- 羽生善治は大山康晴を超えることができるのか? 19
44 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:09:21.68 ID:X6ctRfvv0 - 谷川のペースが早いというのは、
谷川以前の時代より対局数・棋戦数が多くなった証明にすぎないのでは? 谷川は大山や中原より勝率が低いわけだから、 それなのに勝ち星をより早く重ねるのは、勝ち星を稼げるチャンスが多い=対局数が多い、としかならないでしょう。 ちゃんとそういうことを考えて数字は見ないと駄目ですよ。 コメントしている人たちは上辺の数字の大小だけで判断している素人だから仕方ないにしても。
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45 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:11:19.13 ID:X6ctRfvv0 - 【大山康晴7 1946年度(23-24歳)(14局11勝3敗78.57% うち不戦勝1)】
0106 ● 1946-06-18 升田幸三 七段 順位戦 0107 ○ 1946-06-23 松田茂行 六段 順位戦 0108 ○ 1946-06-26 松下力 六段 順位戦 0109 ○ 1946-06-28 宮松関三郎 七段 順位戦 0110 ○ 1946-07-20 高島一岐代 六段 順位戦 0111 ○ 1946-07-23 松田辰雄 六段 順位戦 0112 ● 1946-09-05 長谷川清二郎 六段 順位戦 0113 ● 1946-09-07 小堀清一 六段 順位戦 0114 ○ 1946-09-10 平野信助 六段 順位戦 0115 ○ 1946-10-30 飯塚勘一郎 六段 順位戦 0116 ○ 1946-11-01 北楯修哉 六段 順位戦 0117 ○ 1946-11-04 大和久彪 七段 順位戦 0118 ○ 1946-11-06 荒巻三之 六段 順位戦 0119 □ 0000-00-00 藤内金吾 六段 順位戦
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46 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:19:13.21 ID:X6ctRfvv0 - 大山が初参加したタイトル戦(予選)は第4期名人戦(名人決定は1944年度 低段予選は1941年度からスタート)。
このときは段位戦を勝ち抜き、最終16人のトーナメント(4回実施)に参加も、敗退。 続く第5期名人戦(1945年度)は参加資格なし(その後、戦争のため途中で挑戦争いも打ち切り 木村義雄名人の無条件防衛)。 戦後第6期名人戦(1947年度)から、その予選として第1期順位戦(1946年度)がスタートします。 升田、大山はB級(六段七段リーグ)に所属。 1946年度の大山の成績は順位戦の結果だけとなっています。 >>45 大山が参加した2回目のタイトル戦(予選)ですが、この年度はB級棋士の挑戦権獲得は不可能でした。 升田が1位(12勝2敗)で、次年度A級に昇級、大山は2位(11勝3敗)でB級残留です(当時の昇級枠は1)。 参考に、A級(八段リーグ)では、塚田正夫、大野源一、萩原淳が1位タイ(10勝3敗) 3者プレーオフの結果 → 塚田2勝 大野1勝1敗 萩原2敗 で32歳の塚田が挑戦。 第1期から5連覇中(32歳から42歳まで、およそ9年半連続在位)の木村名人を倒して実力制第2代名人となりました。
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47 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:23:19.59 ID:X6ctRfvv0 - 【大山康晴8 1947年度(24-25歳)(29局24勝5敗82.76%)】
0120 ○ 1947-04-08 松田辰雄 七段 将棋世界 0121 ○ 1947-05-20 花田長太郎 八段 坂田三吉追善会 0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界 0123 ○ 1947-06-25 建部和歌夫 八段 順位戦 0124 ○ 1947-06-27 松田茂行 七段 順位戦 0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦 0126 ○ 1947-07-01 斎藤銀次郎 八段 順位戦 0127 ○ 1947-07-03 大和久彪 七段 順位戦 0128 ○ 1947-08-10 山中和正 六段 山陽新聞 0129 ○ 1947-08-16 山中和正 六段 中国民報 0130 ○ 1947-09-05 松田辰雄 七段 順位戦 0131 ○ 1947-09-07 高島一岐代 七段 順位戦 0132 ○ 1947-09-09 高柳敏夫 六段 順位戦 0133 ○ 1947-09-11 丸田祐三 七段 順位戦 0134 ● 1947-09-14 丸田祐三 七段 大阪新聞第1局 0135 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第2局 0136 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第3局 0137 ○ 1947-10-29 渡辺東一 八段 順位戦 0138 ○ 1947-11-03 梶一郎 八段 順位戦 0139 ● 1947-12-05 金子金五郎 八段 順位戦 0140 ○ 1947-12-08 土居市太郎 八段 全日本選手権 0141 ○ 1947-12-29 升田幸三 八段 夕刊新大阪岡山 0142 ○ 1948-01-05 升田幸三 八段 ラジオ将棋 0143 ○ 1948-02-04 大野源一 八段 名人挑戦第1局 0144 ● 1948-02-07 大野源一 八段 名人挑戦第2局 0145 ○ 1948-02-10 大野源一 八段 名人挑戦第3局 0146 ○ 1948-02-26 升田幸三 八段 名人挑戦第1局 0147 ● 1948-02-29 升田幸三 八段 名人挑戦第2局 0148 ○ 1948-03-03 升田幸三 八段 名人挑戦第3局
