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683 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 18:37:51 ID:PQ4Oy2SYP - スレの皆さんお久しぶりです。元患者です。
2度ブラッドパッチを受けてようやく2年が経過、どうやら完治したようです。 いろいろ自分にとって節目なので勝手ながら体験記を書いていこうと思います。 読むのがいやになったらIDNGでスルーお願いします。 発症のきっかけ 派遣で毎日イベント設営やってた。100インチのブラウン管TVとか持たされて腰にたまった疲れが取れなくなってきた。 具合悪い日が多くなったので事務仕事に変えた。しばらくは体調がよくなった。 事務仕事安定してきたので習い事。弱い体の自分が嫌なので空手道場に通い始めた。 下手ながらも体の動きが日々鋭くなるのがうれしかった。で、大会に出るよう勧められ、練習に力が入るようになった。 んで、ある日、実戦形式で背中に蹴りを食らった。以降頭にもたくさんもらい、ひどい頭痛がした。
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684 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 18:42:26 ID:PQ4Oy2SYP - それで初めのうちは「蹴りもらったししょうがないか」程度だったがこれが3日経っても治らない。
寝込んでいると頭痛が軽くなることに気づき、寝込みがちになった。しばらくして仕事もやめた。 以降、体調が悪いのをごまかすために大して興味もないスレッド巡りをするのが癖になり始めた。 それで、このスレッドに出会った。
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685 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 18:54:13 ID:PQ4Oy2SYP - 関連サイトも見ていくうちに「どう見ても自分じゃん」と思うようになり、検査の申し込みをした。大阪より西の国立病院。
1泊2日で58000円くらいだったか。結果はクロ。中程度の漏れと言われました。 不思議と気持ちが楽になった。というのも派遣のあたりから急に無気力状態になったりとかの体調不良が多くなって 心療内科にも通ってた。さんざん自分の意思が弱いせいにしてたから、低随由来かなと思えるようになったためである。 検査の最後に医師による説明と今後の治療について、別病院を紹介された。小さな病院だ。 次は治療その1 生食書きます。
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686 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 18:59:05 ID:PQ4Oy2SYP - 検査から一週間が経ち、紹介された病院に行く。
まず現状と治療方法についての説明を受け、EBP(ブラッドパッチ)と生理食塩水の2つの方法を教えていただく。 「昔はEBPでしか治らないと言われてたけど、生理食塩水で治る人も結構いるんだよ。うちの病院でもそうやって仕事に戻った人もいる」 との説明。さらにEBPのリスクなんかにも説明を受けた。それでしばらくは週一回、生理食塩水注射で治療していく方針となった。
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687 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 19:04:09 ID:PQ4Oy2SYP - 生理食塩水注射、ベッドにうつぶせになって背中を消毒、その後注射。場所は腰骨の下から4番目〜5番目の間。
最初はなんともないが徐々に痛くなる。痛さについては皆さん知っての通りだと思うので省略。 注射後、一時間ほどそこのベッドで横になって点滴も受けた。 待ち時間も含めてトータル2,3時間だろうか。病院を出た後は頭痛がきれいに無くなり普通の人として生活ができるようになった。
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688 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 19:13:37 ID:PQ4Oy2SYP - 治ったと思ったら40時間後くらいだろうか、また例の頭痛が再発した。72時間後には完全にダウン、来週の注射まで寝込むことになった。
