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6 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:39:14.79 ID:UQ132UR5 - 【煩悩1】
今回は愛丈を語るスレであるはずなのに あなたたちの消え去ることのない「怒り」に接し、 おぞましさを感じるととも、 とても可哀想になってきました。 その「怒り」は大島丈に向けられているようでいて、 その実、自分に向けられているからです。 私には、あなたたちが自傷行為をしているようで、いたたまれないのです。 そこで今回は、少しでもあなたたちの「怒り」が鎮まるようにと、 仏教における怒りのコントロール法について考察していきたいと思います。 スレタイ通りに、私たちは、 少しでも大島丈の愛に包まれて、 みんながひとつになって、 自己成長を遂げなくてはなりません。 どうか、これ以上のスレチな発言はやめて、 ともに大島丈という頂を目指してまいりましょう。 あなたの根底にある「怒り」に目を向け、 大島丈から学び、悟りの道に進んでいってください。
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7 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:40:05.68 ID:UQ132UR5 - 【煩悩2】
これからしばらく考察していくことは、 「仏教における大島丈」がテーマとなっていきますから、 まずは、仏教とキリスト教の大きな違いのひとつである、 「苦痛の原因」のとらえ方から語ってまいりたいと思います。 仏教においては、人間の苦痛の原因を、 「全知全能の神を信仰するかどうか」 というところには求めてはいないのです。 というのも、仏陀が創造主に出会って、 「神は全知全能ではなく、この地球を創造したわけでもなかった」 と言っているからなのです。 ただし、仏陀が生きた当時のインドでは、 西洋における「創造主」は「ブラフマン」と呼ばれていました。 どちらも「宇宙の実相」を指し示したものに違いはないのですが、 厳密に言えば、 インドのブラフマンとキリスト教における創造主を同一視してしまうことには、 私は懐疑的であります。
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8 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:40:20.09 ID:UQ132UR5 - 【煩悩3】
ともあれ仏陀は、 「全ての人間の苦痛は、間違った知識で生きてしまうことにある」 という結論に至りました。 これは、大島丈がかつて述べたことと、 驚くほど似ていますね。 丈:「結局さ、みんなそれぞれ、 いろんな悩みを抱えて苦しみながら生きてるでしょ。 その悩みや苦しみの原因て、 妄念や無知から来ていると思うんだよね」 この、大島丈の発言に対して、深く考えもせず、 ただ感情的に反発していても益はありません。 そこで、 少し大島丈の言わんとしていることを探索してまいりましょう。 大島丈は「妄念」という言葉を遣いました。 では、いったい、「妄念」とは何でしょうか? 辞書的には 「煩悩によって引き起こされる、邪悪な思いや誤った考え」 とあります。 では、どういう考えが「誤っている」 ということなのでしょうか? ちょっと考えてみてください。
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9 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:40:33.75 ID:UQ132UR5 - 【煩悩4】
答えは、「過信」です。 具体的に言えば、 自分のことを「完全に独立した存在」だと思い込み、 自惚れることです。。 また、その他の全てのものも、 「完全に独立した存在」であると思い込んでしまうことです。 さらに、大島丈の説く「妄念」には、二種類あります。 一つは、「本能的」な妄念であり、 もう一つは、「概念的」な妄念ということになりますね。 もう少し簡単に説明すると、 「自分は絶対的な存在である」 と思い込むことは、つまり、 「宇宙の実相」と分けて自分を考えることであり、 対立してしまう関係になるのです。 これは、絶望的な状況に身を投じているようなもので、 そのため、苦しくなるのです。 どんなに自分のことを完全な自己だと自惚れてみても、 「老い、病、死、苦痛、喪失、苦悩」などによって、 結局は、宇宙の真理に敗れるしかありません。
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10 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:40:50.61 ID:UQ132UR5 - 【煩悩5】
この宇宙のシステムから逃れることはできないわけです。 自分だけ宇宙のルールを無視して、 「不老不死になる」 なんて、望んだってできませんよね。 大島丈や仏陀が説く、この「苦しみの妄念」を、 キリスト教では「高慢の罪」と呼んでいます。 つまり、「自分が神だ」とか「自分は神より偉い」 などと思い込んでしまうことですね。 ちなみに、ここで言う「神」とは、 「宇宙の無限の生命エネルギー」という意味だと思ってください。 「悟り」とは何かというと、 「妄念の克服」とも言えるわけです。 つまり、「妄念の克服」を目指して生きる大島丈は 「悟り」を得んとしていることになります。 では、どのようにしたら、妄念を克服できるのでしょうか? そこを考えていくたくためには、 仏陀がどのように「解脱」されたのかを、 まずは見ていく必要があります。
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11 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:41:07.69 ID:UQ132UR5 - 【煩悩6】
