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名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31

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羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
174 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 07:24:30.00 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数
2 序盤戦の変遷とAI登場以後
3 AI時代の棋力向上

この稿の大要
プロ棋士になるのは東大に入るより難しいと言われるが、そうした秀才の集まりのなかでものちにA級棋士になれるような天才は1年に平均一人だけだ
年に何人プロになろうがこの法則は変わっていない
何故かというと毎年A級昇級する二人のうちの一人はA級復帰の棋士という傾向が長年続いているからだ
そして、A級棋士の頂点が名人で、実力制名人以降の永世名人は木村(8期)、大山(18期)、中原(15期)、谷川(5期)、森内(8期)、羽生(9期)しかいない
大山は平均が5人兄弟だった大正時代の将棋ブームが生んだ天才だ
将棋が国民的娯楽で、祭りでは大道将棋が人気で、子どもの遊びも圧倒的に将棋だった時代なので天才の出現は必然だった
中原は戦後の第一次ベビーブームがもたらした天才だ
そして、新将棋会館ができて環境が整い、第二次ベビーブームで子供数が多かったのがいわゆる羽生世代である

しかし、羽生世代の前からテレビのカラー化、インベーダーゲームの流行など室内娯楽が多様化したばかりでなく国民が裕福になってアウトドア産業も発達してきた
将棋の子ども人口は傾向的に低下していた
このことが意味することを真に理解している人は少ない

どういうことかというと、昔は数学の天才も東大を首席で卒業する秀才も子ども時代に将棋を覚えたが将棋の才能では彼らでも勝てない人間がプロ棋士になったのだということだ
将棋への適性が天性のものであるなら誰もが参加したことがある中でトップに立った天才と、700万人の将棋人口レベルのトップでは天才の意味が違うだろう
はたして、今の棋士は棋力が向上して大山をもってしても勝てないほど強くなったのか?それとも大山は今をもってしても不出の天才と言えるのか?
そのことを調べるためには棋士全体の評価も必要だし、AIによって天才が一人勝ちする時代が終焉したのかについても議論する必要がある
過去のスレを振り返ってみたが論点が多くまとめるのは大変であった
実をいうと、まだまとめることができていない
ためらっていてはいつになっても終らないので先ずは要点を拾うことから始めることにした
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
175 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 07:37:14.46 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数@
将棋の適正が天性のものであるならという点については渡辺名人も同じ考えのようだ

将棋の才能…。その人が生まれ持って、その競技に対する「限界値」みたいなものですよね。
将棋だったら、将棋における最高到達地点って生まれた瞬間にある程度は決まってると思うんです。みんながみんな幼稚園くらいのころからサッカーをやったって、メッシやロナウドになれるものじゃない。そういうもんですよね、才能って。
どんなスポーツでも上に行っている人は、もともと才能がある上に、早い段階でその競技に巡り合ったというものあったでしょうし。
(渡辺明)
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
178 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 08:35:08.48 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数A
二上が入門したのは18歳のときだった
奨励会に異例とも言える突き出し二段で入った
異例とは言っても29歳の花村がアマからいきなりプロ五段になった例もあり、二上にも当初からプロ四段という話もあった
その背景には当時の棋士数が絡んでいる
二上が入門した1950年はプロ棋士は70名に満たなかった
http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/juni/class_member.htm

つまり、日本中で70位までに入れるぐらい強くないとプロ棋士になれない時代なので、今だとプロで十分通用する人がアマにも多く存在していた
二上は17歳でプロでもおかしくない人間が集合するアマの全国大会に北海道代表で参加し本戦まで行ったことから実力はすでにプロであったし、その若さからA級棋士になれる器とみなされたわけだ

棋士数が少ないからプロ棋士のレベルも低かったという主張は錯覚でしかない
奨励会や順位戦での競争による淘汰は儀式に過ぎず、今も昔も棋士の逸材は入門時にほとんど分かる
二上は12勝4敗という昇段規定を無駄なく二度クリアし在籍わずか8ヶ月で奨励会を卒業した
プロの対局は半年先までなかったが昇段は順調で24歳で入門してから6年でA級八段となった
このスピード記録が破られることはないだろう
今の棋士数だと昇段は簡単にはいかないだろうが、それは新陳代謝が遅くなることを意味している
新陳代謝が遅ければA級棋士のレベルは高くなるのもその分遅くなるだけなのだ

