- 元中日GM落合博満の永久追放を要求する!★17
4 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 19:55:58.67 ID:2keKqIY/ - 清原和博が中日落合GMを猛批判「性格悪い最低の人間」
落合氏の現役時代のエピソードとして 清原「巨人時代も、元木は移動の最中、落合さんによく雑誌一式を買いに行かされとったんやけど、一銭も渡してもらえないから、いつも元木の自腹だったそうやで。 球界最高年俸のくせに」 清原「日本ハム時代も当時の大社オーナーと話をして、2年でジャイアンツと同じほどの給料をもらっとったらしいけど、パの投手に対応できず3億円のぬいぐるみが ベンチに座っとると笑いものになっとった(笑)」 清原「落合さんはホンマに性格悪いで。 中日の監督時代は選手より高い年俸もらってたくせに、ある選手があと1打席でインセンティブ契約をクリアするっていうことを知っていて、わざと試合に出さなかったり。 飛行機で移動する時は落合さんが席順まで決めるんやけど、若い井端とか荒木をスーパーシートに乗せて、立浪をエコノミーに座らせたり。(中略) ヘタレ野郎がこういうイジメ方をするんだな」 球界の大先輩を「ヘタレ野郎」呼ばわりする度胸を見せ、 落合氏のセカンドバッグが紛失した際にはコーチやスタッフ、選手が「疑惑」を否定しても 信用せずにウソ発見器にかけた、とも。 そして「バッターとしての技術はさすがやと認めるけど、人としては最低」と断じてコキ下ろすのだった。 トドメはこれだ。 清原「○○(選手名)が大阪のヘルスで女の子を呼んだら、予約が入っていて断られたんやて。後日、改めてその子を呼んで聞いたら予約は落合さんで、どうも常連らしく、 アレ(本誌判断で伏せ字ア○○)を舐められるのが大好きな人だって女の子が言っていたそうや。強烈やろ?」 思わず目を疑う掟破りの大暴露。落合氏が読めば、それこそ羞恥の極致‥‥ いや怒髪天をつく思いに至るのは当然のことだろう。
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5 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 19:57:22.26 ID:2keKqIY/ - 落合監督&信子夫人“ぶっちゃけ対談”大逆転Vの裏側「全てはそこから」
博満「ガッツポーズしてからなんだ。全てはそこから始まった」 信子 「そうなんだよね。みんなそれで逆にやる気を出したんじゃない」 博満 「そういう噂はすぐに広がるからな。選手は“なんだオレら、勝っちゃいけないのかよ。何のためにやってきたんだよ”となる。 “オレらをバカにすんなよ”ってのが一番の火付け役になった。そこに9月22日の(退任)発表が重なったんだ」 信子 「あそこから一気に勢いがついたもんね」 https://m.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/19/kiji/K20111019001850140.html その後 デイリーが謝罪記事 ガッツポーズ報道で中日に ガッツポーズ報道をめぐりプロ野球中日球団から事実に反するとして抗議を受けていた問題で、 デイリースポーツは29日付紙面で「本人確認という基本を怠った記事でご迷惑をおかけした」 と謝罪する記事を掲載した。 デイリースポーツは19日付の中日のリーグ優勝特集記事の中で、9月の巨人戦に敗れた後に 中日の球団社長がナゴヤドームの関係者通路でガッツポーズをしたと報じた。 謝罪記事によると、記者は目撃証言をもとに執筆したが、幹部がとったとされる行動の趣旨は 定かでなく、球団幹部やフロントに確認取材をしていなかった。 「名誉と信用を傷つける内容の 場合は本人確認と談話掲載が欠かせないが、それを怠った」としている。 中日球団はデイリースポーツの発行元の神戸新聞社に抗議、謝罪を求めていた。 [ 共同通信 2011年10月29日 9:43 ]
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6 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 20:00:53.42 ID:2keKqIY/ - ウワサされた仰天人事は実現しなかった。
20日、オリックスが福良淳一監督(57)の来季続投を発表。 遠征先の仙台市内で球団から要請され、「快諾しました。このまま終わるわけには(いかない)というのはある」と受諾した。 福良監督は2015年に途中休養した森脇監督に代わってヘッドコーチから監督代行に“昇格”。 翌16年に監督に就任した。しかし、監督1年目は4年ぶりの最下位に沈没。巻き返しを誓った今季も4位(20日現在)に低迷、8月には早々とCS進出の可能性も消滅した。 1年契約の福良監督には当然のことながら進退を問う声が上がり、球界の一部ではその後任候補に、あの落合博満前中日GM(63)の名前が取り沙汰されていたのだ。 その落合氏、11年限りで中日監督を退任。13年に復帰したGMとしては成果を残せず、袋叩きに遭ったものの、現場復帰への意欲はいささかも衰えていない。 さる17日には、久々に民放局の情報番組に生出演。司会者から「もうユニホームは着ないんですか?」と聞かれると 「そういう話があれば考えます」と笑顔で即答。「喝!」でお馴染みの張本勲氏から、「来年、3つくらい(監督枠が)空くからね。 最後のご奉公で、いいチームをつくってもらいたい」と後押しされ、うれしそうに笑っていた。 「オリックスにしても、本気で落合を招聘しようなんて考えたわけではないだろ。 えらい目に遭うことは球界の誰もが知っている。本人に現場復帰の意欲はあっても、こればっかりは相手があってのことで、望めばかなうという話ではない。 残念ながら、落合を監督にという奇特な球団はないよ」 と、古株の中日OB氏は一笑に付す。
