トップページ > 陸上競技 > 2019年09月07日 > au2sDzHb

書き込み順位&時間帯一覧

60 位/524 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000000100000011003



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
ゼッケン774さん@ラストコール
80年モスクワ五輪マラソン◆日本幻の上位進出◆

書き込みレス一覧

80年モスクワ五輪マラソン◆日本幻の上位進出◆
318 :ゼッケン774さん@ラストコール[]:2019/09/07(土) 13:00:14.19 ID:au2sDzHb
>>317
まあね。しかし6、8、10位じゃ今でも選ばれない。
80年モスクワ五輪マラソン◆日本幻の上位進出◆
320 :ゼッケン774さん@ラストコール[]:2019/09/07(土) 20:55:53.29 ID:au2sDzHb
浜田は76年のびわ湖毎日で4位だったのでモントリオールの次点扱い。五輪後の77年
別大でもその年最高の2:13:57で優勝し、初マラソンの鎌田他の有力選手を退けた。
77年の日本選手権10000では喜多のラストスパートに屈したものの宗猛、瀬古を退け
2位(28:27:6)に入った。瀬古以外の有力選手が集まった2月の別大では宗茂の猛烈な
ペースに戸惑い8.5kmで腹痛を起こし後退、8位にまとめたものの新旧交代を余儀なく
された。しかし浜田の真骨頂は74年の別府で後半追い風にも乗り、30から35キロを
14分台で飛ばし、日本歴代6位の2:13:04:2で制したレースで現れた。それまではスピード
がありながら後半崩れるレースを繰り返していたが、これで一皮剥けた。尤も直後の
毎日で宇佐美に格の違いを見せつけられたり、プレオリンピックは不発だったりで、
安定したと言っても、惜しいレースが多かったのも事実で、それが代表入りを惜しくも
逃す事に繋がった。しかし引退レースの84年別大でも8位2:14:49にまとめ上げる辺りは
流石と言うべきか。引退後は指導者として活躍し、京セラの監督として実業団女子駅伝
で優勝した他、荒木、市橋等の五輪選手を含めて多くの選手を育てた。
80年モスクワ五輪マラソン◆日本幻の上位進出◆
321 :ゼッケン774さん@ラストコール[]:2019/09/07(土) 21:26:01.34 ID:au2sDzHb
別府毎日マラソンが別大毎日マラソンに改称されたのは1976年であり、それを期に別府
ー大分の片道コースのハーフマラソンが創設された。当初はジュニア限定であり、栄えある
第一回の覇者は年末の都大路10キロを29:29で走り切った西村義弘であり、その後を大いに
嘱望された。第2回の覇者は鐘紡の松元利弘で、追い風にも乗って当時としては破格の
1:02:37で走り切った。(この時の西村は4位であった。) 松元は75年から鐘紡のレギュラー
となっていたが、その頃は力不足もあり、駅伝でしばしばブレーキになったが、76年から
は安定し、年末の実業団駅伝でも区間賞を取った。鐘紡で鎌田、伊藤を継ぐ次世代エース
と期待されたが、鐘紡を退社し、順天堂大学に進学し、4年間箱根2区の重責を担った。
マラソンでの成功も大いに期待されたが、それはならず、諫早高校監督として辣腕を振るい
名を馳せた。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。