2度目の注射、前回同様の内容。今度は術後50時間くらい体調がよかった。 以降5回目までだったか、週一回生理食塩水注射を受けてた。一回打つごとに体調のいい時間がちょっとずつ延びてた。 このあたりで年末になり病院が休み、年明け治療は20日後だった。 年明けにも一度生理食塩水注射したが、その後体調のいい日が3〜4日程度、前回、前々回もそうだったのでこの治療に頭打ちを感じた。 ここでEBPを受けることに決めた。 次、EBPについて書きます。 あと書き忘れましたが私の場合、生理食塩水注射は一回12000円かかりました。保険適用なしです。
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690 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 19:34:23 ID:PQ4Oy2SYP - 予約を入れて一ヶ月後、EBP手術を受けた。確か3泊4日、個室で費用は24万円だったはず。
入院一日目は午後から。血液検査などの基本的なものを受けた。 二日目は11時から手術。場所はなんかレントゲン?設備のあるところ。ちょっとイメージとは違ったがこれには理由があった。 どうもここの病院では造影剤を注射した後、レントゲン?設備を通じて髄液の漏れをリアルタイムで把握しながらEBP注射をするやり方をとっていた。 後々わかるのだが担当医の方はこの方法を確立した人で低随治療の第一線に立っているのであった。 注射箇所は生理食塩水注射の時と同じ腰骨下から4〜5番目。しかしながら痛い。意思とは関係なしに全身が痙攣する。 休み休みで3回くらいに分けて確か30か40cc注射した。 術後はひたすら横になって絶対安静プラス点滴。ベッドの横には溲瓶、人生初だ、食事も寝たままだった。 夜の検温に来た看護婦さんが中谷美紀似の美人だったので非常にムラムラした。真っ黄色に満たされた溲瓶を見られて余計興奮した。 そんな物を表情一つ変えずに換えてくれたことに対しても余計興奮した。 中谷さんが帰るまでの部屋のにおいをいっぱい吸おう、僕は必死にスーハースーハーした。 こんなことでしか生きてる実感を感じられなかった。
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691 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 19:40:54 ID:PQ4Oy2SYP - 中谷さんは次の日のよるまで検温、点滴などの世話をしてくれた。
好みのタイプの女性にされるがままマグロ状態で点滴針を刺されるは生来のMである私にとってご褒美であった。 点滴、溲瓶と新たな性癖が開拓された瞬間であった。 次の日も中谷さんを期待したが森三中を足して3で割ったような普通の看護婦だったので私はいつも通りの真面目な人に戻った。 入院日程は緩慢ながらも順調に終わった。
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692 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 19:59:23 ID:PQ4Oy2SYP - 退院後、家賃の安い家に引っ越した。長期戦を覚悟したためである。
母親が実家から看病に来てくれた。カーチャンの作る飯はやっぱりうまい、だが食欲は沸かない。 白飯は幼児用の茶碗程度の量、おかずも半人前程度。 しかし引っ越しという作業は大変ながらも楽しい。気が紛れる。 食欲以外は体調がよかったのでメタルラックを組んでみたり配置を考えたり、重いものを持ってみたり。 4時間くらい作業しただろうか。そのときEBPした周辺から異常な感覚がした。 髄膜のあたりでコーラみたいに炭酸がシュワシュワはじけて広がっていく感覚がした。 一瞬だがまるで開けたてのような勢いがした。とっさに我に返った私は作業を中断、スポーツドリンク飲んですぐ寝た。 これが退院5日目程度だったと思う。以後、大きめの動きをするとこの「炭酸感覚」がするようになった。 力をかけるとまずいと感じて以来、徹底的に力を使わない生活を心がけた。 大便踏ん張りはNG、常に多めの水分で下痢にして、便座で自然に便が漏れるのを待つスタイルにした。 生活も寝る、飯、トイレ以外を控えた。 術後の体調はまあまあよく、2週間程度は良好だった。EBPすごいと思った。 しかし再び悪化。寝ても頭痛、今度は腰痛も酷くなった。 EBPの効果を確認できたため、2度目のEBPを間髪入れずに予約、セオリー通りの術後2ヶ月以降も空いていたが最速日程の3週間後にした。 なんとなく直感が「早いほうがいい」と囁いていたためだ。 つぎ、2度目のEBPです。途中で規制されたらごめんなさい
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693 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 20:25:44 ID:PQ4Oy2SYP - 2度目の手術は同じく3泊4日、今回は6人部屋だった。カーテン越しになにやらクッチャラクッチャラ異音がする。
