだけでなく、飼い主の意のままに誘導しなければならないのだ。
塩田の呼吸力も単に何かが来る感覚を研ぎ澄ましたのではなく、来る感覚を媒介として犬を調教するように相手の心をコントロールしていたと考えられる。


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