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48 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:34:32.76 ID:X6ctRfvv0 - 【大山康晴8 1947年度(24-25歳)(31局26勝5敗83.87% うち不戦勝2)】 >>47を修正
0120 ○ 1947-04-08 松田辰雄 七段 将棋世界 0121 ○ 1947-05-20 花田長太郎 八段 坂田三吉追善会 0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界 0123 ○ 1947-06-25 建部和歌夫 八段 順位戦 0124 ○ 1947-06-27 松田茂行 七段 順位戦 0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦 0126 ○ 1947-07-01 斎藤銀次郎 八段 順位戦 0127 ○ 1947-07-03 大和久彪 七段 順位戦 0128 ○ 1947-08-10 山中和正 六段 山陽新聞 0129 ○ 1947-08-16 山中和正 六段 中国民報 0130 ○ 1947-09-05 松田辰雄 七段 順位戦 0131 ○ 1947-09-07 高島一岐代 七段 順位戦 0132 ○ 1947-09-09 高柳敏夫 六段 順位戦 0133 ○ 1947-09-11 丸田祐三 七段 順位戦 0134 ● 1947-09-14 丸田祐三 七段 大阪新聞第1局 0135 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第2局 0136 ○ 1947-09-15 丸田祐三 七段 大阪新聞第3局 0137 ○ 1947-10-29 渡辺東一 八段 順位戦 0138 ○ 1947-11-03 梶一郎 八段 順位戦 0139 ● 1947-12-05 金子金五郎 八段 順位戦 0140 ○ 1947-12-08 土居市太郎 八段 全日本選手権 0141 ○ 1947-12-29 升田幸三 八段 夕刊新大阪岡山 0142 ○ 1948-01-05 升田幸三 八段 ラジオ将棋 0143 □ 1948-00-00 花田長太郎 八段 名人挑戦第1局 0144 □ 1948-00-00 花田長太郎 八段 名人挑戦第2局 0145 ○ 1948-02-04 大野源一 八段 名人挑戦第1局 0146 ● 1948-02-07 大野源一 八段 名人挑戦第2局 0147 ○ 1948-02-10 大野源一 八段 名人挑戦第3局 0148 ○ 1948-02-26 升田幸三 八段 名人挑戦第1局 0149 ● 1948-02-29 升田幸三 八段 名人挑戦第2局 0150 ○ 1948-03-03 升田幸三 八段 名人挑戦第3局
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49 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 09:41:49.02 ID:X6ctRfvv0 - >>48
1947年度のものである花田戦の不戦勝2つが、手持ち資料では1948年度にカウントされていたため修正いたしました。 不戦勝不戦敗の扱いは微妙なところではありますが、手持ち資料では勝敗にカウントしているようなので とりあえず計上しておきます。 この年度の大山はトータル5敗していますが、致命的な負けはほとんどありません。 3番勝負を3回戦い、どれも2勝1敗で「勝ち」となっているためです。 (番勝負全体で勝てば、例えば7番勝負で4勝0敗だろうが4勝3敗だろうが、価値はそう変わりません。) さらに順位戦B級でも11勝1敗1位で「昇級」かつ「名人挑戦決定パラマストーナメント」への参加資格を得ており これも「勝ち」の結果であるため、ここでの1敗も関係ありません。 ですから、5敗のうち「敗退」となる負けは 0122 ● 1947-05-22 高島一岐代 七段 将棋世界 この1敗だけですが、これは将棋雑誌の企画将棋か何かですかね? 詳細不明ですが、さほど重要な勝負とは感じません。つまりこの1947年度の大山はほぼ勝ちっぱなしですね。 最後の大山升田3番勝負が、有名な「高野山の決戦」となります。 2人が想定してきた木村名人への挑戦をかけての勝負ではなく、塚田新名人への挑戦をかけた勝負です。 B1位の大山対A3位の花田、勝ち上がり者がA2位の大野、さらにその勝ち上がり者がA1位の升田と戦う 4者パラマス式トーナメントでの名人挑戦権争いでした。 病気の花田相手には不戦勝となった大山が、木見門下の兄弟子2人を倒していきます。 ちなみに前名人の木村はA級で7勝7敗5位と、この年度は振るいませんでした。 失冠、環境の違いの影響でしょうか。
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52 :名無し名人 (ワッチョイ 5bb0-qmoe)[sage]:2019/11/09(土) 10:06:35.69 ID:X6ctRfvv0 - 1947年度、第7期名人戦(第2期順位戦)が、大山が参加した3回目のタイトル戦(予選)であり、
挑戦可能なケースとしては2回目ということになります。 藤井聡太の通算勝ち星100勝達成関係で話題となりましたが、 0125 ○ 1947-06-29 長谷川清二郎 七段 順位戦 これが大山15世の通算100勝目ということになります。 手持ち資料では「100勝25敗(勝率8割ちょうど)」ということになりますが、連盟発表だと「100勝26敗」で達成となっています。 藤井聡太七段、最速・最年少・最高勝率で通算100勝を達成! https://www.shogi.or.jp/news/2018/12/100_1.html 文春の記事の段階では、大山「100勝25敗」のようです。 藤井聡太七段100勝達成 異次元すぎる16歳を歴代トップ棋士と比較すると… https://bunshun.jp/articles/-/9996 手持ち資料だと、1敗足りません。 100勝達成日は、「1947年6月29日」で合っていますので、間違いないようです。 大山通算成績は 2215局 1433勝780敗2持将棋 説と 2216局 1433勝781敗2持将棋 説の2つが存在しているようです。 この1敗の差が、関係しているかもしれません。
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