仏陀は自分の中に、 自分を絶対視しようとする傾向があることに気づきました。 それは本能の領域でも、 知的レベルの領域でも巣食っていました。 そこで仏陀は、 「自分が本当に、 そのような完全に独立した存在であるかどうかを証明してみよう」 と試みたのです。 まずは、自分の精神と肉体を、 俯瞰的に、批判的な目で内省しました。 そして、自分の中に一つとして、 絶対的な自己が無いことを悟り、妄念を打ち破りました。 仏陀は、絶対的な自分を発見できなかったことで、 現代の物質主義的な思考を完全に追い出すことに成功しました。 「物質主義的思考法」とは何かというと、 自分自身が単なる「無」であるという考え方です。 仏陀は、「自我というものは、他と比較することで成立して存在している」 ということを発見したのです。 つまり、 「自分という存在は、他と密接に関係し合って存在している」 ということになります。
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12 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:41:23.03 ID:UQ132UR5 - 【煩悩7】
「他と比較して存在している」ということは、 その「比較」は自分の脳内で行われている限り、 非常にバーチャルなものなのです。 簡単に言うと、 それぞれの個人のとらえ方によって、 何通りもの世界が存在していくわけで、 そういった問題が派生してくるものなのだ、 と仏陀は理解したのです。 これによって仏陀は解放され、 相対的存在である自己は、 実質上、永遠に進化し続けることができるのだということを、 私たちに、生きた見本として示してくれたのです。 大雑把な解説になりますが、 これが仏陀の悟りの本質であり、 転生の考えの基本なので、 あなたが怒りを克服し、 そのエネルギーを有効なものに変えていくためには、 この考え方を、 まずは理解しておくことが大切になってきます。
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13 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:41:42.30 ID:UQ132UR5 - 【煩悩8】
さて、 自己の存在に対する根本的な誤解はまだあります。 つまり、今述べた「妄念」に続く第二の煩悩です。 それは、「欲望に溺れる」ことです。 色欲や貪欲、暴食などがそれです。 先程の「妄念」とは、 「自分は唯一不変の存在だ」 と自惚れてしまうことだと説明しました。 これはつまり、「自分は独自の確固たる存在として、宇宙と対峙している」 と本能的に感じることです。 こうなると、 宇宙の事物をできるだけ自分の中に取り込みたくなります。 さすがに、どんな妄念の持ち主でも、 全宇宙を呑み込むなど、 およそ不可能であることは分かるわけですが、 少しでも多くの現象や物質を手に入れることで、 勝ち目を五分五分にしようとします。
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14 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:41:58.27 ID:UQ132UR5 - 【煩悩9】
続く第三の煩悩が「怒り」で、 無謀にも 「宇宙を取り込みたい」などと思い込んでしまったことで生まれる 不満とともに起こってきます。 自分の中に組み込まれようとしない宇宙への怒り、 「宇宙に呑み込まれてしまうのではないか」 という不安から生じるというわけです。 これは、 「妄念」の中の自分を守るために生じる怒りであり、 対抗する宇宙を滅ぼしてやりたいと願う怒りであります。 以上、説明してきました、 この妄念、欲望、そして怒りの三つは、 どんな啓発本の「マイナス心理の一覧表」にも出てくる三大毒ですね。
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15 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:42:15.74 ID:UQ132UR5 - 【煩悩10】
四つめの煩悩が「高慢」。 つまり、自己を絶対視する妄念と合わせて、 自分に夢中になることです。 そしてその後に、 ここにいる皆さんがとらわれてしまっている 「嫉妬」がきます。 他人の幸福を妬ましく思ってしまう心の状態です。 初期のアビダルマの教えでは、 六つの根本煩悩があります。 妄念、欲望、怒り、高慢の四つに続く二つは、 「狂信」と「疑念」です。 この「狂信」と「疑念」という二つの煩悩は何かというと、 「惑わされた精神の作用」を示しています。 では、何に惑わされているのでしょうか? 一つには、 頑固で柔軟性の欠片もない独善的な信念や イデオロギーに凝り固まっている状態です。 もう一つは、精神をどこかの方向に向けたいのに、 どっちに向いて良いか分からず、もがいている状態です。
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16 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:42:33.63 ID:UQ132UR5 - 【煩悩11】
「狂信」の状態だと、 冷静的かつ批判的な探求などとても出来ませんし、 「疑念」にとらわれていると、 正当に洞察することは不可能となります。 まずここでは、「根本悪」である 「怒り」を例に語っていきましょう。 先程説明したとおり、怒りは、 自己と他者がそれぞれ絶対的に分離した存在であるという 誤謬から生じるとされていますね。 とすると、怒りは感情そのものではなくて、 感情への煩悩であることになります。 簡単に言うと、人間の怒りは、 よこしまな計算づくのものだということです。 これは、セネカの分析と共通した考えだと思います。 セネカの分析によれば、怒りは人間特有のもので、 動物の凶暴さには思考という要素がなく、 人間の本当の怒りには、感情に加えて、 常に何かに害をなそうという計算が働いているというのです。 今、人間の怒りは「感情への煩悩」であると書きました。 これをもう少し説明しましょう。
