トップページ > 武道・武芸 > 2011年01月14日 > hMmH7gn10

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名無しさん@一本勝ち
剛柔流空手道

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剛柔流空手道
467 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/01/14(金) 19:03:17 ID:hMmH7gn10
>>460
1866年、東恩納寛量先生が14歳の時、冊封使行事終了の祝賀会が開催され
その中で空手の型が3つ演武されています。十三、ちしゃうきん、壱百零八です。
これらは剛柔流のセーサン、シソーチン?、スーパーリンペイではないですか?
十三とちしゃうきんは新垣通事が演武されていまして、新垣通事は東恩納寛量先生
の沖縄における師匠ということです。つまり、東恩納寛量先生は中国福建省へ行く前
に沖縄ですでに少なくとも十三、シソーチン?、壱百零八は習っていたと思われます。

剛柔流空手道
468 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/01/14(金) 19:13:29 ID:hMmH7gn10
>>460
東恩納寛量先生は1915年に亡くなられ、新垣先生は1920年に亡くなられています。
となれば、東恩納寛量先生の最初の師匠である新垣先生に宮城長順先生が十三、三十六、
壱百零八以外の型、サイファ、セイユンチン、シソーチン、十八、クルルンファ、を習われた
のではないでしょうか? しかし、東恩納寛量先生は壱百零八とは言わず、ベッチューリンと
言っていたそうで、宮城先生がベッチューリンを壱百零八に名称も型も少し変えたと思われます。
剛柔流空手道
469 :名無しさん@一本勝ち[]:2011/01/14(金) 19:17:39 ID:hMmH7gn10
>>459
沖縄に中国拳法が400年以上前に伝わり、それが沖縄の人々が改良したのは
事実だと思います。元は中国でも沖縄風に変化したというのならば分かります。
ただ名称が中国語になっているのはしかたないですよね。


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