- 【巨人】読売ジャイアンツpart571【2022年】
34 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 12:28:40.78 ID:Jek/kLgo0 - >>32
>坂本記事で叩かれてんなあ >別にメジャー行かなくても目指さなくても別にええやん >メジャーに行かないとプロ失格でいくじなしみたいなのなんなん 奴隷根性が身に付いたアメポチの馬鹿どものMLBマンセーの詭弁なんか相手にしない方がいいよ
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41 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:30:22.79 ID:Jek/kLgo0 - イエズス会のフランシスコ・ザビエルなど、スペイン・ポルトガル・オランダなどから
キリスト教宣教師が日本に訪れていたことは日本人なら誰でも知っているだろう。 戦後日本の歴史教科書では、彼らは善意でキリスト教を普及しにきたかのような書かれ方をしているが、 彼らはそんなオメデタイ人間ではなく、彼らキリスト教の宣教師は、日本を植民地化するうえでの先兵だったのである。 もちろんこれもGHQが戦後日本から消し去った歴史の史実である。 実際にスペイン・ポルトガルはキリスト教の普及と称して南北アメリカ大陸を侵略し、 先住民をほぼ滅亡させて大陸を乗っ取り、アジアでも植民地支配を数百年続けた強欲で残忍な悪意の塊である。 それが日本に対してだけは侵略の意思はなく、善意で日本に関わろうとしたわけではないことは、論理的にも明らかだ。 このように、戦勝国史観などの嘘デタラメの歴史は、 世界的視点で比較検証すれば明らかな矛盾が表面化し、嘘は簡単にバレ、何が真実であるかは簡単にわかるのである。 もちろんこれが都合が悪い連中は、いつものように議論も反論もできないが「歴史修正主義ニダ!」と、 見苦しいレッテル貼りをしてくるのだ。
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42 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:30:56.68 ID:Jek/kLgo0 - ■植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす■(著)山口洋一 カナリアコミュニケーションズ2015年7月31日発売
第四章 他国に類例を見ない日本の統治形態 欧米の植民地形営が「支配・搾取型」統治に徹していた様子を述べてきたが、 これに比べ、わが国が支配した海外領土では果たしてどのような統治が行われたのであろうか。 この問題を検討するに当たり、まず日本の国体、つまり国柄の本質についての考察から始めることとする。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (2)日本は征服欲で海外に侵攻したことはない 古来、日本人は周辺諸国と誼を結んで、交流することには意を用いたが、 自国の勢力拡大と領土拡張を目指して外国に戦争を仕掛けることはしなかった。 支倉常長一行の導き役となった聖フランシスコ会のスペイン人宣教師ルイス・ソロテは1613年に次のような文書をメキシコ総督に宛てて出した。 「日本の君主たるものは(自国の国土に満足し)さらにこれ以上何もいらないのだ、と言っている。 皇帝(将軍家康を指す)が外国を征服するのを望んでいないことは確かである。 というのも、周囲にはシャム、カンボジア、ボルネオ、ベトナム、琉球、台湾などがあり、日本の船はこれらの地方に航海しているが、 今日まで戦争をして占領をしたことはなく、ただ貿易を行いたいと望んでいるだけである。 ……日本は豊かで、(日本人は)自分の国を愛し、これ以上の国はないと思っている。 貧しい人を除いては外国に住みたいと望んでいないのだ。 ……日本人を軽蔑し、(日本を)侵略するわけでなければ、外国と戦争を起こさないことがこの国の大変古い掟となっている」 (スペイン・シマンカス文書館所蔵『大日本史料』第12編の12) この見方は、日本人が西洋人的な攻撃性をもっていないことを指摘したもので、的確な観察だと言える。
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43 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:31:46.32 ID:Jek/kLgo0 - 【閑話休題】ルイス・ソロテが言うように、日本人が「外国に住みたいと望んでいない」のは確かにその通りであり、