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17 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:42:51.19 ID:UQ132UR5 - 【煩悩12】
妄念、欲望、怒り、高慢、狂信、疑念という六つの根本煩悩から派生する煩悩は 20あると言われています。 他に50だったり、 108としている教えもあるので、 これらの教えは教義ではなく融通無碍な考えです。 この中で、一番よく知られているのが、 怒りから派生する四つの煩悩、 つまり、攻撃、復讐、悪意、暴力です。 どれも、怒りによって駆り立てられるわけですが、 「攻撃」は、怒りが精神や言葉や体を他者への攻めに向かわせること、 「復讐」は、憎むべき敵に仕返ししたい渇望、 「悪意」は、傷つけるような言葉を使いたくなる欲求、 「暴力」は、他人を傷つけたい傾向のこと。
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18 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:43:12.56 ID:UQ132UR5 - 【煩悩13】
これらの根本的な煩悩を克服して、 自己の解放へ向かう方法は、五段階あります。 もう一度、整理しておきますと、 根本的な煩悩の根源にあるのは、 自分が絶対的な存在であるという妄念、誤謬でしたね。 この妄念を理解と知恵によって打ち破った時、 欲望や怒りといったその他の煩悩のエネルギーも 知恵に変質することができるのです。 それは、人を傷つけ、 自分も傷ついてしまう、悪いエネルギーではなく、 創造的で幸福を呼ぶエネルギーなのです。 これが「丈エナジー」の正体です。 大島丈の「おひさまパワー」と言っても間違いではありません。 このエネルギーに変質できれば、 もはやそれは「煩悩」ではなく、 喜びに満ちたエネルギーになります。 思い出してください。 大島丈のスマイルの力を。
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19 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:43:31.20 ID:UQ132UR5 - 【煩悩14】
「煩悩」とは、私たちに満足を約束しておきながら、 騙くらかして、欲望中毒者にさせるのです。 そのためにもっともっと欲しくなり、 私たちは常に不満を抱え込むこととなり、 とても不健康な状態に陥ります。 しかし、知恵によって、 「自分は絶対である」という妄念から解放されれば、 無駄使いしていたエネルギーは、 創造的に使えるようになり、 妄念自体は「事物を反映する知恵」となります。 すなわち、 ダイヤモンドのように白く輝く基本物資の「地」で、 これが有形化の過程です。 欲望という煩悩は、 つながりのエネルギーとなり、 個々を区別する知恵で、 ルビーのように赤く輝く「火」となります。 これが、認識の過程です。 高慢の煩悩は、事物を対等にする知恵となり、 トパーズのように黄色に輝く「水」であり、 これが知覚の過程です。
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20 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:43:50.78 ID:UQ132UR5 - 【煩悩15】
嫉妬の煩悩は、 全てを成し遂げる知恵になり、エメラルドの碧色に輝きます。 基本物質でいえば「風」であり 、精神作用の過程となります。 そして怒りは、究極的に現実を完璧にする知恵となり、 サファイアの青にきらめき、 「空」の要素として意識の過程となります。。 煩悩から解放された悟りの境地から見ると、 精神と感情の深いエネルギーは、 こうして知恵のエネルギーとなり、 あらゆる生命と死とに繋がっている 幸福を表すものとして意識されます。
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21 :名無しさん@ピンキー[]:2020/03/10(火) 13:44:10.55 ID:UQ132UR5 - 【煩悩16】
そして煩悩から解放された「慈悲の心」は、 全生命体が、最大限の可能性を発揮出来るように、 全て自分の可能性に最大限に近づけるような状態に、 宇宙全体に働きかけ、お膳立てをしてくれます。 しかし、この世界観がいかに素晴らしくても、 まずは「妄念を知恵」に変質させないことには、 何も始まりません。 だからまず、 怒りのような煩悩を知恵を持って操縦し、 克服することで、 そのエネルギーを安心して使えるようにするわけなのです。 以上が、仏教における怒りのコントロール法となります。 大島丈の自制心を研究し続けてきて思うのは、 大島丈の怒りのコントロール法は、 非常に仏教的な手法に近いのです。 仏教に馴染みのない方には、 今回理解に苦しむ点もあったかと思います。 そこで次回からは、 仏教を知らぬ方でも、また幼児でも容易に理解できる形で 大島研究を進めていきたいと思います。 あなたは、これからの人生で、 大島丈の「愛」の正体を探究し、解明していきます。 そして、いつかは、 生きとし生けるもの全ては、 宇宙の大樹でつながっていることを知るでしょう。 さらには、あなたも私も、 大島丈という幹の枝葉であるということに 輪廻転生を繰り返す中で、悟れる刻が来るでしょう。
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