- 藤井聡太応援スレ Part228
658 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 19:29:21.05 ID:jzqp47gf0 - そりゃあ、順位戦のみに対策と研究のすべてを注ぎ込めば、
棋力以上の結果が出ても不思議ではないだろう。 A級は、タイトル戦抱えてたり多忙な棋士も多いのだから。
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- 第3期 叡王戦 Part22
349 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 22:02:26.73 ID:jzqp47gf0 - >>246
右の山は、渡辺棋王が濃厚ですね。
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369 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 22:04:27.87 ID:jzqp47gf0 - 豊島は、伊角さん、石井茜の系譜に連なる者かよw
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387 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 22:08:01.31 ID:jzqp47gf0 - 渡辺棋王「初物食いのアキラとは私のことです^^」
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402 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 22:10:01.42 ID:jzqp47gf0 - >>361
なんたる強運… ラッキーボーイってレベルじゃねーぞw
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612 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:05:14.82 ID:jzqp47gf0 - トーナメントだと、どうしても番狂わせは起きるわけだから、
ドワンゴもそれが嫌ならリーグ戦にするしかないよ。
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619 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:09:37.85 ID:jzqp47gf0 - 去年の朝日杯も、
優勝 八代弥五段 準優勝 村山慈明七段 ベスト4 広瀬章人八段 澤田真吾六段 というスポンサー泣かせの超地味な結果に終わっているからな。 叡王戦も、同じ悪夢が起きない保証はない。
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628 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:14:54.38 ID:jzqp47gf0 - >>624
羽生はどちらかと言えば「大事なところで勝てない棋士」という評価が定着してます。
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643 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:24:20.77 ID:jzqp47gf0 - >>635
大事なところで勝てないから、圧倒的な棋力の割りに、ここまで遅れたということでしょう。
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656 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:32:23.11 ID:jzqp47gf0 - >>639
そゆこと
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658 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:35:46.70 ID:jzqp47gf0 - >>655
馬鹿はお前な。 >>639さんが書いている出来事のときに散々言われてきた、 2ちゃんでも書かれてきたことなのに。 具体的に反論できないので、馬鹿とか誹謗中傷するしかないわな。 これだからカルト信者は困るんや。 東郷平八郎を軍神に祭り上げて老害化させた日本海軍と一緒w
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668 :名無し名人 (ワッチョイ 12b3-4pIx)[sage]:2017/12/19(火) 23:40:39.10 ID:jzqp47gf0 - 「限りなく黒に近い灰色」→「灰色に近い」の改ざんで、
羽生の東郷平八郎化はすでに始まっている。 晩年において海軍における東郷の権威は絶大で、官制上の権限は無いにもかかわらず 軍令・軍政上の大事は東郷にお伺いを立てることが慣例化していた[注釈 5]。 海軍省内では軍令部総長・伏見宮博恭王と共に「殿下と神様」と呼ばれ、 しばしば軍政上の障害とみなされた。そして伏見宮すら「自分と東郷の意見が 分かれるようなことがあってはならん」と気にしていた。 井上成美は「東郷さんが平時に口出しすると、いつもよくないことが起きた」と述懐したうえで、 「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね」と語っている。 また岡田啓介・米内光政・山本五十六なども、東郷の神格化については 否定的な態度をとっている。昭和期の海軍内の抗争において、 東郷・伏見宮は艦隊派を後援し、岡田らは条約派に属した。 東郷に関する著作物中、重要なものは「東郷の私設副官」といわれた 小笠原長生による[12]が、日本海海戦時に「三笠」艦上にあった今村信次郎は 東郷の前で事実と異なる点を指摘し、東郷は「証人がいては仕方ない」と 小笠原に訂正を指示している[13]。山路一善は小笠原に対し「閣下の東郷元帥に関する 著書や講演のなかには、潤色が度に過ぎて誇大に失するものがあり、 日本の歴史を誤るのではないかと憂える」と述べたとされる[12]。 晩年 末次信正、加藤寛治らのいわゆる艦隊派の提督が東郷を利用し軍政に干渉した。 昭和5年(1930年)のロンドン海軍軍縮会議に際して反対の立場を取った ロンドン軍縮問題[注釈 3]はその典型であるが、その他に明治以来の懸案であった、 兵科と機関科の処遇格差の是正(海軍機関科問題。兵科は機関科に対し 処遇・人事・指揮権等全てに優越していた)についても改善案について 相談を受けた東郷は「罐焚きどもが、まだそんなことを言っているか!」と反発し、 結局、この問題は第二次世界大戦の終戦直前に改正されるまで部内対立の火種として残された。
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