今日でも外国勤務となった日本の会社員の多くは、ひたすら帰国の日を待ちわびて仕事をしている。 古来日本人が自国を愛し、誇りにしてきた心根は万葉集のこんな一首にも詠われている。 「御民われ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば」(海犬養岡麻呂) 「日本の国民である私は、本当に生き甲斐を感じます。天皇のご威勢が輝き、国運隆盛の時世に生まれ合わせたことを思うと」との大意で、 天平の御民を謳歌し、この盛大に生まれ合わせた身の幸福を感激に満ちて詠い上げた力強い一首である。 ただ「自分の国を愛し」との関連では、現今の日本人の国家意識が心もとない実情にあるのは嘆かわしい。 日本人の非攻撃性については、歴史を振り返ってみれば、一目瞭然である。 白村江の戦(注)や蒙古襲来(1274年の文永の役と1281年の弘安の役)は言わずもがな、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦への参戦、 大東亜戦争とどれをとっても、日本が自国の勢威増大を目指して好んで戦に打って出たことなど、一度としてなかった。 何れも自衛のためのやむにやまれぬ戦争であったり、同盟国の義務として或いは友好国に救いの手を差し伸べるための戦だったのである。 (注)天智2(663)年8月、唐と新羅の攻撃を受けた百済を援けるため、日本軍は出撃して百済とともに戦ったが大敗を喫し、 残った軍船に百済の亡命者を乗せて帰国した。
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44 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:32:02.58 ID:Jek/kLgo0 - 大東亜戦争と重なる日中戦争は侵略だったのではないかという見方が一部にあり、
殊に中国政府はこう断定して日本を非難しているが、これは正しくない。 この点について論じた著書は多くあるし、私も自著で詳しく取り上げたので、ここでは繰り返さない (拙著『腑抜けになったか日本人』文芸社参照)が、張作霖の爆殺、満州事変、盧溝橋事件、上海事変へと、 日本軍は常に中国側の軍事挑発に対処し、大量虐殺から日本人の生命を守る保安行動をしてきたのであり、 日本側から仕掛けた戦闘行為ではなかったのである。 唯一、よく誤解されているのは豊臣秀吉の朝鮮出兵であり、国内で勢力基盤を固めた秀吉が、 勢いに乗って朝鮮侵略を目指したと短絡的に考える向きが少なくない。 しかし当時の状況を調べるとこれは全くの誤りであり、この出兵は、アジアに勢力を拡大してきたスペインの脅威の前に、 日本を守るために秀吉が起こした行動であったことが明かになる。
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45 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:32:36.26 ID:Jek/kLgo0 - (3)秀吉の朝鮮出兵
スペインがアジアに目を向けるそもそもの発端となったマルコ・ポーロの「東方見聞録」から見てみよう。 ベネチア人マルコ・ポーロが「東方見聞録」の中で、日本を「黄金の国ジパング」 として紹介したことは、ヨーロッパ人の夢をかきたてた。 ジェノバの貧しい毛織職人の息子として生まれたコロンブスが地球は丸いと確信して航海し、 アメリカ大陸発見の偉業を成し遂げたのも、実はこのジパング伝説に突き動かされてのことだったのである。 ヨーロッパ人にそれほど強烈なインパクトを与えた「東方見聞録」では、 「ジパング」は一体どのように書かれていたのであろうか。 「ジパングは東の方、大陸から1500マイルの太平中にあるとても大きな島である。 住民は皮膚の色が白く、礼節の正しい優雅な偶像崇拝教徒であって、独立国をなし、自己の国王をいただいている。 この国はいたるところに黄金が見つかるものだから、国人は誰でも莫大な黄金を所有している。 この国へは大陸から誰も行った者がいない。 商人でさえも訪れないから、豊富な黄金はかつて一度も国外に持ち出されなかった。 右のような黄金がその国に現存するのは、全くかかってこの理由による。 引き続いてこの島国の国王が持っている一宮殿の偉観について述べてみよう。 この国王の一大宮殿は、それこそ純金ずくめで出来ている。 われわれヨーロッパ人が家屋や教会堂の屋根を鉛板でふくように、この宮殿の屋根はすべて純金でふかれている。 従って、その値打ちはとても評価できるようなものではない。 宮殿内に数ある各部屋の床も、全部が指二本巾の厚さをもつ純金で敷きつめられている。 このほか広間といわず、窓といわず、いっさいがすべて純金造りである。 げにこの宮殿はかくも計り知れない豪奢ぶりであるから、 たとえ誰かがその正しい評価を報告しようとも、とても信用されないに違いない。……」 (宮崎正勝著『ジパング伝説』中公新書)
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46 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:33:07.98 ID:Jek/kLgo0 - ここで述べられている純金ずくめの「宮殿」は平泉の中尊寺金色堂ではないかと推察され、