二上は1932年に生まれた218万人のトップに立ったばかりでなく、戦後にプロになった全棋士のトップになったわけだが、その二上でもアマ全国大会では2回戦で敗退した
当時のアマトップのレベルは今のプロ並みだったのである
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
181 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 13:22:26.80 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数B
少年時代に将棋熱が旺盛だった大山の時代からは多くのA級棋士が輩出された
原田泰夫九段もその一人で大山とは同年同月生まれだ
順位戦がスタートした戦後に毎年昇段して26歳でA級八段になった
大山とは27戦して2勝25敗
年齢が同じなのに全く大山に歯が立たなかった棋士の一人だ
大山はそれだけ強すぎて抜けた存在だった
この成績を見て大山以外は棋士のレベルが低かったと思うのは原田を知らないモグリだけだ
棋戦が少ない時代に大山と27戦していることからして只者ではない
原田は48歳でA級にカムバックしている
それも、大内延介を負かして9勝2敗で1位昇級だった
同時2位昇級した棋士が28歳の米長だ
原田48歳はすなわち大山48歳のとき、まさに中原米長時代にA級に昇級するだけの実力がある棋士だった
しかも復帰したA級順位戦で有吉、塚田、二上、内藤に勝ち4勝4敗で残留した
A級在籍期間は松田茂行、加藤博二に並ぶ10年だ
1973年(50歳)の最強者決定戦では5-0の成績で優勝し中原名人との模範対局にも勝利している
原田を知らないモグリはwikiで調べるがよい
才能は将棋だけではない多才多芸な達人の一人だった
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
182 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 13:24:47.72 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数C
原田九段の才能から知れるように大山が出てきた時代はレベルが低いどころか秀才の宝庫だった
羽生世代のように多くのA級棋士を輩出している
松田茂行は戦争がなければ佐藤康光並みの棋士で、大山と同年棋士には加藤博二、広津久雄、原田泰夫、松下力、五十嵐豊一がいた
大山、升田、塚田という飛び抜けた棋士がいた時代に松田、加藤博二、原田は通算10期のA級棋士だった
20代の加藤一二三が二度も陥落するほどA級の壁は厚かった
全盛期の大山の強さを知らないと全盛期の大山に3割も勝てなかった二上、内藤、加藤が弱い棋士に見えてしまうが、とんでもない
大山に勝率3割はいいほうでA級棋士でも2割勝つのも厳しかった
全盛期の大山は、中原、谷川、羽生より強い棋士だったから当然の結果であった

大山がどのくらい強かったかは大山の全盛期に対戦したA級棋士とのデータでわかる
原田に25勝2敗(0.926)
坂口、松下、広津、高柳、南口に合わせて42勝6敗(0.875)
花村に43勝9敗(0.827)
五十嵐に14勝3敗(0.824)
高島に23勝6敗(0.793)
加藤博二に21勝6敗(0.778)
大野に23勝7敗(0.767)
関根に18勝6敗(0.750)
灘に28勝10敗(0.737)
松田に25勝10敗(0.714)

50歳代が初手合いのA級棋士との対戦成績からも全盛期の大山がどれほど強かったか想像できよう
佐藤大五郎に17勝1敗(0.944)
石田に15勝4敗(0.789)
桐山に28勝10敗(0.737)
大内に24勝10敗(0.706)
勝浦に23勝11敗(0.676)
森に16勝11敗(0.593)

50代の羽生がこれからA級に昇級してくる棋士を相手にどれだけの勝率を残せるかを想像したら、とても大山にはかなわないことがわかる
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
184 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 13:41:11.35 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数D
大山時代のA級棋士は羽生世代に劣るどころか羽生世代よりレベルが高い棋士が多かった
それは50歳過ぎてもA級に残れた棋士の数でわかる
50歳すきてもA級に残れるのは終盤力がある棋士だけだからだ

年代で分けると
@1910年代生まれ
塚田、大野
A1920年代生まれ
花村、升田、丸田、原田、大山
B1930年代生まれ
二上、有吉
C1940年代生まれ
加藤、内藤、米長、森、中原
D1950年代生まれ
青野
E1960年代生まれ
高橋、谷川
F1970年代生まれ
康光、羽生
大山時代の前後の棋士のレベルが高くて厚かったばかりでなく、50歳代に対戦したA級棋士の層も厚くレベルが高い
そして、大山は@からFまでのすべての年代のトップ棋士と対戦した