初めは無視していたがこれが何時間も続く。お前は何を食っているんだ、と。 近所の別病院で事前検査を受けて帰ってきた後も異音が続く。何の件で入院してるかは知らんがどうもご老人である。 「どうせお前の病気はなおるんだろう?」 「それにお前は病気だって周囲からわかってもらえるんだろう?お気楽だな!ハハッ」 「こっちが手術のために食事制限くらってるのに間食してんじゃねーよ!」 涙があふれ出た。世間的に病気と認めてもらえない自分とカーテン越しに間食してる「病気」のお方。頑張ってるはずなのにみじめな自分。 ナースコールを押して看護婦を呼び、2人で廊下に移動、鼻水すすりながら部屋替えを懇願した。 部屋替えは成功し、6人部屋だが他に誰もいない部屋になった。明日以降誰かくる不安はあったが、とりあえず安心した。 翌日やはり11時からのEBP。今回は2カ所、腰骨下から4,5番目と肋骨したから2番目くらいの背中部分、量はそれぞれ20ccか30腰、肋骨裏10のどっちかだったはず。 上のほうの注射、胸部分の髄膜下は体積が少ないため、注射されたときの圧迫感は一層強い。痛さにして1.5〜2倍くらい痛い。 タイミング的にもすぐ痛くなるのでこまめに小休止しながら徐々に注入していった。 空手でボコボコにされるシーンを思い出しながら堪えた。空手よりは痛くないはず、と思い込みながら。 体が内側から痙攣するので物理的な痛みでは経験できない独特の痛みなのだが、どっちもめちゃくちゃ痛い。 空手は交通事故みたいな衝撃がくるのに対してこっちは内側から、寒気すら伴い、異物感と不安感、これに神経の塊を直接刺激される激痛。 今思うと前者の方がまだましに思えてくる。 下と上、2カ所漏れがあったのと前回の結果を踏まえて今回の2カ所注射は技術的に難しい (確か胸裏の方は間隔が狭いため、EBP後の血の塊が取れなくなって髄液流れが悪くなったり、今後の手術に悪影響でるリスク)があったはず。 前回より痛かったが手術は終了、ストレッチャーにて病室に搬送される。 また絶対安静が始まった。
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695 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 20:44:16 ID:PQ4Oy2SYP - 溲瓶はあるが、中谷さんは来ない。来たのはなんと男。
萎えた。 別にこの人は悪くないんだけど、やっぱり森三中/3であっても女性の方が安心感がする。ふしぎだ。 楽しみがなくなったのでこんなこともあろうかとノートパソコンと、引っ越し時に新規契約したイーモバイル3Gモデムを持ってきていた。 布団に隠れてこっそりスレを巡回してはクスリと笑う。今となってはいい薬であったと思う。 次の日の夕方、24時間経ったので立ち上がりを許可された。近所の病室をチラ見しながらその人たちの病気に思いを馳せる。同じ病気の人、いるのかな? その疑問は次の日の午前中に明らかになった。ある一人の患者が僕に話しかけてきた。 目の下には深く くま ができている。目の奥に光はない。肌も土埃を一斉に浴びたように艶がない。 「俺さん、ひょっとして低随ですか?」 なんで俺の名前を・・ああ名札を見たのか。 「はいそうですよ」 「私もなんですよ」 初めて自分以外の患者にリアルに出会った。 どうもその方は年齢40前後、交通事故をきっかけになったそうでEBPは3回受けているという。 でもずっと治らない。だから今は生活保護で暮らしている。 そんな趣旨の話であったが、その声にはまるで生気がない。すがる者がいない者が発する独特の震えを伴っていた。 僕はここの先生が低随論文も出しているすごい先生であることも知っていたから自信を持って答えた。 「ここの先生は確かな方だから大丈夫ですよ」そんな趣旨のことを。慰めでは無く本気で。たぶんここの先生で無理だったら自分も人生あきらめようと思った。 以後この患者さんがどうなったかは知らない。僕は退院した。
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697 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 21:14:41 ID:PQ4Oy2SYP - 2度目の手術の費用は16万円だったはず。2度目のためいくつかの検査が省略されたこと、それと相部屋である。
