- 今年の阪神はやらかす18-1
535 :代打名無し@実況は野球ch板で[]:2017/12/14(木) 10:25:28.03 ID:WO8wIbPN - 若虎に社会貢献のススメ――若林精神の承継目指す阪神
www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/14/kiji/20171213s00001173171000c.html 【内田雅也の広角追球】今月1日付で就任した阪神の新球団社長・揚塩(あげしお) 健治(57)は6日に開いた新人研修会で、大山悠輔や坂本誠志郎ら9人の入団1、2 年目の選手に問いかけた。「若林忠志さんを知っていますか?」 全員がうなずいた。偉大な先人を敬い、後世に伝える。球団として大切な教育がで きていた。 揚塩は選手に「社会貢献をしましょう」と呼びかけた。「何百万円も使えとは言い ません。実家の近くでも高校でもいい。半日でも2時間でもいい。プロ野球選手は夢 と希望を与える立場にあります。そういう職に就いたのだから、恥ずかしがる必要は ない。1年目からなら、スタートも切りやすいでしょう」 若林忠志(1908―65年)は球団創設時から在籍した投手で、監督も務めた。 投手として237勝という実績以上に社会貢献、慈善活動に尽くした姿勢が評価され る。阪神では2011年、その功績をたたえ、「若林忠志賞」を創設。「継続的に社 会貢献活動やファンサービス活動に取り組み、野球人として優れた見識を持つ選手」 を毎年表彰している。 第7回となった今年、特別賞を阪神選手会に贈った。2005年からチャリティー オークションで得た収益を恵まれない子どもたちや国内外の被災地救済のために寄付 している。その額は累計1億8000万円を超えた。
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536 :代打名無し@実況は野球ch板で[]:2017/12/14(木) 10:27:40.31 ID:WO8wIbPN - >>535
だが、個人に贈られる本賞(大賞)は初めて「該当者なし」。候補者はいたのだが、 成績との兼ね合いもあり見送られたようだ。選考した一人、前球団社長・四藤慶一郎 (57)は「選手の育成同様に精神も育てていくことが球団としての課題です」と話 していた。 若林賞の表彰状には「若林氏の精神を承継するものと認め――」との文言がある。 重要なのは「精神の承継」、つまり伝統をつなぐ意識だろう。 その若林はオフシーズン、今ごろの時期になると「ほとんど家におりませんでした」 と次男・忠晴(78=会社社長)が語っている。全国各地の養護施設や小学校などを 慰問に訪れていた。 「父は『おまえたちには両親がいるじゃないか。世の中には親のない子どもがたく さんいるんだ』と出かけていきました。あちこちに戦災孤児がいましたから」。戦後 間もないころの話である。 たとえば、神奈川県大磯町の戦災孤児の施設、エリザベス・サンダース・ホームと の交流は1948年(昭和23)2月の設立当初から続いた。創設者で岩崎弥太郎の 孫娘、沢田美喜と「二世連合会」副会長の若林は戦前から親交があった。占領軍兵士 と日本人女性との間に生まれた子どもたちは偏見と貧困に苦しんでいた。幼児が成長 し1956年(昭和31)、施設内に聖ステパノ学園小学校ができると、赤い色のユ ニホームを贈り、野球チームをつくった。「不幸な子どもたちに希望を持たせたい」 と有望選手にプロ野球の入団テストを受けさせた。
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537 :代打名無し@実況は野球ch板で[]:2017/12/14(木) 10:29:51.35 ID:WO8wIbPN - >>536
スポニチ本紙にサンタクロースの格好をした若林が大阪・豊中の克明小学校を訪れ た記事が載っている。1950(昭和25)年12月24日付1面である。お菓子、 絵本、おもちゃのプレゼントを配り、「クリスマスは不幸なお友だちに幸福が来るよ うにお祈りする日です」と諭した。 1949(昭和24)年12月、奈良少年刑務所を訪れて贈った優勝盾(若林杯) と野球(後にソフトボール)大会創設の話は以前当欄で紹介した。揚塩は球団常務時 代の2009年、同所受刑者代表が巻紙に墨で書いた若林への感謝文の存在に感動を 覚え、甲子園歴史館での展示に動いた経験があった。2010年にはファンや地域社 会との「夢」「絆」をテーマとした「ドリームリンク・プロジェクト」を立ち上げて いる。 奉仕・慈善活動に尽くした若林の逸話をあげればきりがない。ハワイに生まれ育っ た若林は戦前から大リーガーの姿勢を知り、学んでいた。戦後の荒廃期、日本のプロ 野球に社会貢献といった考え方などない時代に「プロのあるべき姿」を示したのであ る。
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538 :代打名無し@実況は野球ch板で[]:2017/12/14(木) 10:31:11.42 ID:WO8wIbPN - >>537
元コミッショナー、根来泰周(2013年没)は2004―08年の在任中、選手 会との労使関係、セ・パ両リーグや球団間の対立が目立っていた中、繰り返し「今の 世の野球界はおかげさまの心が必要だ」と説いた。 和歌山市の実家が浄土真宗の末寺で、住職の資格も持っていた。西本願寺鹿児島別 院が主宰するハートフル大学に招かれ、講演したことがある。 「戦後は貧しかった。しかし空は青く、将来に向かって羽ばたけるという希望があ った。今、空はどんよりと曇っている。この厚い暗雲を払ってもらいたい。その唯一 の方法は他を思いやる気持ち、社会奉仕する気持ち、これらの積み重ねではないか」 まさに戦後、若林がプロ野球に日本の明日をみていた姿に通じている。阪神だけで はない。閉塞(へいそく)感漂う社会を案じる一方で、若林の精神に光を見る思いが する。 =敬称略= (編集委員)
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