大山時代の棋士のレベルの高さは50代の勝率上位の棋士を調べてみてもわかる
https://i.imgur.com/Z4Oy5Rs.jpg
大山が50代60代でも最強棋士の中原相手に勝率0.340だったことが、どんなに凄いことか分かる
あれだけ大山に勝っていた中原でも50代の勝率は負け越しなのだ
羽生の50代勝率はどうなるか
大山は50代にA級相手でも勝ち越している
大山は47歳差の羽生に対してすら互角の対戦をした
あらためて大山の凄さを噛みしめるしかない
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
185 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 14:23:07.20 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1将棋人口と棋士数E
多少趣向を変えて代表的な棋士のデビュー前後5年間にプロになった棋士で通算10年以上A級棋士だった棋士数を調べたら次のようになった
(プロになった年)
大山前後(1940年) 6名
二上前後(1950年) 5名
中原前後(1965年) 3名
谷川前後(1976年) 3名
羽生前後(1985年) 6名
渡辺前後(2000年) 2名
藤井前後(2016年) (0)

カウントされていないが、大山前後の松田辰雄と二上前後の山田道美、羽生前後の村山聖は早死にしてなければ間違いなく10年以上A級だった棋士
二上前後の棋士は中原前後の棋士を上回るレベル
大山前後の棋士のレベルが最も高い
繰り返しになるが大山は、大山前後のみならず、二上前後、中原前後のトップ棋士にも勝ち越したトンでもない棋士
50代には中原以外の20代トップ棋士にも勝ち越した
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
186 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 14:31:37.28 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数F
木村、塚田、升田との対局が多かった20代以外は歴代勝率1位は大山である
10代しかり、30代しかり、40代しかり、50代しかり、60代しかりなのだ
しかも、A級棋士の最高勝率0.854の記録があるのも大山だ
大山が最強でないと主張するには羽生の時代の棋士と比べると相当に弱い相手だからと言い張るしかない
はたして、二上、内藤、加藤はそんなに弱い棋士だったのか
調べて見ると全盛期の大山に3割も勝てていない
もし、後の時代の棋士が大山よりもっと強いなら彼らはもっと勝てないはずだ
ところがどうしたことか、彼らにとって、大山以上に強い棋士は後にも先にも見当たらないのだ
二上は大山に0.278
中原に0.310
谷川に0.444
二上が2割しか勝てない棋士など一人もいない

内藤は大山に0.265
中原に0.338
谷川に0.435
羽生に0.200
内藤が羽生に1-4で2割だが4敗は51歳と52歳の対局で負けている

加藤は大山に0.376
中原に0.380
谷川に0.348
羽生に0.300
加藤1991年度までは
大山に0.376
中原に0.375
谷川に0.419
羽生に0.667
加藤が弱すぎたのなら中原や谷川羽生が相手では加藤は3割も勝てないはずだが、実際は逆で加藤は大山を相手にするよりも中原、谷川羽生を相手に対戦した勝率のほうがよかった
しかも、20代の加藤は大山(47歳まで)に20勝43敗(0.318)だった
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
188 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 14:44:32.95 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数G
プロ棋士のレベルは1年に7,8人もプロ棋士になることができた時代が一番低い
羽生の10代の高い勝率はレベルが落ちた時代の勝率ということも勘案する必要がある
羽生の前の10年間で52人もプロ棋士になっている
その中に、羽生が抜いていった後のA級棋士は島朗、井上慶太、森下卓の3人しかいない
55年組の高橋、南、塚田らは羽生より先にスイスイ昇級していった

中原の前の10年間はプロ棋士になった棋士は22名しかいないという少数精鋭時代
中原が抜いていった後のA級棋士は佐藤大五郎、木村義徳、板谷進、米長、大内の5棋士と多い
彼らですらもたつく順位戦を勝ち上がっていた中原の勝率は評価も高くなる

谷川の前の10年間でプロ棋士になった35名のうちA級棋士になったのは10名で、残りの25名はA級に届かないレベルの棋士だった

中原の前の10年間でプロ棋士になった22名のうちA級棋士になったのは中原に抜かれた5名の他に芹沢と内藤がいたので、残りの15名がA級に届かないレベルの棋士だった

羽生の前の10年間でプロ棋士になった52名のうちA級棋士になったのは10名(小林、田中、谷川、高橋、島、南、塚田、井上、森下、阿部)で、残りの42名はA級に届かないレベルの棋士だった
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
189 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 14:49:58.53 ID:1iiehQ9K0
B時代背景比較
1将棋人口と棋士数(終)
プロ棋士になれる条件を厳しくしても緩和してもA級棋士になれる人材は1年に1人程度の割合でしか輩出されない
1年に2人しかプロ棋士になれない時代でも8人がなれる時代でも違いがないことをA級順位戦史が教えている
結局、出生数と普及率で勝っていた昔のほうが棋士のレベルは高かった