しかしこれだけは言っておこう「できるなら個室を選ぼう」と。 自分の場合は先述のように隣人が気になってえらく不安になった。「病気」だと世間で認められている人間が同じ部屋にいるのがたまらなく嫌だった。 とにかくこの病気はその辺がたまらなくつらい。スレの皆さんならおわかりだろう。できれば個室がいいです。 そんなこんなで退院した。前回のように炭酸感覚が出るのは嫌なので今回は徹底した寝たきり生活をすることにした。 一般的には術後の休養は2週間程度と書かれているのが多いが、今回は6週間、絶対安静を心がけた。 そういう意味でカーチャンが買い出し、炊事をしてくれるのは非常にありがたかった。 あと力むのはよくないので自慰行為も極力控えた。発病以前は毎日のようにしていたが例の炭酸感覚が出て以来、週一回以下程度になるまで我慢した。 人は命の危機にさらされると性欲が増すらしい。病気であることへのストレスから相当溜まっていたが、なるべく我慢した。 唯一の汚点はカーチャンが寝ている横でエロゲで抜いてしまったことだ。本当にカーチャンごめんなさい。
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698 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 21:15:38 ID:PQ4Oy2SYP - あと新たな生活改善点として、吸収の早い水分補給として新たに「クエン酸コンク」たるものを導入した。
空手時代に愛飲していて、スポーツドリンク同様、吸収が早い上、疲労が溜まりにくくなる効果があり、それを実感していたので通販で購入。 mlあたりのコストもスポーツドリンクより安い。独特の酸っぱさに慣れればおいしい物だ。 時折頭痛が来たときもこれを飲んだら横になって2,3時間程度で緩和するのでずいぶん重宝した。 腰痛は相変わらず酷いのが続いていた。ある日あまりの痛さに夜眠れなくなった、うつぶせになっても痛みが酷い。 たまらずわんわんと泣き出した「もう嫌だーーーーーーー!!」と転げ回りながら怒鳴った。 横にいるカーチャンも泣き出した。「私がもっと丈夫な子に生めば良かった。ごめんね。」 そう言われて余計涙が出た。それと同時に気づいた。寝ている場所が悪いと。 僕はいわゆる厚手の低反発ウレタンを寝る際に使っており、普段はそれをたたむとソファーになるという便利物を使っていた。 しかし購入から1年半くらい経っていただろうか、当時のような弾力は無く、寝ると結構埋まるようになっていた。 手短に言うと、腰痛の真犯人はこの寝具、低反発ウレタンだった。 次の日、カーチャンと一緒にバスに乗ってジャスコに行った。西川の1万円くらいの敷き布団を買ってもらった。 次は小話、寝具について
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699 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 21:29:44 ID:PQ4Oy2SYP - 小話 寝具について
この病気はとにかく寝込む。故に私のように寝具由来で腰痛が出ている人がいるという可能性があるので気をつけてくださいまし。 事実私は寝具を変えて以来腰痛が軽くなり、今では無くなりました。 低反発ウレタン使用時はロキソニンを朝昼晩飲んでも激痛でした。ノイロトロピンも併せて処方されましたが効きませんでした。 後に寝具スレやベッドメーカーの情報サイトなどを回って見たところ以下のことがわかりました。 ・ウレタンマットは論外:寝具スレでは普通の人でも腰痛になる人多数。やめたら治ったとの報告も多数。やめた方がいいとの定説でした。 ・おしり〜腰周辺は、寝具が最もへたりやすい。へたった部分は腰痛の原因になる。 フランスベッドのサイトによると、ベッドマットはおしり部分がへたらないように、定期的に上下反対にする、裏表逆にする そうやって4回分をローテーションして使うのが正しいそうです。友人の慢性腰痛持ちにこのことを教えたら実践してくれて、腰痛が軽くなったと喜んでくれました。 布団でも同様でしょう。上下、裏表をローテーションして使いましょう。 すでにへたっているものを使っている方は多少値が張ってもいい物を使ってみることをおすすめします。 くれぐれも寝具商法にはひっかからないでくださいね。 では本文戻ります。たぶんあと少しです。
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700 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 21:51:35 ID:PQ4Oy2SYP - 二度目の手術からは頭痛がちょくちょくありながらも以前のように立てなくなる程のものはでなくなった。