豪華絢爛さを誇る金色堂の噂は当然のことながら都にも聞こえ、 話が次第に誇張されて大陸にまで伝わっていったものと思われる。 世界のかなりの部分がまだまだ未知の闇に閉ざされていた当時の状況にあっては、 この荒唐無稽な話も大いにあり得ることと考えられ、コロンブスの想像力を限りなく膨らませたのである。 スペインはコロンブスだけでなく、太平洋の発見者マゼランの庇護者でもあった。 マゼランが「世界周航」の途上で太平洋を発見したことは、スペインのアジア進出を具体化させるきっかけとなった。 1494年に、スペインとポルトガルが結んだトルデリシャス条約は、ブラジルを除く新大陸をスペインのものとし、 さらに1529年のサラゴサ条約はフィリピン諸島をスペインの領有とした。 その結果、スペインの勢力圏は日本の間近に迫ってきたのである。 もっともこの時点では、条約上フィリピンを領有したことになってはいたものの、 まだスペインがこの国を実効支配はしていなかった。 しかし16世紀になるとスペインはフィリピンをアジア進出の拠点として占領し、この地の植民地支配を始めた。 当時フィリピン諸島には統一国家はなく、バランガイと呼ばれる自給自足の村落が、 ようやく地域の連合を築きはじめた段階であったので、植民地化は容易であった。 太平洋への西洋進出の歴史を振り返ると、まず1520年にポルトガル人マゼランによってこの大海原は横断された。 スペインは1519年にメキシコを占領し、「ヌエーヴァ・エスパーニャ」(メキシコ)を繋ぐ航路が設定された。 こうしてスペインは1570年、ルソン島を占領してフィリピン全体を植民地化した。 交易が盛んだったルソン島の中心地にマニラ市を開き、ここを植民地の首府とした。 これ以降、約250年間、マニラとメキシコのアカプルコを繋ぐ貿易は、植民地フィリピンの生命線になった。 この貿易は中国の絹、生糸、陶磁器などのアジア物産をメキシコに輸出し、新大陸の銀を輸入して多大な利益をもたらしたのみならず、
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47 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:33:34.25 ID:Jek/kLgo0 - その航路は、アジアを植民地化するための資金や官僚、兵員などの輸送と本国の指令の伝達に欠かせない動脈となった。
スペインがこの航路を日本人に明かすことを嫌ったのも当然であった。 スペインが征服と植民地化の手立てにしたのがキリスト教の布教であった。 派遣された神父たちは現地を調査し、情報を集め、進出の下準備をした。 彼らはまさに侵略の先兵だったのである。 その急先鋒を担ったイエズス会はあくまで世界支配のために、 スペイン・ポルトガルの野望とともにその軍隊的な組織を拡大していった。 布教は征服と植民地化に直結し、航海および貿易はそのために行われた。 被征服民がカトリック教を受容することは、彼らがスペイン国王の権威に服することを意味したものと受け止められた。 フィリピンとメキシコを手中に収めたスペインにとって、次なる目標は明朝の中国であり、彼らはここに進出し、 行く行は明を征服しようとする構想を描いていた。 フィリピン諸島には彼らを満足させるような金や銀の鉱山は存在しなかったし、香料資源もなかった。 そこで彼らは中国大陸に熱い視線を向けたのである。 フィリピン統治は日本とも深く関係していた。 日本は彼らの狙う銀の産出量が大きかった。 16世紀から17世紀にかけての世界の銀の産出量は約60万キロであったが、その内20万キロを日本の輸出銀が占めていた。 世界の銀生産量の3分の1が日本で産出されていたのである。 しかし彼らが日本を注目するようになったのは、なにもこの銀に着目しただけではなかった。 もっと大局的に、政治・軍事的な視点から日本に目を向けていた。 スペインが中国侵略の意図をもっていたことは、イエズス会の日本での責任者であるヴァリニャーノ神父が フィリピン総督に出した書簡に次のようなくだりがあることからも明らかである 「これらの征服事業は宗教面ばかりでなく、それに劣らずスペイン国王の世俗的な進展にとって益する。 そしてそれらの征服事業の内、最大のものの一つは、閣下のすぐ近くのこの支那を征服することである。
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48 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:34:15.06 ID:Jek/kLgo0 - ……そのためには日本が基地として、あるいは利用すべき国として必要となる。」
(高瀬弘一朗『キリシタン時代の研究』岩波書店) 日本にいたヴァリニャーノ神父は、同時に明朝中国への布教を指導しており、マカオから宣教師を送り込んでいた。 日本の多くの研究者は、これを単に布教だけのものとして善意に受けとめているが、 その背後には南米やフィリピンでやったのと同様に、侵略の意図が隠されていたことは明白である。 この意図は一般のキリシタンに知られぬよう内密にされたので、 史料に乏しいのは当然と考えられる。 ヴァリニャーノ神父は、日本を協力させ、そこを足場にして中国の征服を説いているが、 もう一人のイエズス会の重要人物、日本準菅区長のコエリョ神父は逆に、日本のキリシタン大名の協力を得て、 明より早く日本を征服するようフィリピン総督宛に意見書を送っていた。 つまり日本が先か、中国が先かが議論されていたのである。 いずれにせよスペインがイエズス会の修道士を先兵に、中国や日本の植民地化を虎視眈々と狙っていたことは疑いない。 フィリピンのマニラ司教であるフライ・ドミンゴ・デ・サラサール神父はヴァリニャーノ神父と軌を一にした考え方をしており、 その意見をスペイン国王に進言している。 彼は国王への書簡で 「支那に対して迅速な遠征を行えば、少数の軍勢でも容易であり、長引くとかえって困難になる」 としてそのために日本を利用することが得策だと述べつつ、こう記している。 「このこと(支那征服)を一層容易に運ぶには、支那の近くにいる日本人が支那人の仇敵であって、スペイン人が支那に攻め入る時には、 進んでこれに加わるであろうということを、陛下が了解されるとよい。……」 (高瀬弘一朗『キリシタン時代の研究』岩波書店) ここで秀吉に話を戻すと、彼は一方で宣教師を受け入れていたものの、同時にその政治的・軍事的意図を察知していた。 そしてスペインの中国征服が成功すれば、日本が次の侵略対象になることも十分弁えていた。