若手の活躍が増えたからといって時代があとのほうが棋士が強くなったわけではない
若手棋士の勝率が二上や加藤より高いのも棋士数が倍になったことで上位との対戦が少ないからだ
別に強い棋士が増えたわけではない

同じA級棋士でも55年組より10年早くプロ棋士になった青野の成績が証明している
対谷川 11-16(0.407)
対福崎 17-09(0.654)
対高橋 06-17(0.261)
対中村 11-07(0.611)
対島朗 18-11(0.621)
対南  12-11(0.522)
対塚田 10-08(0.556)

その青野が30歳年長の大山に7勝13敗(0.350)、10歳年長の米長に6勝16敗(0.273)だった
時代は関係ない
大山、米長、谷川は時代に関係なく、この順に強い
同じA級棋士でも高橋以外の55年組は10年前にプロ棋士になった青野より弱いし、青野は米長より弱い
勝率がいい若手棋士が増えているからといってレベルが上がったわけではない
現在に視点を変えれば渡辺名人を10年あとの世代が越えられていないことが証明している
対豊島 0.600
対永瀬 0.762
対斎藤 0.571
対菅井 0.727

結局、渡辺を超えていくのは藤井だけで、それは新世代の勝利でなく藤井が勝利したことにしかならない
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
199 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 15:49:26.42 ID:1iiehQ9K0
>>186
抜けがあった

B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数F'
二上、内藤の負けっぷりが良すぎるから盤外戦術のせいとか冗談にされるが、これを見たらそんな次元で大山が強いのでないことは明らかだ
盤外戦術は受けなかったと証言している加藤一二三も全盛期の大山には3割も勝てていない
そして、その他のA級棋士との勝率データは実力の違いであることをまざまざと示している
B1棋士となるとまったく大山に勝てていない

対本間 13-0
対佐伯 6-0
対富沢 6-0
対長谷部 9-1
唯唯、大山は強かった
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
201 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 16:34:08.77 ID:1iiehQ9K0
中原とあれだけ対局して50代の勝率が0.633というのも凄いが中原以外だと375-183(0.672)となるから驚くほかない
次に対局が多かった米長も除外すると339-148(0.696)、さらに加藤まで抜くと314-130(0.707)
つまり、なんと!3強以外には50代でも勝率7割をキープしていた

しかも、そのほとんどがタイトル戦、リーグ戦、本戦、A級順位戦なわけだ


あまり知られていないが50代の予選成績だけに限定するともっとすごいことになっている

十段戦予選 14-2
王位戦予選 10-1
50代の予選全成績 24-3(0.889)

過去の棋士と比べて藤井二冠の勝率が抜きん出ているけど大山の隠れた記録にも脱帽するしかない
そして、これはそのまま、棋士のレベル低下があったことを示していて、それは、傾向的に大山が亡くなるまで続いていたようだ
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
203 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 16:45:48.52 ID:1iiehQ9K0
その事を示す何よりの証拠は王位戦予選のその後の成績だ
王位戦予選はシード4棋士以外は全棋士予選が4回戦を戦うトーナメント戦なので比較しやすい
64歳前後の大山の勝率が16歳前後の藤井聡太の勝率より良いのは相手棋士のレベルが現代棋士より低いからであろうし、大山だけでなく棋士として高齢の二上有吉、加藤の勝率もよいことから、当時の棋士のレベルが二上有吉や加藤の全盛時代よりレベルが落ちていたことも示されている
すなわち、それは谷川、羽生の時代のことだ
1986年〜1989年
王位戦予選(28期〜30期)の成績
大山康晴 (勝率9割)
 28期 4-0 63歳
 29期 1-1 64歳
 30期 4-0 65歳
二上達也 (勝率6割6分)
 28期 0-1 54歳
 29期 0-1 55歳
 30期 4-0 56歳
加藤一二三 (勝率6割)
 28期 0-1 46歳
 29期 3-1 47歳
 30期 3-1 48歳
有吉道夫 (勝率5割7分)
 28期 1-1 51歳
 29期 3-1 52歳
 30期 0-1 53歳
羽生善治 (勝率5割)
 28期 0-1 16歳
 29期 2-1 17歳
 30期 1-1 18歳

2017年~2019年
藤井聡太 (勝率7割8分)
 59期 3-1 15歳
 60期 0-1 16歳
 61期 4-0 17歳
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★31
214 :名無し名人 (ワッチョイ a7ad-tuXP)[sage]:2021/05/02(日) 17:37:02.93 ID:1iiehQ9K0
>>211
30歳時の実績
豊島
 登場13 獲得6
森内
 登場 3 獲得1
康光
 登場12 獲得3


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