2週間が経過した後もそれほど酷くない。逆に不気味なくらい体調がいい。 EBP直後に見られる頭に血が上るような高揚感がまだ残っているのだ。そしてそれは集中状態のように気分がよい。 炭酸感覚もたまにあったがその際にはすぐ横になって水分摂って休むようにしていた。 そして6週間が経過。頭痛はほとんど消えていた。記憶があいまいだが、この時にはもう頭痛がなかったのかもしれない。 少しずつ買い物とかコンビニ立ち読みとか、簡単な外出からリハビリを開始した。10分程度の外出でも帰宅後に筋肉痛が出た。 自分の弱りように驚いた。 それ以外は無理をしないように、カーチャンとゆっくり時間が流れるのを共有した。 たまに近所の図書館に行って昔読んだ絵本借りてきたり、スーパーファミコン引っ張り出してきてがんばれゴエモンしたり。 エビス丸の屁には癒された、昔失禁しながら笑い転げたのを思い出してね。 本当に子供時代にもどって過ごした。春の日差しが暖かかった。 4月以降も重たい物は持たないよう気をつけて生活した。排便も下痢漏れ待ちを継続、クエン酸も続けた。 汚点を犯したのはこの辺だろうか、申し訳ない。よりによって内容がSM調教物である。今となっては何で興奮したのかわからない。 エロゲの調教はなんだかかわいそうだ。 5月くらいになってからは筋肉もある程度戻ってきて外出しても大丈夫になってきた。 そろそろかな、そう感じた。母とのお別れである。 そう思うと寂しくなって結局お別れしたのは6月末くらいだった。最後は玄関先で泣いて抱き合った。 症状が消えるまでの走馬燈がぐるぐる、ずっとまわってた。 一通り泣いてカーチャンを見送った。その後ろ姿は小さかった。そして私は大きく救われた。
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701 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 22:04:58 ID:PQ4Oy2SYP - 以後は再び一人暮らしができるよう、ちょっとずつまわりのことをやっていった。
やる気がある時は資格の勉強をするようになった。体はまだまだだるかったが、頭痛はない。腰痛もほとんどなくなった。 そして11月くらいから、バイトを始めた。以前から好きで通ってた雑貨屋さんが好意で雇ってくれた。 病中から僕のことを知ってくれている数少ない人で、よく理解してくれているすばらしい人だ。 重たい物ももてないし、よく休む僕を生暖かく雑貨屋さんは見守ってくれた。 次第に真っ白だった顔にも血の気が宿り、笑い話もできるようになってきた。 さらに半年くらい経過した頃かな。商品が大量に入ってきたからバックヤードまで運んでくれと指示された。 結構な重量物、10kgくらいか、ためらいこそあったが手早く済まそう。そう思って運んだ。久しぶりに腰に力が入った。 するとどうだろう、あっけなかった。何も起きなかったのだ。今思うとこの頃には炭酸感覚も忘れていた。 2度目の術後から1年ちょっとくらいだろうか。健康体に戻ったのかなという感覚が初めて現実的なものとなった。
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702 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 22:24:36 ID:PQ4Oy2SYP - これでラストです
髄液の安定は術後から1年半から2年かかる、それまでは気圧による体調不良などが起こりうる。 そんな話をどっかで聞いて以来、自分の中では「術後2年はおとなしく過ごす」を最重要としてきた。 米5kgを持ち帰ったのも術後1年経つまでやらなかったし、歩行者信号が点滅しても走らず次の青を待った。 走るようになったのは術後1年半。街の空気が最高にうまかった。 酷い頭痛がたまにありますが、バファリン飲むとあっさり治るのでただの緊張性頭痛です。 これも寝具同様後で気づいたのですが、私の場合ストレスが溜まると寝ている間の「歯の食いしばり」が酷くて翌朝以降頭痛がでます。 この時には決まって顎関節と歯が痛みます。頭の方は起立性頭痛並に痛いです。 対策としては歯科医にマウスピースを作ってもらい、就寝時につけてますので今は頭痛から解放されました。 当時も起立性頭痛とストレス性の歯食いしばり頭痛を併発していたようです。 冷静に原因を分析すると症状が軽くなる物なのだなと思います。 とりあえず治ってから2年経過したのでまとめて投下しました、以上です。 需要あれば質問も受け付けますのでお手柔らかにしていただけると幸いです。
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703 :病弱名無しさん[sage]:2011/02/15(火) 23:06:36 ID:PQ4Oy2SYP - さてずいぶん書き込んでしまったようですね、少しでも皆さんの力になれればと思います。
体調悪くてスレ覗けない方もいるでしょうから質問できる限り気長に受け付けます。 >>683宛にレスしてくれると読みやすくてありがたいです。
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