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49 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:34:42.34 ID:Jek/kLgo0 - 従って秀吉の朝鮮出兵は、スペインのこのような動向を察知した上で、中国に進出するためのものであった。
日本は中国を征服することによって、スペインの機先を制することができると考えたのである。 秀吉の中国侵攻の構想は、スペインの尖兵になるというのではなく、 逆にスペインの中国征服の先手を取ろうとしたものなのであった。 村松剛氏もその著『醒めた炎』において次のように記している。 「秀吉はイエズス会の明征服計画を明らかに探知していた。 支那大陸が白人の支配下に落ちれば、日本自体の安全が危険にさらされる。 ……スペインが兵力の不足に悩んでいることを知っていた秀吉は、彼らの計画を先取りする方策を考えたのだろう。」 (村松剛『醒めた炎』中央公論社) 秀吉は天正14(1586)年にイエズス会のコエリョ神父と大阪城で会った際、 大型帆船二隻を船員つきで売却してほしいと依頼したが、コエリョはこれを断った。 既に彼らの日本侵略の意図を察知していた秀吉は、それに対して日本を守らねばならないと決断し、この時いよいよ腹を固めた。 やがて中国大陸がスペインに征服された暁には、日本はスペインと明の連合軍と対峙しなければならなくなる。 スペインの動向を察知してこの危険を見抜いていた秀吉は、できるだけ早く行動を起こさねばならぬと考えた。 それには日本が単独で動くしかなかったのである。
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50 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:35:11.10 ID:Jek/kLgo0 - スペインの世界制覇の野望は、1588年にスペインの無敵艦隊がイギリスに敗れたことで大きく後退した。
これに代わってイギリス、オランダという新興植民地主義国が頭角を現し、 その方針も宗教を抜きにした経済支配の傾向にとって代わられることになった。 しかしトルデシリャス条約によって、スペインとポルトガルが描いた世界を支配する夢は簡単に消えるものではなかった。 祭壇に武器を祀ったイエズス会を尖兵とする彼らの動きには、少なくとも17世紀初めまでは油断がならなかったのである。 そこで秀吉は天正15(1587)年、バテレン追放令を出してキリシタンを弾圧し、逮捕と処刑を行った。 見せしめにキリシタン大名高山右近の追放処分も行った。 スペインの政治的な動きの意味を理解していたからこそ、秀吉はこの果断な措置に出たのであった。 さらに秀吉は、天正19(1591)年にはフィリピンに、文禄2(1593)年には台湾にも朝貢を命じている。 多くの歴史家はこの命令を単なる外交的な示威行為と国内的宣伝に過ぎないと見ているが、 これはそれほど単純なものではなく、「これらの国と結んでスペインの中国への進出を牽制する」 という深い政治的な意味合いをもっていたのである。 こうして秀吉の朝鮮出兵は文禄元(1592)年の「文禄の役」と慶長3(1598)年の「慶長の役」の二次にわたって行われ、 慶長3年8月に秀吉が没したため、日本軍は朝鮮から撤退して幕を閉じた。 この出兵は、結局このような形で失敗に終わったが、二度にわたり15万前後の大軍を動員して出兵したことは、 日本軍の遠征が国内においてコンセンサスを得ていたことを示している。 この出撃は決して領土拡張を目指した侵略として行われたのではなく、 その背景にはスペインへの強い警戒感があったことを見逃してはならない。
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52 :代打名無し@実況は野球ch板で (ワッチョイ c6c3-r4yT [153.242.67.12])[sage]:2022/09/24(土) 13:40:46.56 ID:Jek/kLgo0 - 反日ゴキブリの皆さん
「ジャップは自主独立を守るために、勘違いして白人様と戦ったのは間違っていたニダ! ジャップは大人しく白人様の植民地になって奴隷として搾取されるべきだったニダ! ジャップには戦争の悲惨さを伝えていく必要があるニダ! 下の動画のように、歴史の真実をジャップに伝える行為は許さないニダ!」 【消された歴史】白人の侵略から東南アジアを救った日本人 https://www.youtube.com/watch?v=kvosSylvQ2M
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