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7 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 20:02:58.39 ID:2keKqIY/ - 確かに、落合博満は劇薬だ。現役時代の「オレ流」をそのままに、監督としてもワガママ放題のやりたい放題。
白井オーナーの寵愛を後ろ盾に、中日監督の8年間で意に沿わないフロント、選手を徹底的に排除した。 カネにもシビアで、就任1年目に1億円だった年俸は、監督最終年には3億5000万円プラス出来高の計5億円ともいわれた。 成果主義を建前にコーチの年俸も右肩上がりでアップ。選手や裏方の給料まで落合監督が査定して、これが当時、年間40億円といわれた球団の赤字の大きな要因にもなった。 地元財界などのスポンサー筋との関係も悪化。結局、11年にリーグ優勝を果たしながら、任期満了を理由にクビを切られることになった。 球団関係者の多くが胸をなで下ろし、拍手喝采だったから、よくよく嫌われたものである。
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8 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 20:05:09.27 ID:2keKqIY/ - *中日は9日、来季から谷繁元信捕手(42)が選手兼任監督になると発表した。
同時に球団初のゼネラルマネジャー(GM)に元中日監督の落合博満氏(59=野球評論家)が就任することが決まった。 難航した新監督問題。今回の人事は落合氏の要望が大きく影響した。 白井オーナーが「俺の顧問になってくれないか」とアドバイザー的な役割を打診すると 「じゃあGMでどうですか?」と自らGMを申し出たという。 さらに落合氏は新監督について「谷繁がいいですよ」と愛弟子を推薦。 オーナーは「彼の推薦もあったし“私が支えます”とも言っていた」と明かした。 *週刊文春報道、中日・落合博満GMがせこい日銭稼ぎ 落合博満GMは名古屋市内の自宅から2軍のナゴヤ球場に出勤することが多いが、球団には東京の自宅を登録して毎日、出張扱いで手当を計上しているという。 「シーズン中はナゴヤ球場でウエスタン・リーグの試合を観戦して、あとは合宿所でコーヒーを啜りながら煙草を吸ってグダグダしているだけ。 しかも奥さんに煙草を禁止されているので、帰り際には必ず歯を磨いて匂いを消して帰るのが日課だそうです」(スポーツ紙デスク) コストカットで選手ばかりか裏方までも追い込みながら、自分は1億円近い年俸をもらった上に、日がなセコい日銭稼ぎをしている。 そんな姿を知れば、不満が噴出するのも当然といえば当然かもしれない。 そうしてオーナーの威光をバックにGMの人事権と配下のコーチや職員を使って反対派を封じ込めていく。肝煎りで入団させた加藤打撃コーチは、指導方法などを巡り谷繁監督と何度も衝突を繰り返していた。 「加藤コーチは練習に遅刻はする、試合中に居眠りはするで監督も呆れていました。 極め付けはグラウンドでのポケモンGOです。練習中に『ナゴヤドームにもポケモンおるわ』とはしゃいでいるのを担当記者に目撃されています。 ただ落合博満GMはそんなことがあっても息のかかったコーチには甘いのに、今回2軍に降格した渡辺コーチは谷繁派と見て、あいつだけは許さんと怒っていた。案の定の結末でした」 (スポーツ紙中日担当)
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9 :代打名無し@実況は野球ch板で[sage]:2017/11/15(水) 20:07:35.45 ID:2keKqIY/ - スッパ抜き『3年連続Bクラス 中日落合GMついに解任で星野氏招聘始動!』
「来年も落合でやるんですか?」 ある大企業のトップがこう訪ねたという 白井オーナーはその場でこう名言した 「3年間Bクラスですからね、さすがに今年であがってもらいます」 ある球団関係者が続ける 「その話は瞬く間に球団内に広がりました。落合GMの後ろ楯は白井オーナーですから、そのオーナーが言ったのなら今年で首でしょう」 ***************(中略) そして13年8月5日、ある大事が起こる 白井オーナーの妻・康子さんが84歳で亡くなったのだ 独り身になったオーナーに接近したのが落合信子夫人(71)だった 次期監督選びに悩む白井オーナーの世話をしながら 「他の人が監督だったらもっとお金がかかります。うちの父ちゃんだったら、お金を使わない」 と持ちかけたという 白井オーナーは「監督は無理」と断るが落合氏からも 「GMという方法もありますよ。GMで恩返ししたい。私がなれば優勝できる。今の選手は優勝もしていないのに年俸が高すぎる」 と連絡があり、同年10月球団初の「GM」に落合氏が就任することとなった ※週刊アサヒ芸能7.14特大号・特別定価430円より抜粋
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